日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

花の女王

2018-05-19 09:09:44 | 日記
「呼ばわる者の声がする、『荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神のために、大路をまっすぐにせよ』。」イザヤ40:3



バラの見頃です。やはり花の女王。マリーアントワネット
やロザリー、オスカルなどを想像できる薔薇があります。
花の世界も人生と同じ。紆余屈折がありますね。



荒野は砂漠ですが、昨年にはよくイスラエルへ行ったものです。
今では危険があるかも。旅行社の人はキケンと思える時期でも
出発すれば、平和だったとか。報道ではガダ地区をやってますが、
そこはいつも闘いです。イスラエルんの兵器が優秀なので、
イスラエルの被害は少ない。ガダ地区側からの攻撃で、それの報復
ですが、中東の国民性や感情は難しくてわかりません。



砂漠で唯一感心したのは不毛の地と思われるのに、畑やナツメヤシが
造られ、うまく利用されていた事です。

上の言葉
「荒野」、「さばく」などは、人の住まない地、慰めも潤いも喜びも無い地です。時に、そのような索漠とした事態や状況におかれます。そこには絶望しかないでしょう。しかし、そのような中で、まず神様に対する姿勢を整えること、これが求められていることです。今、荒野やさばくのような中にあるなら、絶望して投げ出す前に、神様をどのように信頼し、どこに置いているか、点検しようではありませんか。(KE)



里山

2018-05-18 08:59:57 | 日記
「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」詩篇119:71



16日から蒸し暑くて堪らないのです。これまで30度
以上もあったのですが、私の体が変なのか感じなかった
ですが、湿気が多いのでしょうか。



美山は10年前も今も殆ど変わらないと思いますが、この時は
HPのはUPしてないのです。当時は眼も良くよく撮影に
行きました。高雄を通るので高雄の画像や美山資料館だけでなく、
美山町をぐるぐる回った記憶があります。



今は京都縦貫道路が出来、随分楽に行けるでしょう。北山杉があって
山深く情緒の溢れたところです。

上の言葉
苦しみに遭うのは不幸だとか、人生を無駄にしたと嘆きます。だから、だれでも苦しみに遭いたくないと願っています。しかし、人生を考えると、その大半は苦しみの中で過ごしているように思われます。それは神様が備えたことであり、苦しみを通してしか味わえないもの、得られないものがあるからです。このみことばのように、神様のこころを知ることが出来ればどんなに幸いでしょうか。(KE)


鶯の声

2018-05-17 08:14:31 | 日記
「信仰の戦いをりっぱに戦いぬいて、永遠のいのちを獲得しなさい。」第一テモテ6:12a



今朝は鶯の声が美しいでした。この辺りは以前は里山。京都市周辺は
小高い山が多く、里山が多いです。この画像は10年前の美山です。
何度か行きましたが田植え時は初めてだったと思います。



美しい花々が咲いていました。



今日は出かけなきゃ。

上の言葉
信仰生活には困難や苦しみは無いと思われがちですが、むしろ逆です。信仰のゆえに戦いや困難があります。また、その戦いを勝利しなければ信仰の結果なる永遠のいのちに至る救を得ることができません。ただし、戦いの場は事情や境遇など外的環境ではなく、自分のうちに働くサタンの力との戦いです。信仰に立とうとすると、同時に神様から引き離そうとする力が働くのです。この戦いは生涯続きます。今日も永遠のいのちを目指してサタンに勝利してください。(KE)


十字架の深い意味

2018-05-16 09:46:15 | 日記
「十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。」エペソ2:16



昨日は聖書の学び会で、今まで気にしなかったことを学ばせていただきました。
イエスが十字架にかかられ、様々な出来事がありました。その間、酸いぶどう酒
(痛みを和らげる麻酔)も飲まず、むごたらしい十字架の最も苦しい刑に耐えられ
人々の為に祈り死で行かれました。
6時間での死は早いのです。兵士が念の為に死なれたイエスの死体に槍を突き刺した。
そうすれば、血と水だ流れ出た。

普通死んで心臓が止まれば血は流れ出ない。イエスは普通の処刑でなく、酸い葡萄酒
も飲まず、すべての苦しみを受けられたのです。心臓が破裂の状態だったのです。
我々の想像とは遥かに超えた苦しみを受けられたのでした。



カルバリ山の十字架の血は人類のすべての罪の赦しをさし、水は新しい永遠の
命の水を示します。

上の言葉
十字架は平和と和解をもたらす源です。人の心には「敵意」という積乱雲が常にわきあがってきます。その始まりは神様への憤りです。受けいれられない現実、納得できない事態や状況など、人は常に不平不満の塊になります。そのような神様との対立を解きほぐして、神様の御心に添い、それを喜ぶ者へと変えるのは十字架による以外にありません。(KE)


廃車

2018-05-15 08:27:57 | 日記
「十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。」エペソ2:16



いよいよ明日には我が愛車(軽)を廃車にします。運転歴50年。
怖がりだから遠くは行けないですが、北は京都市、東は宇治田原、
西は長岡京、南は城陽位しか走ってないですが、最も役だった免許でした。
若い時には農業を継、重い米30キロを運んだものです。また
両親の介護。子供の保育園への送迎。医者通い。車に乗れてよかった!
写真にも大変役たちました。風景写真には車は不可欠です。
夫がたまに連れてくれますが、夫の好みの場所に行きますから、
私の写真が撮れないと思い、写真の情熱も冷めます。花は近いので
撮りますが。



自転車は怖いので何等か乗り物を手に入れなきゃ。
思案中です。



気力だけは残さなきゃと思っています。

上の言葉
十字架は平和と和解をもたらす源です。人の心には「敵意」という積乱雲が常にわきあがってきます。その始まりは神様への憤りです。受けいれられない現実、納得できない事態や状況など、人は常に不平不満の塊になります。そのような神様との対立を解きほぐして、神様の御心に添い、それを喜ぶ者へと変えるのは十字架による以外にありません。(KE)