インラック・シナワトラ
(タイ語: ยิ่งลักษณ์ ชินวัตร, ラテン文字転写: Yingluck Shinawatra、
1967年6月21日 - ) タイ王国の政治家。
第36代首相。タイ史上初の女性の首相でもある。
日本ではインラック・チナワットまたはインラック・シナワット
と呼称・表記されることもある。
(wikipedia)
1967年6月21日、チナワット家当主で元下院議員のルート・チナワットの娘として、サンカムペーンで出生[2]。
チェンマイ大学政治学部卒業後、アメリカに留学し教育を受け、ケンタッキー州立大学にて行政学修士を取得した。帰国後にチナワット一族同族企業のチナワット・ダイレクトリー社に入社。その後、アドバンスト・インフォ・サービスの社長やマンチェスター・シティFCの専務取締役などを務めた。
名門のチナワット家の出身であり、経営者としての経験をかわれ、2011年7月3日に施行されたタイ王国国民議会の人民代表院総選挙にて、タイ貢献党首相候補として選挙戦を戦った。タイ貢献党は、選挙前より79議席も増やして500議席中265議席を獲得、過半数を制して勝利し、他の5つの党との連立で300議席という安定政権を作ることにも成功した。8月5日に下院で第36代タイ王国首相に選出され、8日に正式就任した[3][4]。
2014年5月7日、タイ憲法裁判所が政権下で行われた国家安全保障会議事務局長の人事問題について、インラック及び関係する閣僚が憲法に違反して不当介入したと認定した。この不当介入は縁者の登用であった[5]。これによりインラックは首相の職を失うこととなった[6]。
憲法裁判所は下院総選挙無効の判決を下したで政治混乱が収まらないタイで軍事クーデターが起き、5月22日から5月25日まで軍によって身柄拘束された。
9人兄妹の末っ子であり、兄はタイ王国第31代首相のタクシン・チナワットで、義兄のソムチャーイ・ウォンサワットが第34代首相という政治一家に育つ。
趣味は、水泳と音楽鑑賞。
タイ初の女性首相として積極的に内政に携わり、国民融和や貧困対策を推進し、国家の安定に貢献している。また、2011年のタイ大洪水の際には、洪水対策の陣頭指揮に当たり、バンコク中心部の浸水防止を担った。
2011年の就任時は、「タクシン元首相の操り人形」と皮肉られ、直後の洪水危機への対応では、後手に回ったとの批判も浴びた。しかし、経済の好調もあり、支持率は高い水準を維持。政権運営にも慣れ、女性らしいソフトさと、安定した手腕で評価を高めつつある。女性の社会進出が進むタイで「女性が収入を得ることは、国の経済と家計に重要な意味があり、男性にも良い影響を与える」と自負し、1男の面倒を見ながら激務をこなしている[7]。
政権交代後の2011年頃からタイ国内で勃発している、一部のUDD支持者や移民労働者による政治活動とされる反日運動(俗称ปัญหา ตุ๊กแกกัด /Pạỵh̄ā túkkækạd)への具体的な沈静化対策は未だ施行されておらず、 タイ国内の至る場所で日本人に対する誹謗中傷を叫ぶ者、俗に赤シャツ過激派と呼ばれる支持者が数多く存在し、多くの住民や各マスコミから懸念や批判の声が挙がっている。 2013年9月に開催された アジア・バレーボルカップ(AVC)では、観戦席で日本(ญี่ปุ่น /Ỵī̀pùn)を罵倒する言葉を叫ぶ者に対し、厳しく注意を促すアナウンスが会場内に終始流れる中の異例な試合となった。 具体的には「怖い(กลัว/ Klạw)、バカ(บ้า/ b̂ā) 」という統一された言葉が中傷として頻繁に連呼されている。
2013年10月現在から勃発中の反政府デモに対する抗議活動も武器行使を伴い激化しつつあり、タイ国内各地域の治安悪化や、タイ国民を始め 諸外国からの移民や駐在定住者(家族)の生活安全維持や教育問題などが深刻化している。 日本政府(外務省、在タイ日本国大使館)もこの問題については暗黙の体制を講じているため、邦人旅行者の詐欺被害や引ったくり等の盗難被害者数、邦人定住者に対する集団ストーカー等の弾圧被害者数、自殺事故等、邦人の不審死者数が増加傾向にある。 在タイ日本国大使館に属する領事館、領事部、タイ国日本人会、及びタイ警察等の機関には苦情や被害届が多数届けられている。 勃発中の反日運動に関してタイ国内の民法放送局では、タイ王国陸軍認可の放送局であるBBTV Channel7や、公共放送のThai PBSが各番組内で頻繁に話題に取り上げている。また、バンコクからは伊藤道学の親族である在タイ邦人アーティストが自身のフェイスブックやツイッターなどで被害状況や事態の沈静化を嘆願する書き込みで救済を求めている。
訪日歴[編集]
訪日歴は多数ある。
2012年3月6日から3月9日にかけて日本を公式訪問し、病気療養中の今上天皇に代わり皇太子や野田佳彦元首相、岡村正商工会議所会頭と会談。タイの洪水での日本の支援や、東日本大震災でのタイの支援への謝意が相互に表明され、洪水で被害を受けた日本企業の支援策などについて話し合いをおこなった[8][9]。また、タクシン元首相支持派と治安部隊の衝突を取材中に死亡した村本博之カメラマンに弔意を表明した[10]。7日の野田佳彦首相との会談では、高速鉄道や情報技術分野などタイのインフラストラクチャー整備への協力や、地域の安全保障の他、日本の人工衛星や地上波デジタルテレビ方式(ISDB-T)をタイに導入する計画について意見が交わされた[11][12]。8日午前、皇太子に会い、午後には,東日本大震災被災地である宮城県名取市を訪問した。同市内で犠牲者への追悼を行った他、仮設住宅に併設された託児所を慰問して、被災地の児童らと交流した。加えて、同市内の工場で就労しているタイ洪水被災日系企業のタイ人従業員を激励した[要出典]。
翌月の4月20日から22日にかけて、日本・メコン地域諸