日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

初めがあり終わりがある。

2018-02-07 22:01:43 | 日記
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。(伝道者の書3章11節)



拙い写真ですが、自分はいつまで写真をやってられるかしら?とよく思ったものです。しかし目の難病を患い7年がたちました。私は何とかまだ出来ますが、夫の体力が年と共に落ちて行きます。まだ元気ではありますが、写真の情熱は少なくなっています。また好きな場所で木の選定や花の育成を好んでいます。今まで琵琶湖や旅に出た時は殆ど夫の運転でしたから、随分世話になったのだと改めて夫に感謝です。

私も眼が良ければ宇治田原や醍醐、城陽、等々行けますが間もなく運転免許を国に返納の時期が近くなっています。タクシーで宇治の観光地や植物公園には行けるのですが、その他は無理になりました。凄く残念です。ホームページを立ち上げ15年を経ました。早いものですね。多くの方たちとの交わりは世界を広げ大きな喜びです。

最近、殆ど更新もしないホームページでしたが、生きている限り残していたいものです。ブログは私の生きがいであり、また教会やキリストを少しでもお伝えしたい気持ちが大きく、このまま続けたいです。写真はホームページの蔵から出して更新しようと思っています。また琵琶湖や旅に出た時、宇治田原へ行けた時、花を撮った時にはその都度更新します。

眼が悪くなるまでは掲示板をしていて、元気に楽しくやっていましたね。楽しい思い出です。徐々に縮小して今やブログだけになってしまいました。でもこれからもがんばりたいです。唯写真だけが過去のものが多くなりますが、よろしくお願い致します。



水仙も雪写真も6年程前に宇治市で撮ったものです。


冬の薔薇

2018-02-07 10:35:25 | 日記
「そこでザアカイは急いでおりてきて、よろこんでイエスを迎え入れた。」ルカ19:6



薔薇は年中咲くと聞きますが、冬はこの厳しい寒さで色褪せ萎縮しています。でも何とか強く生きてるのを見るのは嬉しいですね。





宇治植物公園の薔薇園は小さいですが、殆ど誰も来なくてゆっくり安らぐのは丁度いいです。行った日は1月12日でまだ温かみがありました。今の厳しい寒さではどうでしょう。快晴ではありますが、何と気温が低いのでしょう。





春の薔薇が最も美しいですが、冬の薔薇は木も茶色で侘び錆の世界?





春の為に薔薇園の装置をかなり変えられた様子です。



今は朝夕の風景しかこれという被写体もなく、バーバである私は炬燵の中。トホホです。



まだ週の内、3度は人とのお交わりがあるのだ感謝しなきゃ。

上の言葉
ザアカイは強欲のゆえに多くの人から嫌われていました。彼の町に来られたイエス様が、思いがけず彼の家に泊まったのです。愛されたことのない彼にとって、これは彼の心の琴線に触れる事態でした。主は一言も言いませんが、主の愛に感動した彼の生活態度は全く変りました。イエス様は人の心の奥深くに届いて、心を造り変える方です。心が変われば生活が変ります。私たちも「よろこんで」主を迎えましょう。(KE)

撮影 1月12日 宇治植物公園



園内

2018-02-06 09:31:23 | 日記
「この民に行って言え、あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。見るには見るが、決して認めない。」使徒28:26



マイナス気温で厳寒なのに晴れ続き。雪でも積もれば外へ出かけますが、今年はまだ積もりません。どうやらいくら寒くてもこの内陸は雪雲も避けて通る様です。1月12日の宇治植物公園内です。



今の宇治植は水仙や菜の花が咲いてるとは思いますが、グーたらして家で閉じこもっています。午後は用事で出かけますが。





池に温室のチューリップを浮かべているのでしょうか。早く地植えのty-リップが見たいですね。



山茶花だけはしっかり咲いていました。

上の言葉
 「見ても見ず、聞いても聞かず」と世間でも言いますが、人は勝手なもので自分に都合の良いことだけしか見ようとも、聞こうともしません。耳に痛い言葉を避け、かかわりを避けて目をそむけます。そうである限り、人は変ることが出来ず、新しくなることもできません。神様の言葉、みことばをえり好みせず素直に受け入れましょう。痛い言葉にこそ神様のみこころが語られているからです。(KE)





蝋梅

2018-02-05 09:42:09 | 日記
「人にへつらおうとして目先だけの勤めをするのでなく、キリストの僕として心から神の御旨を行い、…」エペソ6:6



「寒い!」が口癖の日々。今週はまだこんな日が続く様です。まだお正月の花が生き生きしてますからね。普通なら1月20日には捨てるのですが、まだ居間にあります。台所に多く過ごし居間は余り使わないからでしょう。
この蝋梅は1月12日に宇治植物公園で撮ったものです。咲きかけでもありますが、この花は顏を見せてくれないですね。もう少し開けばいいのですが。



孫のNちゃんはB型インフルエンザ。前はA型だったので、學校でよくもらって来ます。もう元気ですが、ママは疲れます。空気中に数えられない位のばい菌がうようよ。こうして免疫が出来て大きくなればいいのですが。



色のないこの時期。蝋梅でも少々の色彩を醸し出してくれてるでしょうか。



昨日の礼拝後の食事は三色丼にすまし汁、食後にお菓子にコーヒーで大変おいしい。これで100円ですからね。牧師夫人がいつも作って下さり、よそったり配膳、食器洗いは有志でしますが(別にしなくても良い)お交わりが大変楽しいです。こんな教会あるやろか?と思いますが、若い人は5時頃まで遊んでいます。



我々は3時過ぎに出ましたが、その足でスーパーへ。こう寒くても食事作りはやらなきゃ。
平凡な日は過ぎていきます。平凡さが幸いと、主に感謝です。

上の言葉
「救われる」とは「キリストの僕」になることです。どうしてそのようなことが「救い」だろうかと思われますが、神様に仕えることこそ人の存在理由だからです。「キリストの僕」となりきるとき、あなたは真の人として生きることが出来ます。しもべは主人の意図を忠実に実行します。これが人であることの価値です。今日も、人にではなく、主に仕える一日を送ってください。人として生きるために。(KE)





別れを惜しみつつ

2018-02-04 01:39:25 | 日記
天の下では何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。(伝道者の書3章1節)



少し赤味が差して来た様です。良かった。折角来て鬱陶しい情景だけでは辛いですから。
以前は年に何度も来ましたが最近では年に1度来れたら良い方なんです。天候に合わせて来てないので全然納得のいくものが撮れていないです。でも来れた事が涙が出る程嬉しいです。



息子のお陰です。また連れて来てくれるかな?最も美しい秋は息子も仕事が忙しいので期待は出来ないですね。



この尾上も初めて来た頃とはものすごく変わりました。小さな丸い浮島は何処へ行ったのでしょう。また手前の木立も台風か何かで倒れました。少し南の湖に突き抜けた林も木がまばらです。漁場もかなり変化しています。そういえば湖西の有名な木も折れて今や哀れです。



この近くに住むカメラマンさんはこの風景を毎日程見れて、風景は毎日変化しますから面白い事でしょう。



湖岸道路を走り、帰路につきました。

撮影 1月13日 滋賀県 長浜市 尾上