日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

古くからの秋の花

2017-09-29 09:05:10 | 日記
「こうして主のしもべモーセは主の言葉のとおりにモアブの地で死んだ。」申命記34:5



すっかり涼しく秋らしい今日です。どこかへ行きたい気持ちですが、術後5日間は余り動き回ってはいけない、と言われて来ましたので、まだ炊事程度です。公園に古き秋の花が咲いていました。萩やおみなえしです。忘れそうな地味な花ですが、古くから秋の花として有名ですね。萩は我が家にも1本ありますが、秋が済めば根っこから刈り取りますが、翌年長く伸びて不思議な花です。おみなえしは京都の寺に植わってるのでしょうが、目立たないですね。ややもすれば見過ごす花です。



運動不足で体が疲れていないのか、夜の寝つきが悪い。体も疲れがないと寝れないものです。夜遅くに寝たものですから寝過し!夏着から1枚羽織る。こういった季節は心地いいものです。



萩のアップですが、下手な撮り方です。



おみなえしですが、下手だな、と思いつつも掲載。花写真の先生が萩やおみなえしは撮らない、と言ってられましたっけ。難しさがあるのでしょう。UPにしてもはれだたないです。



モーセと言えば映画の十戒。学校からの映画鑑賞が初めての出会いですが、見て魂げましたね!キリスト教って凄い、と思ったものです。旧約聖書の初めに大きな密度で書かれています。素晴らしい方でした。
今年イスラエル旅行の死海からヨルダン側を見ればそこがモアブです。その時は旧約聖書の世界に来てるのだ、と感動を覚えました。またモーセがイスラエルの民を率いてカナン(今のイスラエルの地)に帰る途中に、砂漠のアブダッドの泉に来ています。そこからは直ぐにはカナンにはいれず、40年間もシナイ半島の砂漠を彷徨う事になり苦難があったのです。

上の言葉
モーセは神の民を約束の地、カナンへ導いて来ましたが、そこへ入ることが出来ませんでした。一大事業を完成させる直前に召されるなど、実に無念残念という感じがします。しかし、この事業はモーセのためではなく、神様の事業なのです。彼はその補助者に過ぎません。私共も同様に神様の壮大なドラマの一こまとして生かされています。使命が終わると、退場するほかありません。人情の入る隙間のない神様の厳粛な摂理です。(KE)