平成28年8月10日(水)、平成22年9月から始めた、私たちの「東海道珍道中」がこの日、終点を迎えた。
何気なしに、始めたこの「東海道珍道中」。日本橋に立った、6年前の一回目の時は、まさか、終点の三条大橋まで行くとは、思いもよらなかった。
それが、今日という日を迎えられて、まさに、感無量である。
地球の反対側のブラジルでは、4年に一度のオリンピックが開かれ、毎日それぞれのドラマが繰り広げられている。私たちもまた、自分たちの中でのドラマの一つの区切りであった。
実を言うと、最初のうちは、宿場ごと、きちんと歩いていた私たちも、静岡の富士川を過ぎた辺りから、有名な史跡が減ってきたのを理由にして、「電車でGO」的になってしまい、行きたいところまでを行って、その周辺の東海道を歩いていくというパターンに変わっていった。
でも、きちんと歩かないから続けられた、興味のあるところだったから歩けた、という気もする。
数えてみたら、20もの「東海道珍道中」のブログがある。1回目から4回目位はまだ、ブログをしていなかったので、全部で、東海道を歩いたのは、24回で達成したという勘定になる。6年間で、24回多いのか少ないのか分からないが、自分たちに「ご苦労さま」と言いたい。
今回は、お互い忙しく、1泊2日という行程しか取れないので、1日目は大津から三条大橋までを歩き、2日目は、真田丸絡みで、大阪城に行くという計画を立てた。
まさに、歩いていて思ったのは、京都は山の多いところである。大津から京都に入る道はほとんど山道で、切通し状態である。今は、国道1号線として、きちんとした道になっているが、道の両側は木がうっそうとしている小高い山である。ほんと何もないところなので、昔は怖かったんじゃないかなと思った。
大津宿の本陣跡から今回の旅はスタートである。
歩いていると、うらぶれた感じのする、蝉丸下神社があった。百人一首の「これやこの 行くも帰るも別れつつ 知るも知らぬも 逢坂の関」で有名な蝉丸が祀ってある。醍醐天皇の第4皇子に生まれたが、目が見えないので、この地に僧として捨てられ、盲目の琵琶法師と名だたる人となっていく。
逢坂の関がある。
その近くに、「かねよ」という日本一のうなぎを食べさせてくれるという謳い文句のあるうなぎ屋さんがある。テレビでも何回も紹介されているらしく、写真やサインが並んでいた。一番安いもので、「きんし丼」2400円。旅の終点間際なので、いっちょ奮発と、食す。うなぎは2切れ、素(す)の味を大切にしただし巻き卵がその上にドーンと乗って、あまじょっぱいタレがかかっている。
ここは龍馬も通ったはずなのか、龍馬役をやった役者の写真も掲げられていた。
山科追分があって、右に行くと京都、左に行くと伏見大阪へと向かう。もちろん私たちは右である。
途中、「徳林庵」。六角堂があり、小野篁(おののたかむら)が作った仏像が納められているという。
後は、ずーと、1号線に沿って歩く。
日の岡峠を通る時に、「天智天皇陵」があった。
道沿いを歩いていたが、あまりにも暑いので、コンビニで小休止。そこでアイスコーヒーを飲みながら少し涼んでいたら、店員のおばちゃんが、話しかけてきた。「大津から三条大橋まで歩いているんです」と言ったら、「着いたら何かあるんですか?」と聞いてきた。多分何もない。それは分かっている。でも・・・。
いよいよ「三条大橋」へ。ここまでずーとなだらかな山道で、やっと京都に入る。
三条大橋の手前には、明智光秀の首塚があるというので、探して、やっと見つける。
近くには、京都らしい風情がある景色があった。
夕方6時に、到着。「三条大橋」だ。
まあ、自己満足の結晶である。
17083歩(約10キロ歩いたことになる。)
2日目の朝、丁度、内村の個人総合の決勝戦をやっていて、最後の鉄棒で大逆転の試合を見る。素人目には、なんで逆転するのかはわからなかったが、専門家が見ると、難度の高い演技が連発していて、着地も一歩も動かない完璧な演技であったから、守りに入って、無難な演技をしてまとめてしまった2位の選手を超えた得点が出たということがわかった。スポーツの世界はやった人でないと、言えないところがあるんだなと感じた一幕であった。
直接、大阪城へ。4年位前に家族で行ったことがあったが、何度見ても、新たな発見があって、面白い。12時40分の電車に乗らなければならないので(今回も青春18切符できた)、あまりにゆっくり見すぎて、後半は足早で見た感じ。
大坂夏の陣の屏風2枚を、細かに説明してくれるビデオがあって、それだけでもよく分かる。
真田信繁は、家康を追い込み、自害しそうなほどの打撃を与えている。
本多忠朝は、冬の陣の時、守るところの変更をお願いをしたところ、家康に、父に似ぬ不肖の息子と罵倒され、夏の陣では、先陣を切って暴れ、亡くなったという。
また、真田大助は、父信繁と一緒に戦っている最中、父に秀頼の出陣を促しの命令を受け、秀頼の所に行くが、若干13歳位の若輩では、人を動かすことはできなかった。
大野治房は、秀頼の遺児国松を連れて、大坂城を脱出するが、捉えられた。国松は、三条河原で、さらし首になったのではなかったか?
井伊直孝は、冬の陣ではたくさんの家来をなくしたので、夏の陣は出陣しなくても良しと免除されたのに、出陣を願い出て、大坂城内に隠れている淀殿と秀頼を見つけ、自害するように促した。
歴史に「たら」「れば」はないが、もし信繁が家康を討ち取っていたら、もし秀頼が出陣していたら、もし井伊直孝が淀殿たちを見つけなかったら、もし国松たちが逃げられていたら、と考えると・・・。
大阪城から脱出した人たち(仕えていた男女)は、敵にやられたり、追い剥ぎに衣服を取られたり、必死に、京の山城を目指して、いくつもの川を渡って逃げていた様子も屏風には描かれている。
それぞれの武将は、その時々を一生懸命に生きていたんだな。武将じゃなくても、巷の人々も、世の中や歴史に翻弄されながらも、その都度その都度、自分の中でベストの選択をしてきて、生きている。歴史がなっている。結果はどうあれ。
まずは、今回も炎天下の中、無事終えたことに感謝したい。
鳥も賑わう 賀茂川に
首晒す 場があった 三条大橋
大河流れる 昔も今も
何気なしに、始めたこの「東海道珍道中」。日本橋に立った、6年前の一回目の時は、まさか、終点の三条大橋まで行くとは、思いもよらなかった。
それが、今日という日を迎えられて、まさに、感無量である。
地球の反対側のブラジルでは、4年に一度のオリンピックが開かれ、毎日それぞれのドラマが繰り広げられている。私たちもまた、自分たちの中でのドラマの一つの区切りであった。
実を言うと、最初のうちは、宿場ごと、きちんと歩いていた私たちも、静岡の富士川を過ぎた辺りから、有名な史跡が減ってきたのを理由にして、「電車でGO」的になってしまい、行きたいところまでを行って、その周辺の東海道を歩いていくというパターンに変わっていった。
でも、きちんと歩かないから続けられた、興味のあるところだったから歩けた、という気もする。
数えてみたら、20もの「東海道珍道中」のブログがある。1回目から4回目位はまだ、ブログをしていなかったので、全部で、東海道を歩いたのは、24回で達成したという勘定になる。6年間で、24回多いのか少ないのか分からないが、自分たちに「ご苦労さま」と言いたい。
今回は、お互い忙しく、1泊2日という行程しか取れないので、1日目は大津から三条大橋までを歩き、2日目は、真田丸絡みで、大阪城に行くという計画を立てた。
まさに、歩いていて思ったのは、京都は山の多いところである。大津から京都に入る道はほとんど山道で、切通し状態である。今は、国道1号線として、きちんとした道になっているが、道の両側は木がうっそうとしている小高い山である。ほんと何もないところなので、昔は怖かったんじゃないかなと思った。
大津宿の本陣跡から今回の旅はスタートである。
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歩いていると、うらぶれた感じのする、蝉丸下神社があった。百人一首の「これやこの 行くも帰るも別れつつ 知るも知らぬも 逢坂の関」で有名な蝉丸が祀ってある。醍醐天皇の第4皇子に生まれたが、目が見えないので、この地に僧として捨てられ、盲目の琵琶法師と名だたる人となっていく。
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逢坂の関がある。
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その近くに、「かねよ」という日本一のうなぎを食べさせてくれるという謳い文句のあるうなぎ屋さんがある。テレビでも何回も紹介されているらしく、写真やサインが並んでいた。一番安いもので、「きんし丼」2400円。旅の終点間際なので、いっちょ奮発と、食す。うなぎは2切れ、素(す)の味を大切にしただし巻き卵がその上にドーンと乗って、あまじょっぱいタレがかかっている。
ここは龍馬も通ったはずなのか、龍馬役をやった役者の写真も掲げられていた。
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山科追分があって、右に行くと京都、左に行くと伏見大阪へと向かう。もちろん私たちは右である。
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途中、「徳林庵」。六角堂があり、小野篁(おののたかむら)が作った仏像が納められているという。
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後は、ずーと、1号線に沿って歩く。
日の岡峠を通る時に、「天智天皇陵」があった。
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道沿いを歩いていたが、あまりにも暑いので、コンビニで小休止。そこでアイスコーヒーを飲みながら少し涼んでいたら、店員のおばちゃんが、話しかけてきた。「大津から三条大橋まで歩いているんです」と言ったら、「着いたら何かあるんですか?」と聞いてきた。多分何もない。それは分かっている。でも・・・。
いよいよ「三条大橋」へ。ここまでずーとなだらかな山道で、やっと京都に入る。
三条大橋の手前には、明智光秀の首塚があるというので、探して、やっと見つける。
近くには、京都らしい風情がある景色があった。
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夕方6時に、到着。「三条大橋」だ。
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まあ、自己満足の結晶である。
17083歩(約10キロ歩いたことになる。)
2日目の朝、丁度、内村の個人総合の決勝戦をやっていて、最後の鉄棒で大逆転の試合を見る。素人目には、なんで逆転するのかはわからなかったが、専門家が見ると、難度の高い演技が連発していて、着地も一歩も動かない完璧な演技であったから、守りに入って、無難な演技をしてまとめてしまった2位の選手を超えた得点が出たということがわかった。スポーツの世界はやった人でないと、言えないところがあるんだなと感じた一幕であった。
直接、大阪城へ。4年位前に家族で行ったことがあったが、何度見ても、新たな発見があって、面白い。12時40分の電車に乗らなければならないので(今回も青春18切符できた)、あまりにゆっくり見すぎて、後半は足早で見た感じ。
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大坂夏の陣の屏風2枚を、細かに説明してくれるビデオがあって、それだけでもよく分かる。
真田信繁は、家康を追い込み、自害しそうなほどの打撃を与えている。
本多忠朝は、冬の陣の時、守るところの変更をお願いをしたところ、家康に、父に似ぬ不肖の息子と罵倒され、夏の陣では、先陣を切って暴れ、亡くなったという。
また、真田大助は、父信繁と一緒に戦っている最中、父に秀頼の出陣を促しの命令を受け、秀頼の所に行くが、若干13歳位の若輩では、人を動かすことはできなかった。
大野治房は、秀頼の遺児国松を連れて、大坂城を脱出するが、捉えられた。国松は、三条河原で、さらし首になったのではなかったか?
井伊直孝は、冬の陣ではたくさんの家来をなくしたので、夏の陣は出陣しなくても良しと免除されたのに、出陣を願い出て、大坂城内に隠れている淀殿と秀頼を見つけ、自害するように促した。
歴史に「たら」「れば」はないが、もし信繁が家康を討ち取っていたら、もし秀頼が出陣していたら、もし井伊直孝が淀殿たちを見つけなかったら、もし国松たちが逃げられていたら、と考えると・・・。
大阪城から脱出した人たち(仕えていた男女)は、敵にやられたり、追い剥ぎに衣服を取られたり、必死に、京の山城を目指して、いくつもの川を渡って逃げていた様子も屏風には描かれている。
それぞれの武将は、その時々を一生懸命に生きていたんだな。武将じゃなくても、巷の人々も、世の中や歴史に翻弄されながらも、その都度その都度、自分の中でベストの選択をしてきて、生きている。歴史がなっている。結果はどうあれ。
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まずは、今回も炎天下の中、無事終えたことに感謝したい。
鳥も賑わう 賀茂川に
首晒す 場があった 三条大橋
大河流れる 昔も今も
東海道を歩き始めてもう6年にもなるんだね。
その間いろいろあったと思いますが、2人で良く頑張ったね。
三条大橋の助さん格さんも笑顔で迎えてくれた事と思います。
ブログの中で沢山の写真を載せてくれたので、私もちょっぴり参加した気持ちになれました。ありがとうございました。そしてお疲れさまでした。
これからもよろしくね。