早稲田大学校友会神奈川県支部の元会員で学生歌「早稲田の栄光」などを作詞した岩崎巌さん(1925~2020年)の生誕100周年祭が3月8日、大隈講堂(東京都新宿区)で開かれました。親族や神奈川県内の稲門会員、大学関係者ら約400人が参加し、岩崎さんの歩みをたどり、歌詩に込められた思いに理解を深めました。
在学中の1947年に応援歌「ひかる青雲」を作詞した岩崎さんは、卒業後は会社勤めを経て教員に。大学創立70周年の1952年にカレッジソングを制作しようとした大学が「早稲田の栄光」の歌詞を募った際に、岩崎さんの詩を採用しました。教員の在職中には、神奈川県立清水ケ丘(現・横浜清陵)高校などの校歌の作詞も手がけ、県立瀬谷西高校校長の時に退職しました。
会に先立ち、大学が岩崎さん宛の感謝状を長男の彰夫さん(1981年教育卒、横浜稲門会員)に贈呈。100周年祭は、岩崎家、大学校友会、校友会県支部の主催で行われ、司会は県支部の雨宮敏徳幹事長が担当しました。はじめに、大学校友会の萬代晃代表幹事があいさつで、「『早稲田の栄光』は早慶戦で勝利した後や卒業式の最後に歌う特別な曲として長く歌い継がれてきた」と説明。「すべての早大生の琴線にふれる名曲中の名曲」とし、大学創立125周年の2007年に大隈講堂脇に歌碑が建てられたことも紹介しました。
彰夫さんは「父が詩に込めた思い」と題して講演。岩崎さんの少年期、大学入学や軍隊の時、歌碑の除幕式などの写真をスクリーンに映しながら生涯を振り返りました。陸軍士官学校に入る前「早稲田に二度と戻れない、最後に早稲田の見納めをしよう」と、大学に隣接する戸塚球場(後の安部球場)の照明灯の鉄塔によじ登り、台座の板に自分の名前を書いたこと、終戦の翌月に大学に行き、親友と偶然再会して喜んだことなど戦中戦後のエピソードを紹介。復学後に書いた「ひかる青雲」は「生きていることへの讃歌」と彰夫さんに語っていたといいます。
「早稲田の栄光」については、「夜行列車の中で募集のことを知り、冒頭の『栄光はみどりの風に』はすぐに浮かんだそうだ」と説明。テーマは「虹」で、歌詩には「早稲田で学んだ喜び、若い人たちが明るく夢をもって前に進んでほしいという気持ちが込められている」と解説し、「厳しい戦争の中で青春を過ごした人たち、戦火に倒れた人たちへの底知れぬ思いが込められているのではないか」と創作の背景にもふれました。そして、「父は、これからも平和な時代で、歌い継がれることを切に願っていると思う」と話しました。
応援団とグリークラブの学生が「ひかる青雲」と「早稲田の栄光」を披露し、参加者も合唱。天国の岩崎さんに向けて「フレフレ、巌」とエールも送りました。
東島正樹県支部長は「歌を歌えば、皆が青春に血をたぎらせた若い日の早稲田につながってゆく。校歌をはじめ、早稲田の歌は我々の心の絆」という、横浜稲門会機関紙での岩崎さんの言葉を紹介し、会を結びました。
鴻谷 創