日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

朽木 2

2016-08-22 08:20:49 | 日記
私たちは舌をもって、主であり父である方をほめたたえ、同じ舌をもって、神にかたどって造られた人をのろいます。(ヤコブの手紙3章9節)



毎日暑くてへばりそうですが、間もなく涼風がやって来る事を期待しつつ用事をこなしています。朽木の林の中を走っていますと、所々に集落とは言えないですが、ほんの少ない家の集まりがあります。何度か撮った民家がありました。以前は本当の茅葺が多かったのですが、今やスレートか瓦に殆どのお家が変わっています。鬱蒼としてるのと、国道へ出れば、レジャーセンターが多くあり、お店も多く、若者の行き交いも多いのが在原と違った雰囲気と思います。ひっそりと穏やかに佇まう在原との違いです。







住めば都で、毎日生活していれば、慣れて何ともないかも解りません。むしろ気楽でいいでしょう。





所々川が見えます。







民家には花を植えてられほっとしますね。



上の言葉
(クリスチャンとして反省する言葉ですね。こうして私も神様、、、と祈りますが、そのまま人の悪口を話す場合も時にあります。これって人間の原罪が取れない浅はかさでもあります。しまった!と思うのです。そんな時神に謝りまます。何と足りない者でしょう。だから何度も悔い改めが必要なんです。)

朽木へ

2016-08-21 07:56:54 | 日記
あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。(詩篇55篇22節)

今日も暑くなりそう。台風も来て日本列島困った現象です。8月8日滋賀県在原から朽木村へと向かいました。もう13日間も過ぎたのですね。在原は北西で県の端。そこから朽木は同じ北西ですが、かなり南下して京都市北部との県境です。方向音痴で滋賀県にはそんなに詳しくはないので、ナビに朽木の道の駅にセット。何とかそこからはほぼ解りますから。安雲川の沿った所は国道。この辺りはお店も多く、観光化しています。橋を渡り山奥に入ると、景色は一転、過疎の村というか寒村になります。



夫がこの村が好きなんですが、行け行けども、山、林、たまに少しの農地、が延々と続きます。こうして夏に来たのは初めてですが、やはりここは雪風景が似合います。凄い寒さですが。夏はやはり少しは涼しいです。川の支流の風景がありますが、水が極少ない!やはり夏ですね。水が無くては、、、









水が無くて、小川の様になりましたが、この川も雪の時は綺麗なんです。







やっと平地のある場所に出ました。何故かほっとします。



ここは杉が大変美しいと思いますし、よく手入れされています。

上の言葉
(誰でも皆、心配ごとや、やらなければならない出来事、苦労がありますが、これをすべて、イエスは私に委ねなさいと言って下さる。くよくよ思っていても仕方ない。全て祈ってイエスに委ねましょう。いやいや、そんな事委ねられない!と思う人が多いかも解らない。でも委ねられる人は本当に楽になるのです。恵みですね。)

琵琶湖畔

2016-08-20 07:16:43 | 日記
心の貧しいものは幸いです。
天の御国はその人のものだからです。




みずの森の北端はひっそりと静かで美しい湖畔です。



釣りをする人がおられました。何と向こうに琵琶湖大橋が見えます。





少しばかりの蓮がありました。



水草も生えています。



向こうの蓮の群れを望遠で引っ張れば、何と蓮の花が2輪咲いてるじゃないですか。群生地には全くなかったのに、不思議です。



波の揺れを感じつつこの場を離れました。

上の言葉
(心の貧しい人とは、霊的豊かさというか、救いを求めて飢え渇いている人をいいます。知力、権力、財力に関係なく、そういう人は飢え渇いた心に御言葉が入って行きます。誰であるか、それはイエス様のみが知るのであって、解らないですが、そういう人は天の御国っを相続します。)

熱帯水連

2016-08-19 08:54:11 | 日記
あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、楽しみがとこしえにあります。(詩篇16篇11節)



大雨が降り涼しさがやって来た!期待しましたが、束の間でした。猛暑復活。堪りません。少し気分転換して、先日の水の森をの水連を楽しみたいです。館内の温室に熱帯水連が常時あります。日本水連とは少し違いますが、可憐な花と思います。





館内で花に近づけないですが、マクロでなく普通レンジでパチリであります。タイの産地と書いてました。



4姉妹でしょうか。背が高いですね。



花のUPばかりでなく、葉が横に広がっていてなかなか面白いのではと。



ほぼ放射状に広がっていますね。



多くは撮らなかったですが、ここから蓮群生地へ行こうとしたのですが、残念ながらなにものかに食われ全くありませんでした。どうしてでしょう?

上の言葉
(聖書には命というものが切々と迫って来ます。健康は命を大切にするのであり、心の健康も大切です。せっかく与えられた命、大切にしたいものです。まだ信仰がない時は命は神から与えられたものであるとは知らなかったです。かってにあって、命は自分の意のままになると思っていました。また命を、自分を呪った事もあります。間違いです。神から与えられ、それが解ると、本当の喜びが湧き出て来ます。それが解ると楽しみが幾倍にもあります。180度変わりいのちの喜びが溢れます。)

廃校をあとに

2016-08-18 08:30:04 | 日記
イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。(ヨハネの福音書14章6節)



在原へ初めて来たのは15年位前でしょうか?当時からこの廃校があった気がします。日本の所々でこういった廃校が多くなり、學校併合が多くなりましたが、見ていて侘しいですね。





子供達が多く集っていた当時はどんな賑やかさだったのでしょう。きっと茅葺もしっかりした建物だった事でしょう。ここは分校と書いてますから、本校はマキノ町のどこかにあるのでしょう。でも学校と名のつく所はしっかりした建物です。親の思いが込められてます。



白い雲が当時を彷彿とします。



集会所だと思います。いろんな会合に使われているのでしょう。





花々が慰めてくれます。







まだまだ知らない場所もあるのですが、この位で、在原からサヨナラして次の朽木へ向かいました。

上の言葉
(この世は必ず滅び終末が来ます。これは私はクリスチャンになる前から感じていました。アダムが罪を犯し、ズーと醜い罪深い世になりました。人類の救いの為にキリストが来て下さって、十字架による贖いをして下さいました。キリストを信じた人だけが天の御国へ行けて、永遠の命が与えられます。キリストを信じない人は永遠の命が与えられないのです。その為に私は少しでも永遠の命を持つ人が増し加わるように、拙い文で、ブログを書かせて頂いています。)