うろこ玉絵日記

日々のなにげない一こまを絵日記にしてみました。大阪に近い奈良県在住です。
マウスでかいてまーす。

よこすか軍港めぐり

2010-02-13 | Weblog
に、友人と行ってきました。


あいにくの天気でしたが、船に乗っているときは、雨はあがっていました。



『アメリカ海軍第7艦隊と海上自衛隊の艦船基地を間近に見ながら横須賀の港を船でめぐる

日本でも唯一のクルージングツアー! タイミングによってはアメリカ海軍のイージス艦や

原子力空母ジョージワシントン、海上自衛隊の様々な護衛艦や南極観測船しらせの姿も

見ることができる、海の魅力が豊富な『横須賀らしい』45分間のクルーズとなっております』


と、このクルーズ船の会社「トライアングル」のHPにはあります。
船乗り場は、京急汐入駅から徒歩3分のダイエーショッパーズプラザ横の桟橋で、とてわかりやすいのでした。

11時から14時まで、1時間ごと毎日計4回の運行だそうで、大人は1200円です。



横須賀は子どものころ、両親に連れられてどぶいた祭りに行った以来なので、
ほとんど覚えていませんが
網で焼いたスペアリブが売られており
「やっぱり近所の商店街の縁日とちがうなあ」と妙にアメリカを感じた記憶があります。
食べ物はよく覚えてるね!


たしか弟はそのとき、米軍の、カーキ色の工具箱のようなものを買ったのでした。
喜んでプラモデルとかをしまっていたと思います。
そのときはなんとも思わなかったけど
今思うと、なんだかなー。今だったら絶対買うの阻止だなあ。




クルーズ船に乗る前から、海には灰色の軍艦が停泊しているのが見え、
わたしほんとにこれから乗るのかな・・・と心までちょっと灰色だったのでしたが
なにごとも経験だ!と寒さとキンチョウの中乗りこみました。


米軍施設と海上自衛隊の施設に囲まれた横須賀本港を出、湾をすこし周って、
長浦湾の細い水路(昔海軍が作ったそう)を通り、再び桟橋へ戻ってくるこのコース、
思ったよりヘビーで(見ごたえも船酔いも)、胃袋も頭もぐるぐるで下船しました。



船が波を進むにつれ、本当に、パノラマのように
潜水艦、イージス艦、原子力空母「ジョージ・ワシントン」などが次々に現れます。
こんなにすごいことになっているんだ。知らなかった。軍都という言葉がじわり。
桟橋からはほとんど見えなかったのにね。


イージス艦は
「3隻あれば日本全土がミサイルから守られるといいますが
9隻もあります!」
と船内のガイドさん。亀の甲型のパネルがレーダーで、それが他の艦と見分ける特徴だそうです。


ジョージワシントンは
「全長333メートル、東京タワーを横にしたのと同じです」
山や建物の陰になるように、隠して繋留するそう。
超巨大なのでしょうけれど、遠くにあるのでなんだか遠近感がへんな感じです。

甲板は空っぽに見えました。飛行機は厚木に行っているのでしょうか。
空母が全速力で疾走し、その向かい風を利用して飛行機は飛び立つのだそうです。
勝手に飛べるんじゃないんだ。知りませんでした。


収容人数は何千人だったか?
やっぱり空母が来ると街はすこしは賑わうのかな・・・。





インド洋における海上補給支援活動から帰った護衛艦「いかづち」
ソマリア沖の海賊対処から戻った「はるさめ」、
役割はわすれましたが
「はつゆき」「しらゆき」などなど、いろいろな護衛艦、掃海艇が見られました。
ガイドさんは丁寧に解説を続けてくれます。


そして去年3月就役した、ヘリコプター搭載「護衛艦」ひゅうがも船尾から見ました。
ジョージワシントンよりは小さいけど、でも大きいです。




最後のほうは
もう、船酔いであんまり記憶できない・・でもこんなたくさん船あるんだ・・
とむかむか、くらくらしていました。倉庫の島には日本とアメリカの二つの旗が
「元気よくはためいて」(byガイドさん)いました。

でもおぼつかない頭で考えたのは
あまりにもこの「護衛」、過剰なのではないかということ。
新しい武器や兵器はどこで試すの?
そしてどこに向けてそれは発射したり発揮したりするのかな?


わたしは
「もうなんにも兵器はいらない!」派なので
夢みたいなことイッテンジャネーヨといわれるのですが
それでも100歩ゆずって(100歩じゃむりかも)
「必要最低限の守備はなくちゃ!」という人の気持ちになろうとして想像してみます。

・・でもやっぱり・・・ちっとも最低限じゃないとおもう・・・。



神奈川県に住みながら、基地や米軍のことにあまりにも鈍感でした。
基地と共に、長いこと生活や商いを営み
切っても切り離せない思いで暮らしている人たちもたくさんいるでしょう。
重々しい軍都のイメージから、明るい観光資源としての転換が積極的になされ
偏見や先入観をもたない人たちが多く訪れているのかもしれません。

でも、これからもずっとこの状態が続くとは思えない。


アメリカとの共存というけれど、圧倒的に利益を得ているのは、向こうなのだし。
「9・11には横須賀のアメリカ国旗は半旗になります」とガイドさんは言っていたけれど
その喪を旗印に、アメリカ軍は世界中を戦場にしているし、
若い兵隊たちの心と体を破壊している。





わたしにはなにができるかな?


軍港めぐり、されたことない方、行って見て来てください。





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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ありがとう (smat)
2010-02-13 20:05:50
本当にありがとう。私はその時間芝浦に居ました。若い方がしっかり悲惨な光景を想像していただけること、嬉しく思います。ありがとう。
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smatさま (うろ子)
2010-02-14 10:21:06
ありがとうございます。
いつももっとうまく書きたいと思うのですが。
上達しません。

芝浦ですか。
お肉の情報館という施設が、食肉市場の中にあると聞いています。
行ってみたいです!
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おつかれさま (ほい)
2010-02-14 20:58:45
船酔い、お疲れさまでした。

私は今日、目取真俊氏の下記の記事を読みました。

野中氏には筋を通す頑固者のようなイメージをもっていましたが、
こんな人なのかとあきれたのでした。

海鳴りの島から沖縄・ヤンバルより…目取真俊 野中広務氏の〈提言〉なるもの

http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/20511055f040a6689d8aa2193c41c824

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ほいさま (うろ子)
2010-02-14 22:10:34
コメントありがとうございます!


わたしも野中さんは
被差別出身かつ戦中派で、
戦後生まれの政治家とはちょっと違うナーというイメージでみていたので
「へ~!そんなことがあったんだ」と興味深く読みました。

沖縄の人の痛みには鈍感なのでしょうか?
そもそも、基地なんて沖縄にある意味があるのでしょうか。
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