うろこ玉絵日記

日々のなにげない一こまを絵日記にしてみました。大阪に近い奈良県在住です。
マウスでかいてまーす。

裁判傍聴パート2

2011-12-05 | Weblog
敦化の遺棄毒ガスの裁判、また傍聴してきました。
初めて行ったのは今年5月です。

この記事です。



今回は遺棄毒ガス裁判で初めて、外務省の官僚を政府側証人として2名の尋問が行われました。

元外務省職員一人と,現在の外務省中国課長です。
これは国の裁判でもとても画期的とのこと。

11時から始まり、昼休みをはさんで17時近くまでかかりました。




敦化事件は,2004年7月23日,中国吉林省敦化の郊外の村を流れる小川で遊んでいた少年2人が旧日本軍が遺棄した毒ガス弾を拾い上げ漏れた毒ガス液に被毒した事件です。

今日は、その被害が起こる前の1991年、外務省の人たちが中国側の要請で遺棄化学兵器の実態調査に行き、
さらにこの敦化事件と同じ場所で50年代に被害に遭った人と面談していたそうですから

「この悲惨な事件が起きる前に危険性は知ってたはずでしょ!」という追及を行うのが原告弁護団の目的でした。




当時の現地調査団団長も
当時通訳を行った、現在の外務省アジア太平洋局州中国、モンゴル課課長も


被害者には会ったかもしれないが記録もメモもない・・・
写真は撮ったかもしれないが定かでない・・・・
調査には行ったが、日本軍が兵器を遺棄した場所は広大すぎて特定できない・・・・
具体的な場所を中国側から示されてないし、調査も頼まれていない・・・・


などという回答でした。



たとえば、もし自分の庭に、だれかが毒をまいたとしたら
誰が回収するべきなんでしょう??

そしてその毒をまいた人が
「たくさんまいちゃって、どこだかわかんないから探せない」
と言ってほったらかしにしていたら、やっぱり子どもが生涯苦しむ被害を受けてしまいました。
でもその毒をまいた人は
「あのとき探して処理してって頼まれてませんから」
って責任のがれをして、それが通用してしまう。

考えてみれば、放射能まみれのこの国は今の問題も、そんなふうにすでにのがれている。




ああ、こうやって、
戦後責任も、公害も、医療過誤も。
命がふみにじられていくんだなあ。


なんの良心の呵責もないかのように
「被害者と会ったことはほとんど覚えていない」
「50年代の被害者なんてあまりにも昔で信じられない」
「被害者の(骨まで腐食した)傷は見たかもしれないが、それはわたしたちの本来の目的とは違う」
などと言ってのける。


ふつう、ただ「あなたの国の棄ててった兵器片付けてください」と言われるより
こんなに被害者がいますよ、と言われたほうがすごい印象に残るとおもうけどなあ。

半信半疑でも、一応、本当かどうか確かめたり
診察を受けてもらったり
その人たちが「地面から砲弾が突き出てますよ」という場所を調べたり
するとおもうけどなあ。


調査団は帰国してからとくに指示をだしたわけでもなく
結局甚大な被害を出すまで手をこまねいていたのか。

いままで多くの市民が勇気を振り絞って声をあげ
このように踏みつけられてきました。人の痛みを想像もできない人間たちに。
その現場をつぶさに見られました。






以上、今日の裁判の感想でした。
つたなくてごめんなさい。
次回はいよいよこれが最終!
来年2月13日月曜日です。

東京地裁103号法廷(大法廷)ですよ!!