みんなの党渡辺喜美代表の8億円問題で、生活の党代表の小沢一郎氏の記者会見の記事が出ている。
ただこれだけの記事ですが、その下に、
関連ニュースとして、
【角栄の流儀】
田中元首相没後20年(番外編)小沢一郎・生活の党代表に聞く
というヘッドラインがあったので転載します。
2013.12.2 15:10
信頼してくれたおやじ
おやじ(=田中角栄元首相)は、ものすごく魅力的な人だったよ。面白いし、世話好きで、割合そそっかしく、せっかちな面もありました。
最初? 最初はすごくおっかなかったね。
知り合いのつてで秘書を頼り、目白の自宅に行った。
「田中派の候補として衆院選に出たい」というあいさつをするためだ。
「今度、選挙に出ますからよろしく」と。
それが意外なことに即「オーケー」ではなかったんだ。
僕は2代目だから普通に考えれば当選する可能性は高い。
それなのに反応は違った。
あのころの田中先生は若い者には厳しいことを言う人だった。
毎日つじ立ちしろ、戸別訪問は何万軒回れ、なんてことをいつも言われて、もうこれは「はい」というしかないよ。
初当選のあいさつに行っても、今度は「2期目を当選するのがおまえたちの役目だ」ってな感じだった。
会えば「ちゃんと地元に帰っているか」というのが口癖でね。
最初のころは、政治手法を学ぶどころではなかったよ。
田中先生がいうように、選挙というのは常に民主主義の原点だ。
地元に帰って有権者のことをちゃんと理解し、民意を丁寧にくみ取らないといけない。
これを民主党時代に盛んに言ったら、「うるさい」とか、「それは古い考え方だ」という反応だったがね。
首相就任当初、田中先生は中学も出ないで立身出世して「今太閤」ともてはやされた。
そこは日本人の好きなところだ。
ところがロッキード事件で一気にバッシングの嵐だ。
僕の裁判もそうだと思うが、ロッキード裁判も司法の自殺行為だったと思う。
田中裁判では、お金をもらったかどうかの問題以前に、*最高裁の裁判官会議で相手方の免責を決めた上で証言をとるという違法なやり方で得たものを証拠として訴追し裁判を始めた。
僕は裁判を全部傍聴しました。日本の裁判・司法に対する問題意識からだ。
もちろんいろいろ心情的な思いもあった。
親とも思っている人が首相にまでなったのに、今度は目の前で被告人になっているのだから。
でも、田中先生は、あれだけ権力を持っていながら、結局最後まで自分の捜査や裁判では決して権力を使おうとしなかった。
田中派が膨張するのはロッキード事件以降だ。
民主主義の原則通り、数の力で影響力を行使しようと考えたのだと思う。
その意味で民主的な日本人の良いところがあったのだろうね。
その頃から田中派にはわれわれのような「子飼い」でない人たちが増えた。
創政会旗揚げのときは、そもそも別に田中先生をどうこうする話では全くなかった。
取り巻きが間違った情報を入れたのだろうと思う。
田中先生も裁判を抱えていたし、感情的になって参加者を「裏切り者」と思って、どんどん対決する構図になってしまった。
仮にあのときに面と向かって怒鳴られていたら、すぐやめていたと思う。
その後、梶山静六さんや羽田孜さんと一緒に田中先生に呼ばれて、先生とわれわれ3人で話をしました。
その結果、田中先生を潰すつもりでやったという誤解のうち半分は解けたと思う。
でも最初のインプットがあったから、なかなかねえ。
田中先生は「官僚」を使うのがうまかったといわれている。
それは、当時は官僚が描いている路線と大体一致していたからだ。
田中先生は、いつも時代の先を読んで良い知恵を出すものだから、官僚もみんな賛成したんだ。
今なら震災復興でも、きっと思い切ったことをスピーディーにやったに違いない。
「日本列島改造論」は、そもそも高度成長がずっと続くという前提で書かれたものだ。
田中先生はいわば右肩上がりの時代の政治家で、全国が均等に発展していくべきだという思想がその根本にあった。
同じ自民党でも今の政権は違う。
正に強者の論理だよ。
最近の政府のやり方は、例えば農林漁業中心の地方なんていらないという話でしょ。
これでは地域社会が滅んでしまう。
そこは自民党が根本的に変質したところだね。
僕は田中角栄、竹下登、金丸信という3人の政治家に仕えた。
3人とも典型的な調整型だ。竹下さんや金丸さんは相手の話をよく聞いて足して2で割るタイプだった。
田中先生はあちこちにボールを投げてその反響をもってうまく判断した。
僕も実は調整をやらせたら大得意だよ。
でも今は丸く丸くではおさまらない時代だ。
基本原則を変えないといけない。
それなのに、いまだにコンセンサスの手法でやっているから、日本の政治はいつまでたってもダメなんだ。
僕はよく「田中先生は反面教師」というから、何か冷たい人間だと思われているようだが、それは情緒論と混同しているからだ。
政治哲学や政治思想と、人間の心情論をごっちゃにしている。
おやじといっても、論理的、理性的に考えれば違いもあるのは当然だ。
でも、まあとにかく親子のような関係だったよ。
将棋を打ったりね。ものすごく信頼してくれたし、墓場まで持っていくような政治の機微のことまで全然隠そうとしなかった。
中身はとても言えないけどね(笑)。(沢田大典)
*最高裁の裁判官会議で相手方の免責を決めた上で証言をとるという違法なやり方。
これは日本の裁判には無い、米国の「司法取引」のことだと思う。
この時代、私は自民党は単なる既得権益の中の利権屋政党と思っていたから、その流れの小沢一郎も変わらない政治家だと思っていた。
あの09年から始まった陸山会や小沢一郎個人への「政治とカネ」という事件化の経過の中で、初めて小沢一郎氏の潔白を信じるようになったが、もし特捜のデッチ上げが無ければ、今でも小沢一郎は豪腕だが金には後ろめたいものを持っている政治家だと思っていたと思う。
そういう点では特捜にお礼の一言でも言わなければならないか。ヽ(^o^)丿
ただこれだけの記事ですが、その下に、
関連ニュースとして、
【角栄の流儀】
田中元首相没後20年(番外編)小沢一郎・生活の党代表に聞く
というヘッドラインがあったので転載します。
2013.12.2 15:10
信頼してくれたおやじ
おやじ(=田中角栄元首相)は、ものすごく魅力的な人だったよ。面白いし、世話好きで、割合そそっかしく、せっかちな面もありました。
最初? 最初はすごくおっかなかったね。
知り合いのつてで秘書を頼り、目白の自宅に行った。
「田中派の候補として衆院選に出たい」というあいさつをするためだ。
「今度、選挙に出ますからよろしく」と。
それが意外なことに即「オーケー」ではなかったんだ。
僕は2代目だから普通に考えれば当選する可能性は高い。
それなのに反応は違った。
あのころの田中先生は若い者には厳しいことを言う人だった。
毎日つじ立ちしろ、戸別訪問は何万軒回れ、なんてことをいつも言われて、もうこれは「はい」というしかないよ。
初当選のあいさつに行っても、今度は「2期目を当選するのがおまえたちの役目だ」ってな感じだった。
会えば「ちゃんと地元に帰っているか」というのが口癖でね。
最初のころは、政治手法を学ぶどころではなかったよ。
田中先生がいうように、選挙というのは常に民主主義の原点だ。
地元に帰って有権者のことをちゃんと理解し、民意を丁寧にくみ取らないといけない。
これを民主党時代に盛んに言ったら、「うるさい」とか、「それは古い考え方だ」という反応だったがね。
首相就任当初、田中先生は中学も出ないで立身出世して「今太閤」ともてはやされた。
そこは日本人の好きなところだ。
ところがロッキード事件で一気にバッシングの嵐だ。
僕の裁判もそうだと思うが、ロッキード裁判も司法の自殺行為だったと思う。
田中裁判では、お金をもらったかどうかの問題以前に、*最高裁の裁判官会議で相手方の免責を決めた上で証言をとるという違法なやり方で得たものを証拠として訴追し裁判を始めた。
僕は裁判を全部傍聴しました。日本の裁判・司法に対する問題意識からだ。
もちろんいろいろ心情的な思いもあった。
親とも思っている人が首相にまでなったのに、今度は目の前で被告人になっているのだから。
でも、田中先生は、あれだけ権力を持っていながら、結局最後まで自分の捜査や裁判では決して権力を使おうとしなかった。
田中派が膨張するのはロッキード事件以降だ。
民主主義の原則通り、数の力で影響力を行使しようと考えたのだと思う。
その意味で民主的な日本人の良いところがあったのだろうね。
その頃から田中派にはわれわれのような「子飼い」でない人たちが増えた。
創政会旗揚げのときは、そもそも別に田中先生をどうこうする話では全くなかった。
取り巻きが間違った情報を入れたのだろうと思う。
田中先生も裁判を抱えていたし、感情的になって参加者を「裏切り者」と思って、どんどん対決する構図になってしまった。
仮にあのときに面と向かって怒鳴られていたら、すぐやめていたと思う。
その後、梶山静六さんや羽田孜さんと一緒に田中先生に呼ばれて、先生とわれわれ3人で話をしました。
その結果、田中先生を潰すつもりでやったという誤解のうち半分は解けたと思う。
でも最初のインプットがあったから、なかなかねえ。
田中先生は「官僚」を使うのがうまかったといわれている。
それは、当時は官僚が描いている路線と大体一致していたからだ。
田中先生は、いつも時代の先を読んで良い知恵を出すものだから、官僚もみんな賛成したんだ。
今なら震災復興でも、きっと思い切ったことをスピーディーにやったに違いない。
「日本列島改造論」は、そもそも高度成長がずっと続くという前提で書かれたものだ。
田中先生はいわば右肩上がりの時代の政治家で、全国が均等に発展していくべきだという思想がその根本にあった。
同じ自民党でも今の政権は違う。
正に強者の論理だよ。
最近の政府のやり方は、例えば農林漁業中心の地方なんていらないという話でしょ。
これでは地域社会が滅んでしまう。
そこは自民党が根本的に変質したところだね。
僕は田中角栄、竹下登、金丸信という3人の政治家に仕えた。
3人とも典型的な調整型だ。竹下さんや金丸さんは相手の話をよく聞いて足して2で割るタイプだった。
田中先生はあちこちにボールを投げてその反響をもってうまく判断した。
僕も実は調整をやらせたら大得意だよ。
でも今は丸く丸くではおさまらない時代だ。
基本原則を変えないといけない。
それなのに、いまだにコンセンサスの手法でやっているから、日本の政治はいつまでたってもダメなんだ。
僕はよく「田中先生は反面教師」というから、何か冷たい人間だと思われているようだが、それは情緒論と混同しているからだ。
政治哲学や政治思想と、人間の心情論をごっちゃにしている。
おやじといっても、論理的、理性的に考えれば違いもあるのは当然だ。
でも、まあとにかく親子のような関係だったよ。
将棋を打ったりね。ものすごく信頼してくれたし、墓場まで持っていくような政治の機微のことまで全然隠そうとしなかった。
中身はとても言えないけどね(笑)。(沢田大典)
*最高裁の裁判官会議で相手方の免責を決めた上で証言をとるという違法なやり方。
これは日本の裁判には無い、米国の「司法取引」のことだと思う。
この時代、私は自民党は単なる既得権益の中の利権屋政党と思っていたから、その流れの小沢一郎も変わらない政治家だと思っていた。
あの09年から始まった陸山会や小沢一郎個人への「政治とカネ」という事件化の経過の中で、初めて小沢一郎氏の潔白を信じるようになったが、もし特捜のデッチ上げが無ければ、今でも小沢一郎は豪腕だが金には後ろめたいものを持っている政治家だと思っていたと思う。
そういう点では特捜にお礼の一言でも言わなければならないか。ヽ(^o^)丿
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