日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

礼拝メッセージが楽しみ

2017-09-10 08:02:49 | 日記
「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい。それが、あなたがたのなすべき霊的な礼拝である。」ローマ12:1bc



今日は主日礼拝の日。世界中のキリスト教会が礼拝を持つ日です。この爽やかな朝、メッセージを楽しみに待つ自分がいます。教会生活の長い私がメッセージを待つという気持ちになったのは20年ぶりか?こういった気持になれる最近の自分を喜んでいます。



今の牧師先生は大変ご苦労されて来た方。その苦労が皆メッセージに繁栄され、人々の心に沁み渡るのです。それにより心が元気になり、1週間嫌な事でもプラスに変えられ、涙が出る程、イエス様!と祈る事もあります。



またイエス様と牧師夫妻がこんな私でもどこかで心にかけて下さっている、と実感できるのです。随分長い間、イエス様にはいつも身近で支えられているとは思って生きてきましたが、この世の牧師夫妻に心にかけて頂いてるとは感じられなかったですから嬉しいですね。別にチヤホヤでは全くなくて、何となく感じられるのです。感謝です。



人間の愛は微々たるものですが、神と人に仕え様とする気持ちは伝わるものです。そういった気持になれる人は僅かですが、私は今そんな環境にいる事を赦されている。これも主の導きでした。



腰骨が狭くなり軟骨が骨盤まで出ている私ですが、接骨院の先生に対応を教えて頂きました。グンとうつ伏せになり、頭を伏せて、腰骨が伸びる姿勢に1日に何度かしたらよいそうです。

上の言葉
そもそも礼拝とはなんでしょうか。それは神様が全てのものの主であり、支配者であり、私達は神様のものであることを告白することです。「ささげなさい」と言われますが、そもそも自分のものではありません。自分の体も含めて、家庭も、仕事も、家族も、ことごとく神様の所有です。そのことを徹底して認めようではありませんか。(KE)