晴耕雨読を綴る。

3.11から考え方を変えた。液状化と直下型地震に脅える日々。自然の驚異を感じながらも、共生と調和を求めていく!

思えば遠くへきたもんだ。

2007-02-07 10:31:16 | 日記

 戦前生まれのわれわれ世代は、食うや食わずの生活の中から、やっと這い出し、戦後のどさくさから、朝鮮特需を経て高度経済成長、東京オリンピック、二度にわたるオイルショック、土地バブル、円高、超低金利などなどを経験させてもらい、やっとここに来て落ち着いて世の中を見渡せるような気持ちになれた。

 
今朝、自室に向かう階段を上りながら思わず口ずさんだ歌が、タイトルの一節だった。気持ち的には、距離を表す遠くではなく、年齢的なイメージを持って歌っていた。日本人は、敗戦のどん底をかみ締め、戦勝国米国の指導の下、民主主義を標榜し、援助を受け、どうにかここまでやってこれたのかと思う。しかしその中で失ってしまったものもたくさんある。・・・家族制度に始まり、最近では終身雇用など日本システムまでも。

 しかし、日本も本当に豊かになった。1ドル=360円時代には海外旅行など考えられなかったことが、今では年間何千万人の人が海外へ出かける時代となってきた。

 われわれ世代も健康でさえいれば、年に一二度は海外へ出かけられるようになった。考えてみるとわれわれの親たちが一番不幸な時代を生きていたように思う。すでに親孝行もできないうちに、両親とも黄泉路へ送り出してしまったが、なぜか大変申し訳なく、今となってはただ感謝の気持ちを表するしかない。

 明治は遠くなりにけり、明治、大正生まれの親たちは、対ロ、対中それに二度にわたる世界戦を戦い、本人も息子も戦地に駆り出され、家を守るご婦人方は、生めよ増やせよの国策の元に、耐乏生活を余儀なくされていた。鉄製品或いは金銀宝石類の供出に始まり、質素極まりない耐乏生活を強いられた人たちだった。やっと平和が来て安堵したときには、金融封鎖と平価切り替えに苦しめられた。母は生命保険など金輪際入らないと口癖のようにいっていたが、平成の世においても似たケースが起きているのだから不思議だ。

 今朝のテレビでは、出生率がこのまま推移すると年金支給開始年齢を67歳にしなければならないとかの試算を放送していたが、一刻も早く年金制度自体の改善改革をお願いしたいものだ。

 がむしゃらに戦後復興を担い、走り続けてきた年金受給者を苦しませることのないように、本腰を入れて制度の維持更新を希望したい。日本を支え、反映を図り、世界に貢献していける美しい国、日本を創造する意気込みを見せてほしい。特に、政治家の皆さんへ。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿