晴耕雨読を綴る。

3.11から考え方を変えた。液状化と直下型地震に脅える日々。自然の驚異を感じながらも、共生と調和を求めていく!

忘れてはならない満州とソビエト参戦。

2007-09-29 15:25:33 | 政治、経済

 取り残されてしまい中国人養父母の下で、育てられ今日まで生き延びてきた残留孤児の皆さん、本当にご苦労のことと思う。先の戦争で親子がちりじりになり、或いは乳飲み子を連れての逃避行は無理と観念し、泣く泣く中国人に託された方々も多いのかと思う。軍部が引き起こした戦争とはいえ、国策によって朝鮮へ、中国へ、満州へと新天地を夢見て渡っていった国民を敗戦が濃厚となった時には見捨ててしまった罪はあまりにも大きい。不幸にして残されてしまい今日まで中国人として生きてこられ、切れ掛かった糸を手繰りながら一目でも親族に会いたいという心情は、痛いほど分かるし、かなえられるものであれば、かなえてやりたいものである。国は最大限の協力を惜しんではならない。

 もう一つ、日ソの一週間戦争のことも忘れ去ることができない。半藤一利師著述の「日本史」によれば戦死者8万人、574,538人が捕虜としてシベリアに送られ、過酷な労働を科せられ、引き上げられたのは472,942人であることから、10万人以上の方がシベリアで亡くなられたことになるのだそうだ。

 一方、満州には150万人もの民間人が住んでおられたとのことであるが、満州からの引揚者は1,0407、000人、旅順、大連からは226,000人であるので、おおよそ180,694人が亡くなられた計算になるのだそうだ。全く持って許せない。この怒りを何処へぶつければいいのだろうか。

 ソビエトとは、不可侵条約を締結していた。それを一方的に破っての参戦、しかもポツダム宣言受託によって、武装解除を進めていた最中での参戦である。全く持って許しがたい行為である。これにより北方領土は、剥ぎ取られたままいまだに帰ってこない。対ロ外交も心してかかってもらいたい。二度のだまし討ちにあわないためにも。

 せめてもの心の慰めに、彼岸花を掲載した。



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