本日、上野の東京文化会館におりました。バレエ公演「シルヴィ・ギエム・オン・ステージ2011」を観に。というか、とうとう生でシルヴィギエムを観た!というわけで、感想です。
バレエに関心を持ったのは数年前。御多分に洩れず山岸凉子のマンガがキッカケだったんですが、本を読んだり、映像を集めていくうちに当然ながらシルヴィギエムの名前にぶち当たった。
現代最高のバレエダンサー、生ける伝説...。
で、「それじゃあ是非観に行こう!」ということで考えていたら、その年の秋口に足を骨折。全治三ヶ月の療養生活で、バレエはおろか舞台観劇自体しばらく出来なくなり、その後、バレエへの関心もしばしお休みに・・・。
しかし、不思議な縁もあるもので、骨折の年はドラゴンズが日本一になった年で、今年もドラゴンズは日本一に挑戦!わたしはシルヴィ・ギエムに再挑戦だ!
ま、そんなどうでもいい話はともかく、念願のバレエ鑑賞が実現したのは地震のおかげでもあるんですよね。やはり、欧米の文化人って、エライですよ!!みんな自分でチャリティ・イベントを企画したりするんだから。
で、今回の公演ですが、Aプロがクラシックな演目で、Bプロが現代物って感じですかね。わたしは、皆様の想像通り、古典主義派ですから、Aプロを選んでみました。
海外でなく日本のバレエ団(東京バレエ団)との共演ということになりますが、わたしには彼女の特徴がかえってよくわかりましたね。
一言でいうと、ギエムの印象は文楽の吉田簑助の人形、歌舞伎の六代目中村歌右衛門の舞台、オペラ歌手マリア・カラスの残された映像に通じるものがある。それは細部の隅々に至るまで、強烈な意志の力を感じる表現者だということ。
別の言い方をすれば、同じジャンルの他の演者に比べて、明らかに過剰な何かを持っているということです。そして、それがビギナーのわたしにでもすぐ分かるというあたりが、そのジャンルの最高の演者といわれる所以なんでしょうね。
具体的にいっちゃうと、彼女はいわゆる美形でもないし、女性的なふくよかさみたいなものも欠いているんだけど(むしろ一見少年的ですらある。)、過剰なまでの表現力とその身のこなしで「女性」を表現し切っている。この点、今日見た日本人の踊り手たちは生まれつきの女性の部分で表現している感じがして、なんだか倒錯的な表現だけど、ギエムを前にするといかにも平凡に映ってしまう。つまり、ギエムの表現って、すべてを自分の意志で再構築しているかのように見えるんですよ。で、その強烈な「意志力」に観ている側は圧倒される。
個人的には恋人との情事のあとの悦楽感いっぱいの「マノン」のパ・ド・ドゥがたった10分なのに、表現力豊かでよかった!
後半の「田園の出来事」は40分の一幕ものだったけど、ギエムの演じる人妻役は、最近映画女優でもなかなかないような繊細な感情表現の連続で、オペラ「バラの騎士」のシュワルツコップ(カラヤン指揮のDVDが出てます。)を思い出しましたよ。特に最後の方の憂愁に満ちた背中なんかね。ただ、相手役のムッルは「マノン」の時とは違い、やや大味な印象ではありましたけど。
最後に、初体験だったバレエ公演の鑑賞についてですが、わたしが感じたのは歌舞伎以上に客席は「女の世界」だってこと。これって、最近は女性客も増えている落語会でも、談志一門の会だと落語通の男たちが「自分たちの世界」だといわんばかりに幅を利かせている、あの感じ…。あの雰囲気の女版だって気がしましたね~。これって、うがち過ぎですか?
というわけで、次はギエムの現代的なプログラムを観てみたくなりました。そっちの方が発散する感じがあるのかもしれない。といっても、いつになるかわかりませんけどね~。残念ながら、お金もないので…。
バレエに関心を持ったのは数年前。御多分に洩れず山岸凉子のマンガがキッカケだったんですが、本を読んだり、映像を集めていくうちに当然ながらシルヴィギエムの名前にぶち当たった。
現代最高のバレエダンサー、生ける伝説...。
で、「それじゃあ是非観に行こう!」ということで考えていたら、その年の秋口に足を骨折。全治三ヶ月の療養生活で、バレエはおろか舞台観劇自体しばらく出来なくなり、その後、バレエへの関心もしばしお休みに・・・。
しかし、不思議な縁もあるもので、骨折の年はドラゴンズが日本一になった年で、今年もドラゴンズは日本一に挑戦!わたしはシルヴィ・ギエムに再挑戦だ!
ま、そんなどうでもいい話はともかく、念願のバレエ鑑賞が実現したのは地震のおかげでもあるんですよね。やはり、欧米の文化人って、エライですよ!!みんな自分でチャリティ・イベントを企画したりするんだから。
で、今回の公演ですが、Aプロがクラシックな演目で、Bプロが現代物って感じですかね。わたしは、皆様の想像通り、古典主義派ですから、Aプロを選んでみました。
海外でなく日本のバレエ団(東京バレエ団)との共演ということになりますが、わたしには彼女の特徴がかえってよくわかりましたね。
一言でいうと、ギエムの印象は文楽の吉田簑助の人形、歌舞伎の六代目中村歌右衛門の舞台、オペラ歌手マリア・カラスの残された映像に通じるものがある。それは細部の隅々に至るまで、強烈な意志の力を感じる表現者だということ。
別の言い方をすれば、同じジャンルの他の演者に比べて、明らかに過剰な何かを持っているということです。そして、それがビギナーのわたしにでもすぐ分かるというあたりが、そのジャンルの最高の演者といわれる所以なんでしょうね。
具体的にいっちゃうと、彼女はいわゆる美形でもないし、女性的なふくよかさみたいなものも欠いているんだけど(むしろ一見少年的ですらある。)、過剰なまでの表現力とその身のこなしで「女性」を表現し切っている。この点、今日見た日本人の踊り手たちは生まれつきの女性の部分で表現している感じがして、なんだか倒錯的な表現だけど、ギエムを前にするといかにも平凡に映ってしまう。つまり、ギエムの表現って、すべてを自分の意志で再構築しているかのように見えるんですよ。で、その強烈な「意志力」に観ている側は圧倒される。
個人的には恋人との情事のあとの悦楽感いっぱいの「マノン」のパ・ド・ドゥがたった10分なのに、表現力豊かでよかった!
後半の「田園の出来事」は40分の一幕ものだったけど、ギエムの演じる人妻役は、最近映画女優でもなかなかないような繊細な感情表現の連続で、オペラ「バラの騎士」のシュワルツコップ(カラヤン指揮のDVDが出てます。)を思い出しましたよ。特に最後の方の憂愁に満ちた背中なんかね。ただ、相手役のムッルは「マノン」の時とは違い、やや大味な印象ではありましたけど。
最後に、初体験だったバレエ公演の鑑賞についてですが、わたしが感じたのは歌舞伎以上に客席は「女の世界」だってこと。これって、最近は女性客も増えている落語会でも、談志一門の会だと落語通の男たちが「自分たちの世界」だといわんばかりに幅を利かせている、あの感じ…。あの雰囲気の女版だって気がしましたね~。これって、うがち過ぎですか?
というわけで、次はギエムの現代的なプログラムを観てみたくなりました。そっちの方が発散する感じがあるのかもしれない。といっても、いつになるかわかりませんけどね~。残念ながら、お金もないので…。
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