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道徳の教科化 文科相に再考を求める

2014-10-26 07:38:13 | 言いたいことは何だ
道徳の教科化 文科相に再考を求める
 
中央教育審議会(中教審)が、小中学校の「道徳の時間」を正式教科に格上げするよう、下村博文文部科学相に答申した。
 授業には検定教科書を使う。成績の点数化はしないものの、コメントの形で行う。文科省は2018年度にも導入したい考えだ。
 
正式教科となり、しかも検定教科書を使って教えることになれば、国が特定の価値観を教科書に盛り込ませ、児童生徒に押しつけることになりかねない。
 
こうした懸念から、私たちはかねて教科化はすべきでないと主張してきた。あらためて下村文科相に再考を求める。現在は 学習指導要領 で週1回程度の「道徳の時間」が設定されている。教材選びや指導の仕方は学校や担任教師に任されている。
 
教科化の問題点は、政府の関与が格段に強まることだ。 それでなくても06年、愛国心を養うなどとした改正 教育基本法 が成立した。さらに昨年になって、基本法の目標に沿わない教科書は不合格にもできるように検定を強化した。
 
こうした中で検定教科書を使えば、子どもに愛国心を強いる結果にならないか。国に対する思いは個々人で違って当たり前である。その多様性を狭めてはならない。答申も「特定の価値観を押しつけることは、 道徳教育 が目指す方向の対極にある」とうたう。だが、そうした理念が尊重される方向を政府が目指しているとはとても思えない現状である。 確認しておきたいのは、公教育は児童生徒の内面に介入してはならないという大原則である。
 
第1次安倍晋三政権時にも教科化が中教審の議題になったが、個人の内面にかかわる道徳は点数化になじまないとの慎重論が強く、見送られた。今回はコメントの形を採り、学習状況や成長の様子を指導要録に書き込むことが考えられるとして中教審は教科化を認めた。
 
だが、評価が指導要録に記載されるようになれば、高校入試などで生徒が不利益を被る可能性も出てくる。人生を左右する危うさもはらむ。中教審では高校生への道徳教育強化も取り上げられ、委員からは「大学入試の基準に人間性も加えるべきだ」との意見が出された。
 
人間性をどう判断するというのか。無責任な提案だ。価値観の多様性や自主性を重んじるのが教育である。その原点に立ち戻って考えるべきだ。
 


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2 コメント

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Unknown (nog*t*ra)
2014-10-26 16:37:00
特亜三国の人々は他人に教えを乞う。自分自身で考えない。他人任せである。
意思があれば、加害者意識 (罪の意識)も生まれる。意思が無ければ、罪もない。無心である。無神論者と呼ばれるのかもしれない。
意思は未来時制の文章内容である。特亜三国の言語には、時制が無い。特亜三国の人には意思が無い。
罪を意識すれば反省もする。行動を改めもする。罪の意識のない人では、ああ言えばこう言うの言い訳になる。決着がつかない。
罪を基準にして判断できなければ、行動の基準を他に求めることになる。
罪を基準にして判断出来る人は、陪審員になれる。人の行為の適不適の決定に参加出来る。
意思の 'あるなし' が、判断基準の 'あるなし' になる。判断基準のない人は、他に基準も求めなければならないので、道徳教育がぜひとも必要になる。
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Unknown (琵琶)
2014-11-02 17:42:00
道徳教育には、今の大臣たちのお金の使い方を事細かに教えると、反面教師として、役立つと思うのですが!
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