晴耕雨読を綴る。

3.11から考え方を変えた。液状化と直下型地震に脅える日々。自然の驚異を感じながらも、共生と調和を求めていく!

日産ゴーン改革にかげりが・・・

2007-04-25 10:03:41 | 政治、経済

 戦中派のわれわれ世代は、日産派かトヨタ派かに住み分けていた。昭和30年代後半だったと思うがホンダが、スポーツ800(空冷エンジンだったか)を発表、マツダは爆発的に売れたファミリア時代から日本のカーブームに火がついていった。いわゆる三種のC機(神機?)カー、クーラー、カラーテレビを国民一人ひとりがほしがった。時まさに東京オリンピックもそれを加速させた。
 
 始めて手にしたマイカーは、ブルーバードツードアスタンダード(45万円)だった。以後スカイライン(Ken&Merry),ローレルと続き,今でもローレルに乗っている。日産にかかわる本もすべてを読み、社歴から始まって、トヨタとのシェアー争い、あの有名な塩路委員長の功罪、その他もろもろを見させてもらってきた。
 日産の長期低落傾向が出たのは、スカイラインのモデルチェンジに失敗があり、その裏では爆発的人気を博したマークⅡがあった。日産派特にスカイライン愛好者クラスが、マークⅡにどんどん乗り換えていった。景気もよく、国民総金持ち意識も手伝って、それを後押しした。

 まさかの倒産寸前劇があり、提携先ルノーの推薦によりゴーン社長の登場であった。氏はコストカッターと呼ばれ、工場、社員、下請け(協力会社)、コストを切りまくった。その結果のV字回復であったのだ。以後神様、仏様ではないがカルロス・ゴーンを書けば本も雑誌も新聞も売れに売れた。日産も元気が出てきた。

 経営の神様とも言われたゴーン氏ではあったが、そのコミットメント経営にも限界が来た。やはり先生も人間だったのか。取り巻きには、イエスマンというかお気に入りの人たちが多くなっていたのではないだろうか。特に鳴り物入りで迎えた設計担当重役、確かに世界的には著名であっても日本人の心にヒットする設計ができていないような気がしてならない。この数年間ヒットらしいヒット車が出ていない。経営の迷いというのか、車名も次々に新しくなっているが、どれもこれもパットしない。おまけにセド・グロは廃止とか?その後継車が、フーガであるという。風雅をもじって付けた名前のようだが、車好きが風雅なぞ望んでいないことくらいわかってほしい。荒々しいほどの走り、その中に優雅さがあればこの上ないのだがどうも開発思想がなっていない。技術の日産を忘れてはいないか?

 日産がV字回復をしていた当時、ある車評論家が日産改革について危惧している記述があった。協力会社のグループ化を解消し、メーカー色など関係なく安い部品をどこからでも購入していく方針をうちたてたが、どうしたものかと。将来必ず品質と開発の手かせ足かせになるということを懸念していた。それが出始めているのかもしれない。

 昨日、銀座四丁目のニッサンギャラリーへ出かけてみた。そこに展示されてあったのは、真っ赤なスカイラインスポーツだった。昭和30年代にわずか60台しか生産されなかったと聞いたが、今でも通用するデザインとスタイルである。あれほどの斬新で奇抜的な開発力は何処へ行ってしまったのか。その横には、あの金太郎あめにも似た一気通関のデザインによる現在のスカイラインがおいてあった。あの誰もがほしくなるようなデザインと性能を持ったスカイラインはもうできないかもしれない。

 死ぬまでにもう一回くらいは、車の買い替えもしなければと思っている。今度は、どのメーカーのどんな車にしようか。今のところこれはと思う車は一つもない。



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