うろこ玉絵日記

日々のなにげない一こまを絵日記にしてみました。大阪に近い奈良県在住です。
マウスでかいてまーす。

田植え すき

2009-05-31 | Weblog
今日は朝から田植えでした。

稲刈りとどっちが好きかといえば


収穫、ということでは刈るほうが喜びはおおきいでしょうが、


水があるのと、苗が柔らかくて小さいのと
すごく静かな時間を感じるのとで


田植えのほうがより好きかなーと思います。



子どもたちも、3列×2枚はなんとか植えたのかな。
なかなかがんばっていました。



手に持つ苗の根は冷たく
田んぼの中の苗はあたたかい。


お母さん!!

2009-05-31 | Weblog
元中国帰還者連絡会の、金子安次さんの話をききに行った。

今89歳。お会いしたのは3度目くらいかもしれない。


中国大陸での「慰安婦」の強制連行に関わったと証言しており、
2000年には女性国際戦犯法廷に、元日本軍兵士のひとりとして証言台に立った(NHKでは放映されず)。


東京の住まいから、会場の横浜まで電車できたけれど、
「足腰がダメだね」と言う。
「でも、お肌がつるつるですね」
「よく言われるよ」

耳も遠いらしく、人の輪のなかで静かにすごしている。


正直、話が始まるまでは「体調大丈夫かな」
と思っていた。


話しだすと、すごい勢いで血がめぐりだしたようになって、
ほとんど立ったままで、大きな声で語りかけた。



上等兵になって手柄をたてるのが最高の誇りと思い込んでいて
「生きて帰ってくれさえすればいい」と送りだした母を、当時は軽蔑したこと。


日本では「産めよ殖やせよ」の時代、自分たちは中国で
「女は殺せ」と教わり、2,3年もたてば人を殺すことなど、なんとも思わなく
むしろ楽しくなっていったこと。


押し入った家の中に母親と子どもが隠れていたこと。



古兵が金子さんに「お前は子どもを連れて外で待っていろ」と命令した。
家からは兵隊の怒鳴り声と、女性の叫び声が聞こえた。
しばらくすると
「まったく、こいつはだめだ」と言って古兵は、女性の髪の毛をずるずると引っ張って出てきて、井戸に投げ捨てた。


金子さんが見ていると、子どもが泣きながら家に戻り、
いすのような物を持ってきて、井戸に飛び込んだ。


そのあと金子さんは命令でその井戸に手榴弾を投げ込んだそうだ。



「これが侵略でなくてなんなのか!わたしが今話したことは、ほんの一部に過ぎないですよ!

たくさん仲間も死んでいきましたが、誰一人
「天皇陛下万歳」なんて言いませんでした。
「お母さん」「おっかあ」でした。

愛国心はねえ、武器を持つことじゃない!
戦争を防ぐことが本当の愛国心です!絶対に戦争はいけないと皆さんに言いたいです!」


ちょっとかすれた声で叫んでいた。



金子さんの話をきくと、わたしはいつも、すごくどうしようもない気分になるのだけど
目のまわりが燃えるように熱くなっても、がんばって涙をせき止めている。


たくさんの子どもたち。
たくさんのお母さんたち。


昔だけじゃない。








金子さんはシベリア、撫順を経て日本に帰り、家庭を持った。
子どもが生まれ、何年かたったとき
自分のあやめた中国の子どもを思い出したと言う。



母親は、金子さんが帰ったとき
「幽霊じゃないよね」と足を触って笑ったそうだ。

そして3年後に亡くなったという。