平成25年8月10・11日 夏休みに入ったので、いつも利用している青春18切符を使って、ちょうど静岡県と愛知県の境、舞阪宿から吉田宿(豊橋)への、東海道53次のウォーキングを行った。
猛暑が続いて周りからも心配の声がかかったが、決行した。私たちはやっぱり歴史っぽいものに触れることが好きなのである。そして歩くことも?
とはいうものの、行くのには各駅電車だから、朝7時30分に電車に乗り、舞阪についたのは1時頃になっていたし、広重が描いた場所中心に行っているので、電車を利用できるところは多く利用しているので、そんなに歩いていないかな~?
もちろんあまり無理しないことを前提としている。
今回のメインは、浜名湖を歩いて渡ることと豊橋市にある二川宿にある昔のままに現存している本陣を見ることであった。
それはそれとして、楽しかったが、何よりも驚いたことは、その豊橋市二川本陣資料館では、特別展として「世界が絶賛した浮世絵師 葛飾北斎展」が開催されていたことであった。私は、このブログの一つ前に「北斎殺人事件」を読んで、いたく面白かったことを書いていたが、偶然にもその北斎が展示されているという。
この偶然を私は神様のお導きとしか考えられない。
では、静岡県舞阪から順番に書いていこう。
舞阪までは6時間近くかかって、電車で行った。
駅から舞阪宿まで日差しが強い中歩く。
歩きながら、この間テレビを見ていたら、芭蕉が奥の細道紀行がやっていて、そこでの紹介されていた句「草臥れて 宿かるころや 藤の花」を少し変えて、
「草臥(くたび)れて ひかげ求めて 虞美人草」と詠んだのを思い出して、千ちゃんに披露した。
東海道舞阪宿は江戸から30番目の宿場にあたり、東西交通を結ぶ(浜名湖を渡る)今切り渡しの渡船場だった。ここには、脇本陣が唯一、遺構として復元されていた。
説明おばさんがいて、「おる」「おらん」という言葉はここから西の言葉であると教えてくれた。また、この辺には山がなく、広重が描いた浮世絵は構図上、この方がいいから山を描いたんではと言っていた。なるほど、今切りの渡しのところに行ったが、山はなかった。そういえは、蒲原宿の浮世絵は大雪の絵だが、そのおばさんは70年間この静岡に住んでいるがあんな大雪にあったことがないとも言っていた。実際行って話を聞いてみないと分からないこともあるんだなと感心した。
次に、いよいよ浜名湖を渡る。弁天橋という橋が架かっていて、そこを渡って弁天橋駅から電車に乗って、新居駅に行くことにする。
とにかく風が強くて、ゴーゴーという音が始終聞こえていて、帽子を抑えながら、身を前屈(まえかが)みにしながら、ゆっくり歩いた。下を見たら、海が渦を巻いていて橋桁に絡みついているようであった。
渡ったら、正岡子規が上京するときに電車からこの弁天橋を見て詠んだという句碑があった。
荒井宿(新居宿)では、昔はここの船着場で降りて、すぐ関所で取り調べされたという。特に「入鉄砲と出女」は厳しい目を光らせていたという。三河の吉田藩の管理下に置かれていた。
本来は二川まで行きたかったが、ここで一日目終了。
宿は豊橋に千ちゃんがとってくれたので、電車で豊橋まで行く。豊橋は古くから「穂の国」と呼ばれていて、稲作が盛んだそうで、その多くは東京方面に出荷されている。
豊橋は思いのほか大きい町で、驚いたし、この予約してくれたホテルのサービスにも驚いた。何と、ドリンク(ビールも含まれる)とカレーがロビーの脇に置いてあり、自由にどうぞとある。今までいろいろなホテルを利用したが、こんなサービスは初めてで、疲れた暑い身体にビールの美味しかったこと、感動した。カレーもいただき、夕飯はコンビニで軽く買ってきて、世界陸上を見ながら食べようとなった。
でも、疲れた体は正直で、女子のマラソンを見ながら、こっくり、こっくりと船をこいでいた。
2日目。今日も晴天、猛暑である。
まず、豊橋にある、吉田城に行ってから、二川にある本陣に行く。
吉田城は、元は今川氏の東三河最大の拠点の城であったが、家康が攻略して、自分の家臣を置き、その後池田輝政が入城して、城地の拡張と城下町の整備を行ったとされる。その後輝政は、関ヶ原合戦後に、姫路城に所替えになった。
吉田城は平城で天守閣はない。復元模型を見ると、四方に櫓(やぐら)が建っていた。その櫓が再建されていて、中が資料館になっていた。
広重の浮世絵に、吉田城から豊川(豊川大橋)を望む絵があるが、まさにその構図を見ることができた。説明の方が、市役所の展望台からもいい眺めが見えると教えてくれたので、行った。
次にいよいよ本命の二川宿本陣に行く。
資料本では、その作者がいたく感激していて「生まれて初めて見た本陣に、私の心は感動に震え、目は瞳孔が開きっぱなしであった。」とあり、私たちはどんなものが見られるのかほんとワクワクした。
まあ、確かに、昔ながらの建物で、大名や公家の方々がお泊りになる格式高いところだなと感じることができた。
奥の間でお抹茶をいただき、ひと時江戸の気分を味わった。そこに掲げてあった掛け軸には「この道より 我を生かす道なし この道を歩く」と武者小路実篤の書が書かれてあった。
また、中を見ていると、浮世絵の体験コーナーがあったり、伝馬朱印状に印を押すことができたり、東海道の宿場がのっている看板もありりバラエティにとんでいた。街道が、二つに分かれていたのを見て、京都まで行くのに、関ヶ原や岐阜の方で行きたいねという話になった。
もちろん北斎展も行ってきた。
本で書いてあった隠密云々は全く触れていなかったが、北斎は役者絵や美人画・妖怪絵なども描いていた。私としては富嶽三十六景を代表とする風景画の方がいいなと思った。また、東海道五十三次の絵も描いていて、広重より写実的(現実通り)に描いているらしい。「赤富士」のキーホルダーを買ってきた。
最後に、電車から見た、弁天橋を載せておく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/30/1b/7c36f4b13338bd65285a5962f38ce9ab_s.jpg)
今回も幸せな気分を味わえた。いつものように、こうやって歩けることに十分感謝して、筆をおきたいと思う。
一日目 12035歩(約6.7キロ)
二日目 11297歩(約7キロ)
猛暑が続いて周りからも心配の声がかかったが、決行した。私たちはやっぱり歴史っぽいものに触れることが好きなのである。そして歩くことも?
とはいうものの、行くのには各駅電車だから、朝7時30分に電車に乗り、舞阪についたのは1時頃になっていたし、広重が描いた場所中心に行っているので、電車を利用できるところは多く利用しているので、そんなに歩いていないかな~?
もちろんあまり無理しないことを前提としている。
今回のメインは、浜名湖を歩いて渡ることと豊橋市にある二川宿にある昔のままに現存している本陣を見ることであった。
それはそれとして、楽しかったが、何よりも驚いたことは、その豊橋市二川本陣資料館では、特別展として「世界が絶賛した浮世絵師 葛飾北斎展」が開催されていたことであった。私は、このブログの一つ前に「北斎殺人事件」を読んで、いたく面白かったことを書いていたが、偶然にもその北斎が展示されているという。
この偶然を私は神様のお導きとしか考えられない。
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では、静岡県舞阪から順番に書いていこう。
舞阪までは6時間近くかかって、電車で行った。
駅から舞阪宿まで日差しが強い中歩く。
歩きながら、この間テレビを見ていたら、芭蕉が奥の細道紀行がやっていて、そこでの紹介されていた句「草臥れて 宿かるころや 藤の花」を少し変えて、
「草臥(くたび)れて ひかげ求めて 虞美人草」と詠んだのを思い出して、千ちゃんに披露した。
東海道舞阪宿は江戸から30番目の宿場にあたり、東西交通を結ぶ(浜名湖を渡る)今切り渡しの渡船場だった。ここには、脇本陣が唯一、遺構として復元されていた。
説明おばさんがいて、「おる」「おらん」という言葉はここから西の言葉であると教えてくれた。また、この辺には山がなく、広重が描いた浮世絵は構図上、この方がいいから山を描いたんではと言っていた。なるほど、今切りの渡しのところに行ったが、山はなかった。そういえは、蒲原宿の浮世絵は大雪の絵だが、そのおばさんは70年間この静岡に住んでいるがあんな大雪にあったことがないとも言っていた。実際行って話を聞いてみないと分からないこともあるんだなと感心した。
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次に、いよいよ浜名湖を渡る。弁天橋という橋が架かっていて、そこを渡って弁天橋駅から電車に乗って、新居駅に行くことにする。
とにかく風が強くて、ゴーゴーという音が始終聞こえていて、帽子を抑えながら、身を前屈(まえかが)みにしながら、ゆっくり歩いた。下を見たら、海が渦を巻いていて橋桁に絡みついているようであった。
渡ったら、正岡子規が上京するときに電車からこの弁天橋を見て詠んだという句碑があった。
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荒井宿(新居宿)では、昔はここの船着場で降りて、すぐ関所で取り調べされたという。特に「入鉄砲と出女」は厳しい目を光らせていたという。三河の吉田藩の管理下に置かれていた。
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本来は二川まで行きたかったが、ここで一日目終了。
宿は豊橋に千ちゃんがとってくれたので、電車で豊橋まで行く。豊橋は古くから「穂の国」と呼ばれていて、稲作が盛んだそうで、その多くは東京方面に出荷されている。
豊橋は思いのほか大きい町で、驚いたし、この予約してくれたホテルのサービスにも驚いた。何と、ドリンク(ビールも含まれる)とカレーがロビーの脇に置いてあり、自由にどうぞとある。今までいろいろなホテルを利用したが、こんなサービスは初めてで、疲れた暑い身体にビールの美味しかったこと、感動した。カレーもいただき、夕飯はコンビニで軽く買ってきて、世界陸上を見ながら食べようとなった。
でも、疲れた体は正直で、女子のマラソンを見ながら、こっくり、こっくりと船をこいでいた。
2日目。今日も晴天、猛暑である。
まず、豊橋にある、吉田城に行ってから、二川にある本陣に行く。
吉田城は、元は今川氏の東三河最大の拠点の城であったが、家康が攻略して、自分の家臣を置き、その後池田輝政が入城して、城地の拡張と城下町の整備を行ったとされる。その後輝政は、関ヶ原合戦後に、姫路城に所替えになった。
吉田城は平城で天守閣はない。復元模型を見ると、四方に櫓(やぐら)が建っていた。その櫓が再建されていて、中が資料館になっていた。
広重の浮世絵に、吉田城から豊川(豊川大橋)を望む絵があるが、まさにその構図を見ることができた。説明の方が、市役所の展望台からもいい眺めが見えると教えてくれたので、行った。
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次にいよいよ本命の二川宿本陣に行く。
資料本では、その作者がいたく感激していて「生まれて初めて見た本陣に、私の心は感動に震え、目は瞳孔が開きっぱなしであった。」とあり、私たちはどんなものが見られるのかほんとワクワクした。
まあ、確かに、昔ながらの建物で、大名や公家の方々がお泊りになる格式高いところだなと感じることができた。
奥の間でお抹茶をいただき、ひと時江戸の気分を味わった。そこに掲げてあった掛け軸には「この道より 我を生かす道なし この道を歩く」と武者小路実篤の書が書かれてあった。
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また、中を見ていると、浮世絵の体験コーナーがあったり、伝馬朱印状に印を押すことができたり、東海道の宿場がのっている看板もありりバラエティにとんでいた。街道が、二つに分かれていたのを見て、京都まで行くのに、関ヶ原や岐阜の方で行きたいねという話になった。
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もちろん北斎展も行ってきた。
本で書いてあった隠密云々は全く触れていなかったが、北斎は役者絵や美人画・妖怪絵なども描いていた。私としては富嶽三十六景を代表とする風景画の方がいいなと思った。また、東海道五十三次の絵も描いていて、広重より写実的(現実通り)に描いているらしい。「赤富士」のキーホルダーを買ってきた。
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最後に、電車から見た、弁天橋を載せておく。
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今回も幸せな気分を味わえた。いつものように、こうやって歩けることに十分感謝して、筆をおきたいと思う。
一日目 12035歩(約6.7キロ)
二日目 11297歩(約7キロ)
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