切られお富!

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11月歌舞伎座、第三部&第四部を観てきた!

2020-11-14 18:02:32 | かぶき讃(劇評)
もう11月。顔見世ですね。ということで、観てきました。今月から筋書販売してます。では・・・。

第三部は、白鸚の「一條大蔵」。またかという気もしましたが、白鸚元気でした。この演目を得意にしている吉右衛門、仁左衛門と比べれば、このひとの大蔵卿は芸風的に歳とって見えるんですが、立派は立派ですよ。ただ、途中、随分息遣いが荒くて、さすがに心配にはなりましたが。でも、いきなり御殿からだと、この芝居も案外味気ないなとは思いました。門前のやり取りがないと、鳴瀬なんか生きてこないし、大蔵卿の作り阿呆のフワフワ感も出てこない。そういう意味では、上演上の事情はあるにせよ、ちょっと残念な形という気もしましたね。

脇役が今回はベテラン揃いの中、一人だけお京の壱太郎だけ若かったのですが、不思議と違和感なかったです。台詞回しなんかむしろ落ち着いた感じでしたし、若い一座で同じ役をやったらまた違うのかもと思ったりして。魁春の常盤御前、鬼次郎の芝翫、勘解由の錦吾、鳴瀬の高麗蔵と危なげないメンバーで、返す返すも短縮版だったことが残念でした。

次が、今月期待の一幕、獅童の「義経千本櫻 四の切」。コロナ下とはいえ、獅童も顔見世の最終幕で狐忠信を演じるところまで来たかと、歌舞伎ファンとしても感慨深いですね。劇評では、渡辺保さんが絶賛で、中川右介が否定的だったのが面白くて、わたしも注目してました。で、感想ですが・・・。

良かったです。獅童の狐忠信はどこか歌舞伎らしからぬ生々しさを感じる忠信でした。本物の忠信の時の凛々しくピンとした感じもよかったんですが、狐の方の生々しさは、粋でいなせな「芝浜」を拒否した談志の「芝浜」のおかみさんを思い出しました。こういう、ちょっと歌舞伎の様式をはみ出したくらいの芝居は、案外なかなかお目にかかることがなくて、胸を突かれました。クラシックファンなら、晩年のバーンスタインのチャイコフスキーのシンフォニーみたいと言えばよいでしょうか!(もっとわからないか?)

というようなわけで、大いに感動したわけですが、中川右介が書いている、体が重いという件についてひとこと。

以前、今の鴈治郎や又五郎が歌舞伎鑑賞教室だったと思うけど、狐忠信を演じた時、さすがに橋掛かりのあたりの所作は体が重そうでした。でも、これは当然のことで、あのアクロバティックな所作を中高年くらいでやれば、普段鍛えている役者でも大変なのは当たり前。でも、この二人は東西の芸達者の代表でもあるので、芝居は実に重厚なものでした。やはり、若い時からこの役をやっている役者と比べるのは酷だと思います。また、そこをこの役の重要ポイントだと思っているのも外していると思います。

また、若い時の獅童の力みかえった熱演でなく、今回は実のある芝居で、「あらしのよるに」の経験が生きているのではとも思いました。

なお、わき役はちょっと若すぎて、主演の獅童には気の毒。染五郎の義経は、高校生として凄いと思うけど、さすがに軽いですね。莟玉の静御前は丁寧で感心したけど、大役の貫禄はなかったかな。

ということで、次は勘九郎、七之助あたりと共演で、「四の切」が観たいと思いました。
では、今回はこんなところで。


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