以下、神言会HP さまより抜粋
心(魂)に聴く耳を持たない恥知らず
世間には、人は話せば解ると言う人達が居られます。そうであって欲しいと誰でも思いますが、そ
うした人達は体験不足です。いくら話をしても、最初から話を聴く耳を持たない者達も居るのです。そ
うした者達は常に問答無用で来ます。他の人の話は聴かないが、自分の言うことを聴かない者には
脅しや暴力で従えようとします。
それは、自分で自分がする行為は常に正しいと思っており、人の意見や忠告を聴く必要は無
いと思っているからです。誰かが間違っていませんかと話をしようと思っても問答は無用。常に自
分だけが正しい者と思っており、他人の行動に関しては善人面であれやこれやと非難をします。そ
して、他人に向かっては自分の話はよく聴けになるのです。
他の人の話や講演などを聴くと、自分が知らなかったことや体験していないことを数多く学べ
ます。いろんな知識を心に蓄積出来ます。それが博学(広い知識)につながります。
ところが、こうした者は他の人の話や講演など最初から聴く気はないのです。自分の魂の向上を計
る気がないわけです。こうした者の魂は捻れて潰れているような場合が見られます。すなわち、
魂(心)に他の人の意見を聴く耳が備わっていない。間違ったことをしても、自分で自分を恥(耳心)
じるということは絶対に出来ないのです。
人は一般的に間違った行為をした時、それを誰かから忠告されたならば自分を恥じる。それは、
良心と呼ぶものが備わっているからです。だが、魂が捻れて潰れているような場合、良心と呼ばれ
るものも潰れています。心(魂)に聴く耳を持たないことから恥を知ることがなくなります。
こうした方達にいくら話せば解ると臨んでも、自分の魂を潰している様な方には通らないということ
も知っておく必要があります。
抜粋転載おわり
*****************************************
わがままな人間ほど自分に甘く人に厳しいものです。
わがままな人間ほど自分勝手でいながら人へのダメ出しが多いものです。
自分は好き勝手のやり放題なのに人にはああしろ、こうしろ、ああしてはならない、
こうしてはならないを連発します。
未熟な者ほど愚痴、不平、不満ばかりを垂れるものです。
それでいて人の愚痴、不平、不満は許さず耳も貸しません。
ダメ人間ほど無闇矢鱈に人を裁き攻撃します。
それでいて人からの批判には少しも耐えることができません。
さらには自分の失敗や罪さえ平気で人になすり付けるものです
貪・瞋・癡
これは仏教で説く三毒にあたります。
貪(とん)=むさぼり(強欲でケチなこと、際限なくほしがること)
瞋(しん)=怒り(自己中心的、怒ること、腹を立てること)
癡(ち)=迷妄(物事の道理に暗いこと、無知、愚痴)
いわゆる悟りに遠い人ほどこの傾向が顕著ですね^_^;
皆さんの周りにもこのような人、いませんか?
もしそれが自分のパートナーだったらそれこそ生き地獄 ですね。
時代錯誤の権威主義で超封建的な道理なき日本社会では今で言う
サイコパス的な人間にとってとても棲息しやすい環境にあります。
今や悪人天国と成り果てた日本では理不尽な仕打ちに毎日泣かされている
老若男女は数限りなく存在することでしょう。
しかもその理不尽は下流に向かって際限なく連鎖します(>_<)
これが世界では決してあり得ない理不尽(悪・不法)が日本だけではいつまでも
温存されている日本人の心理的、民族的な理由(上位には絶対服従)でしょう。
以上は私が今までに反面教師さまから学ばせて頂いた事柄です
反面教師さま、いつも貴重な御教えをありがとうございますm(__)m
心(魂)に聴く耳を持たない恥知らず
世間には、人は話せば解ると言う人達が居られます。そうであって欲しいと誰でも思いますが、そ
うした人達は体験不足です。いくら話をしても、最初から話を聴く耳を持たない者達も居るのです。そ
うした者達は常に問答無用で来ます。他の人の話は聴かないが、自分の言うことを聴かない者には
脅しや暴力で従えようとします。
それは、自分で自分がする行為は常に正しいと思っており、人の意見や忠告を聴く必要は無
いと思っているからです。誰かが間違っていませんかと話をしようと思っても問答は無用。常に自
分だけが正しい者と思っており、他人の行動に関しては善人面であれやこれやと非難をします。そ
して、他人に向かっては自分の話はよく聴けになるのです。
他の人の話や講演などを聴くと、自分が知らなかったことや体験していないことを数多く学べ
ます。いろんな知識を心に蓄積出来ます。それが博学(広い知識)につながります。
ところが、こうした者は他の人の話や講演など最初から聴く気はないのです。自分の魂の向上を計
る気がないわけです。こうした者の魂は捻れて潰れているような場合が見られます。すなわち、
魂(心)に他の人の意見を聴く耳が備わっていない。間違ったことをしても、自分で自分を恥(耳心)
じるということは絶対に出来ないのです。
人は一般的に間違った行為をした時、それを誰かから忠告されたならば自分を恥じる。それは、
良心と呼ぶものが備わっているからです。だが、魂が捻れて潰れているような場合、良心と呼ばれ
るものも潰れています。心(魂)に聴く耳を持たないことから恥を知ることがなくなります。
こうした方達にいくら話せば解ると臨んでも、自分の魂を潰している様な方には通らないということ
も知っておく必要があります。
抜粋転載おわり
*****************************************
わがままな人間ほど自分に甘く人に厳しいものです。
わがままな人間ほど自分勝手でいながら人へのダメ出しが多いものです。
自分は好き勝手のやり放題なのに人にはああしろ、こうしろ、ああしてはならない、
こうしてはならないを連発します。
未熟な者ほど愚痴、不平、不満ばかりを垂れるものです。
それでいて人の愚痴、不平、不満は許さず耳も貸しません。
ダメ人間ほど無闇矢鱈に人を裁き攻撃します。
それでいて人からの批判には少しも耐えることができません。
さらには自分の失敗や罪さえ平気で人になすり付けるものです
貪・瞋・癡
これは仏教で説く三毒にあたります。
貪(とん)=むさぼり(強欲でケチなこと、際限なくほしがること)
瞋(しん)=怒り(自己中心的、怒ること、腹を立てること)
癡(ち)=迷妄(物事の道理に暗いこと、無知、愚痴)
いわゆる悟りに遠い人ほどこの傾向が顕著ですね^_^;
皆さんの周りにもこのような人、いませんか?
もしそれが自分のパートナーだったらそれこそ生き地獄 ですね。
時代錯誤の権威主義で超封建的な道理なき日本社会では今で言う
サイコパス的な人間にとってとても棲息しやすい環境にあります。
今や悪人天国と成り果てた日本では理不尽な仕打ちに毎日泣かされている
老若男女は数限りなく存在することでしょう。
しかもその理不尽は下流に向かって際限なく連鎖します(>_<)
これが世界では決してあり得ない理不尽(悪・不法)が日本だけではいつまでも
温存されている日本人の心理的、民族的な理由(上位には絶対服従)でしょう。
以上は私が今までに反面教師さまから学ばせて頂いた事柄です
反面教師さま、いつも貴重な御教えをありがとうございますm(__)m