あるものに憧れている人はそのものをよく知らない。
だから憧れるのである。
憧れはそのものをよく知るための入り口である。
入り口に入ったばかりは自慢したくなるものである。
自分の憧れが正しかったことを証明したいのである。
多くの場合は道のあまりの険しさに挫折し引き返すことになる。
あるものを嫌っている人もそのものをよく知らない。
だから嫌うのである。
嫌うのは別のものへの憧れの副産物である。
嫌う人は他人へ同調を強制したがるものである。
嫌いなものが本当につまらないという確信が欲しいのである。
たとえ他人が同調しても本当の自分の憧れは曖昧模糊として見えない。
あるものを極めたと言う人は過去の人である。
どこまで行っても上がある。
自分の到達した場所を頂上だと勘違いしている。
頂上だと確信したい人ほど声高に熱心に周囲に主張する。
すぐそばでまだ頂上を目指して歩いている人達に追い抜かれている。
一休みで眺望を楽しんだらまた黙々と頂上を目指さなければならない。
あるものをよく知っている人はそのものへの憧れも嫌いもない。
そして全く別のものに憧れている。
時にはよく知っているそのものさえも自嘲し軽蔑し表へ出さない。
あるものをさりげなく日常の事としてあっさりとやってのけている。
よく知っているあるものに関しては淡々とした冷静さと平常心しかない。
ただ結果に対しては満足することなく常に完全を求め続けている。
このコトバをsionさんへ贈る。
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