心臓が静かってのはやっぱりいい
調子が良ければ1階から4階まで一気に
調子が悪くても1階ずつ
間をあけて必ず階段を上ります
理由は主にこのためですね
大方の滝は遊歩道の先にあって
滝に至る道は平坦ということはあんまりないんですよね~
せめて階段くらい上れなきゃ滝は撮れません
暴食のツケは支払い済み
ネイチャーフォトグラファーもどき
心房細動男で~す
朝焼け・夕焼けは自然が作り出す芸術作品の中でも
最も身近に見れるものです
それを写真に残すことは世界中で行われてますが
これ写真?
って驚くほどキレイというか不自然なものも少なくないですね
(特にインスタ 写真というよりアートの集合体だと思いますよ アレは)
どこまでが写真か?
ってのは結構議論になってて、解釈は人それぞれです
カメラの撮って出しじゃないと写真ではない派
カメラ上で設定を追い込んで頑張って撮ったその成果だけが写真だ
という主義ですね(この写真はRAWで撮ってますが、そのままJPEGにしたもの)
厳格な写真のコンテストなんかはRAWで提出となってるんで
本当にカメラが捉えたありのままの光の芸術だけが写真ですよ
と宣言されているようなものですね
これはまあ当然と言えば当然ですが
RAWで撮って明るさや色調なんかを整えるのはOK派
1枚目の写真を調整した写真です
1枚の写真を自分のイメージ通りに調整して作品の完成度を上げようという考え方ですね
この写真の動男の目指すイメージは
朝焼けの赤をより赤く、空はより青っぽく、朝焼けを強調したいので露出はかなりアンダーに調整
人の目には絶対にこんな風には見えませんが
このくらいまでなら写真と呼んでいいじゃねという主義で
動男もこのタイプです
これは現在の主流ですね
次に合成作品ですが
下の写真は同じ景色を異なる時間で撮影して、いいとこどりするタイプですね
比較明合成と呼ばれるヤツで
地上の景色と暗い星とか
明るさが違いすぎる被写体でも一緒に表現しましょうって考え方です
普通は星に合わせりゃ景色は白飛びしますし、景色に合わせりゃ星は写りませんから
これは写真ではなくアートですよね
ただし、実際にその場に行って
異なる時間に同じ構図で実際に写真は撮ってるので苦労はしてます
個人的には評価できる立派な芸術作品だと思います
もう一つの合成作品は全く異なる写真を合成するタイプで
https://tklandphoto.com/wp-content/uploads/2020/07/luminar4sky-1.jpg
AIで簡単にアートが作れるというヤツです
キレイなら何でもいじゃん的考え方とでも言いましょうか
カメラすら使ってないのであれば、個人的には論外です
もちろんアートとしては全然ありですよ
ただし写真の写の字も使ってほしくはないですね
まあ自分で撮った写真を合成するのであればね
何が問題なの?って考えられなくもないです
ですが、こう考えたらどうでしょう
例えば、富士山の火口にお月様が乗っかってるように見える作品があったとしましょう
もし、本当にこの写真を撮るとしたら?
月が火口と同じ大きさになる距離を探して
月が火口にかかるアングルになる場所を見つけて
自分が欲しいと思う月齢の日にその場所に行って
火口に月がかかるまさにその時刻に富士山山頂が晴れている
これだけの条件が揃って初めて狙った作品が撮れるわけです
本当に、こうやって撮った写真ならすごい作品です
事前の下調べという努力や偶然という要素が重ならないと目的は達せられませんから
ですが、富士山と月を別々に撮って切って貼ったら?
これがまさに合成の罪と言えるものです
苦労してる風
動男が評価したくないのはまさにコレ
動男は努力した末に撮った(撮れた)感動を味わいたい派であって
やはり作り物はどんなにきれいでも、所詮は作り物って思っちゃいます
話は飛んで
Nikon Z6Ⅱについての何かしらの発表まで、あと1週間を切りました
40万用意しとかなきゃね