
我が家のズッキーニ畑。収穫が始まったばかり。

黄色い品種オーラム。

緑色の品種ダイナー。

大きくなれないもの、変形したもの等は市場には流れない。流さない。これは自家用の漬物、煮物、炒め物用に。それにしても量が多すぎる。
近所に好きな方がいるから分けてやるか。
露地物野菜の出来があまり良くない。低温が続いたと思うと干ばつ気味であったり、大雨が去ったと思うと急激な高温になったりで、とにかく収穫量はどうなるかは見当がつかない。
工場野菜を作るのであれば天候に左右されず生産できるのだろうが、その野菜独特の味、作った土地の味といううのがなくなってしまう。もうすでにそうしたことは起きているのだが、せめて自分で作れるものがあるなら作ることをしないと、単なる農産物の供給装置としての役割にしかならないのではないだろうか。
だいぶ前になえるが「美味しんぼ」というマンガに水上勉氏の「土を喰らう日々」?というが紹介されてあった。第何話目かはわすれたし、その本をまだ読んだことはないのだが、〝人間が生きていく事の原点〟を教えてくれるものである。というようなことが書いてあったように記憶してるのだが、間違ってたらごめんなさい。
おめでとうございます