平成27年5月3日(日)、ゴールデンウイークの真っ只中、歴史好きの私としては、何か新しい発見があるか気になって、両国にある「江戸東京博物館」の特別展「大関ヶ原展」に行ってきました。
実は前に、実際関が原に行って、細かい布陣を見てきたことがあり、また、そこの資料館も行って、いろいろな発見をしたので、もう少し、何か新しい発見があるといいなと期待を持って行ってきた。やっぱりこれだけの武将が勢揃いしただけあって、見応えがあった。
両国は蔵前国技館もありお相撲さんの街でもありますね。
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9時半から始まるということなので、その頃に着くように、家を出たのが失敗の元。
行ったらもう長蛇の列。
チケットを買うのに40分並び、その後、入場するのにまた40分並んで、やっと入った。
その間あまりにも暇なので、同じように暇しているであろう長男にラインして、くだらない話をしながら時間つぶしをしていた。そこで長男が「一日いても飽きないんだってよ」と、誰かの受け売りを言ってたから、ちょっぴり期待して、ワクワクしながら入った。でも、1時間半のただずーと立っているのは、日頃から体力には自信がある私でも、とても疲れた。入る前から疲れ、入ってからも、みんな真面目に展示物を一つ一つ並びながらゆっくり見ていたので、やっぱり疲れた。
私は、説明のイヤホンを借りて、その番号だけ立ち止まるようにして回った。
それでも、2時間くらい見たかな~。主人はさっさと回って、タバコを吸っていた。
あまり目新しい情報はなかったけど、入ってすぐに、大きな屏風が展示してあり、合戦に参加した武将たちの戦いの様子が描いてあった。
素人が見ても、よく分からなかったが、黒田長政と福島正則が仲違いをして、それを解決(和解)した証拠して、お互いの兜を交換したという逸話があり、この戦いでは交換した兜をお互いかぶっていたというので、改めて見てみたが、あまり良くわからなかった。
また、解説の声を担当している「杏」さんは、敵中突破した「島津義弘公が一押しの武将だ」と言っていた。
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また、戦場には大きな扇を持っていくことが分かった。その金の「馬標」(うましるし)が展示してあった。見事大きい。なんだかシミのような黒い点々と模様のようなものがあったが、これは血のあとか?
黒田長政の功績をたたえていた。西軍の総大将である毛利が動かなかったのは、長政と密約を結んでいた吉川が毛利を動かないように抑えていたためだと言われている。家康の本陣より東に位置する南宮山に布陣していた毛利は、東軍を挟み撃ちにできる位置にあり、どう見ても西軍は有利で、毛利が動いていたら午前中には、戦いは終わっていたと思うほどである。
それと、小早川の裏切りも長政は、小早川の家臣に家来を付けていて、西軍に突撃するように、差し違いを厭わないほどに、脅したという。
ひとつこんなことも言っていた。「三成に、過ぎたるものが2つある。それは家臣の島左近と佐和山城である」と。過ぎたるものを持っていて、勝てる布陣であったのに、天下を取れなかった三成と、天下を取った家康と。
でも家康といえど、簡単には天下は取れなかった。たくさんの偶然、そして運がもたらした賜物なんだろう。
石田三成の盟友大谷吉継の最後も壮絶だ。
あと、常設展の方は、江戸の文化や暮らし等を実際に再現して展示してあったり、重さや手触り等を実際に体験できたり等、とても分かりやすく展示してあった。
でも、私はそちらの方はあまり興味なかった。唯一、鎖国時代にオランダの商人だけは、何回か、江戸まで来て、将軍に謁見していたという。世界の様子も歴代の将軍や家来たちは、これで、世界情勢を知っていたのだろう。ずいぶん前、江戸東京博物館ができたての頃に行った時に、フランス革命のことやアヘン戦争のことを書いた手紙が展示してあったと思ったので、案内の方に聞いたりして探したが、見当たらなかった。残念。でもこういうことだったのだなと分かった。
まあ、疲れたけど、歴史の壮大なドラマの片鱗に触れることができて満足である。やっぱり歴史は面白いな~
実は前に、実際関が原に行って、細かい布陣を見てきたことがあり、また、そこの資料館も行って、いろいろな発見をしたので、もう少し、何か新しい発見があるといいなと期待を持って行ってきた。やっぱりこれだけの武将が勢揃いしただけあって、見応えがあった。
両国は蔵前国技館もありお相撲さんの街でもありますね。
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9時半から始まるということなので、その頃に着くように、家を出たのが失敗の元。
行ったらもう長蛇の列。
チケットを買うのに40分並び、その後、入場するのにまた40分並んで、やっと入った。
その間あまりにも暇なので、同じように暇しているであろう長男にラインして、くだらない話をしながら時間つぶしをしていた。そこで長男が「一日いても飽きないんだってよ」と、誰かの受け売りを言ってたから、ちょっぴり期待して、ワクワクしながら入った。でも、1時間半のただずーと立っているのは、日頃から体力には自信がある私でも、とても疲れた。入る前から疲れ、入ってからも、みんな真面目に展示物を一つ一つ並びながらゆっくり見ていたので、やっぱり疲れた。
私は、説明のイヤホンを借りて、その番号だけ立ち止まるようにして回った。
それでも、2時間くらい見たかな~。主人はさっさと回って、タバコを吸っていた。
あまり目新しい情報はなかったけど、入ってすぐに、大きな屏風が展示してあり、合戦に参加した武将たちの戦いの様子が描いてあった。
素人が見ても、よく分からなかったが、黒田長政と福島正則が仲違いをして、それを解決(和解)した証拠して、お互いの兜を交換したという逸話があり、この戦いでは交換した兜をお互いかぶっていたというので、改めて見てみたが、あまり良くわからなかった。
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また、解説の声を担当している「杏」さんは、敵中突破した「島津義弘公が一押しの武将だ」と言っていた。
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また、戦場には大きな扇を持っていくことが分かった。その金の「馬標」(うましるし)が展示してあった。見事大きい。なんだかシミのような黒い点々と模様のようなものがあったが、これは血のあとか?
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黒田長政の功績をたたえていた。西軍の総大将である毛利が動かなかったのは、長政と密約を結んでいた吉川が毛利を動かないように抑えていたためだと言われている。家康の本陣より東に位置する南宮山に布陣していた毛利は、東軍を挟み撃ちにできる位置にあり、どう見ても西軍は有利で、毛利が動いていたら午前中には、戦いは終わっていたと思うほどである。
それと、小早川の裏切りも長政は、小早川の家臣に家来を付けていて、西軍に突撃するように、差し違いを厭わないほどに、脅したという。
ひとつこんなことも言っていた。「三成に、過ぎたるものが2つある。それは家臣の島左近と佐和山城である」と。過ぎたるものを持っていて、勝てる布陣であったのに、天下を取れなかった三成と、天下を取った家康と。
でも家康といえど、簡単には天下は取れなかった。たくさんの偶然、そして運がもたらした賜物なんだろう。
石田三成の盟友大谷吉継の最後も壮絶だ。
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あと、常設展の方は、江戸の文化や暮らし等を実際に再現して展示してあったり、重さや手触り等を実際に体験できたり等、とても分かりやすく展示してあった。
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でも、私はそちらの方はあまり興味なかった。唯一、鎖国時代にオランダの商人だけは、何回か、江戸まで来て、将軍に謁見していたという。世界の様子も歴代の将軍や家来たちは、これで、世界情勢を知っていたのだろう。ずいぶん前、江戸東京博物館ができたての頃に行った時に、フランス革命のことやアヘン戦争のことを書いた手紙が展示してあったと思ったので、案内の方に聞いたりして探したが、見当たらなかった。残念。でもこういうことだったのだなと分かった。
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まあ、疲れたけど、歴史の壮大なドラマの片鱗に触れることができて満足である。やっぱり歴史は面白いな~