言わなければならない事は言わないと前には進まない

生活する中において言わなければならない事や、他の記事で共感したことなどを中心に。今その時の思いを表す。

最高裁も腐敗している

2015-01-20 04:53:30 | 言いたいことは何だ
[1740]告発の書 「 絶望の裁判所 」 の著者への インタヴュー記事です。 重要です。 
http:// www.sns i.jp/bb s/page/ 1/

以下に転載する 講談社の 「現代ビジネス」というサイト の インタヴュー記事は、『絶望の裁判所』(2014年2月刊、講談社新書 ) を書いた、瀬木比呂志(せぎひろし)氏 の 発言です。

私は、昨年の春に、この『絶望の裁判所』 を読んで、この本は、大変な本、と分かりました。 

日本の裁判制度と、最高裁の人事行政が、裁判官たちへの監視と牢獄(ろうごく)状態になっていることを、瀬木氏は、満身の怒りを込めて(しかし淡々と穏やかに)書いています。

瀬木比呂志氏は、東大の法学部を出て若くして裁判官(25歳で)になった本当の法曹(ほうそう)エリートだ。 現在60歳(1954年生まれ)だ。

瀬木比呂志は、裁判所(および法務省)内のエリート・コースを歩み続けた人だ。

この人は、2012年に、明治大学法学部教授になって、追い出された、というか、裁判所という 牢獄の「裁判官という囚人」(自分でそのように書いている)の身分から脱出して、この本を書いた。

講談社現代新書から出した。

講談社という出版社は、すばらしい見識を持っていて、マンガと婦人雑誌で食べているように見せているが、本当は、日本国の国益を十分に考えて、控え目にして鈍重(どんじゅう)で慎重な動きだが、ときどき本当によい本を出す。 

この本は、日本国民にとって最大級に優れた本だ。

私は、昨年から、ずっとこの本の重要性 「良心的な裁判官たち自身が、収容所で厳しく監視される 囚人になっているのだ」という告発の内容をどうやって、皆に知らせようかと、考えてきた。 

私なりの書評をして、絶賛し援護射撃をすればいいのだ、と考えてきたのだが、自分の仕事に追われて、それも出来なかった。 

ずるずると今日まで来てしまった。

この本は、この国の法曹関係者と呼ばれる、裁判や法律関係でゴハンを食べている人たちの間でだけ、評判となり、ザワザワと、

「最高裁のやっている、裁判官たちへの人事面からの締め付けはすごいよなあ。ヒドい世界だ。実際にそうなんだよ」 

と、裁判所職員とか、弁護士たちや、司法書士や、税理士たちでも、噂(うわさ)しあって、「お前、あの本を読んだか」と、酒の肴にして来たものだ。 

こういう事情で一年が過ぎた。

今からでも、私たち日本国民は、この『絶望の裁判所』という本を皆で、振りかざしてでも、騒がなければいけない。

 
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私たちの国の、裁判制度の残酷なおかしさと、人衆抑圧に、本当の怒りの声を上げなければいけない。

私は、以下に一枚の写真(画像)を貼り付けるが、この竹崎博允(たけざきひろのぶ)という男に、激しい怒りを感じている。

この愚劣極まりない男が、最高裁判所長官として(昨年の2014年3月に退官して逃げた)、日本の司法(権力)のトップにいて、

小沢一郎を、 検察審査会での強制起訴やら、 検察審査会(最高裁の職員たち。だからゴロツキの竹崎の 手下たちだ)やらで、「法律という刃物」で、小沢一郎の 政治生命に致命傷を負わせ、

私たち日本国民の 政治改革の大きな希望であった、鳩山・小沢政権を瓦解(がかい)させ、政治謀略で叩き潰した、その公然たる表舞台の 最高責任者だ。


 
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竹崎博允・最高裁判所前長官(左) と 江田五月(右)

小沢殺しを狙った裏組織の、恐ろしい人殺し部隊まである「三宝会(さんぽうかい。1998年結成)」の話ではない。

公然たる表舞台の 三権の長(さんけんのちょう)である最高裁長官が、たくさんの違法行為を重ねて、小沢一郎たちを葬り去ったのだ。 

私、副島隆彦の、アメリカの日本あやつり対策班(ジャパン・ハンドラーズ。アーミテージ、M.グリーン、ジョゼフ・ナイら )ゴロツキどもの手先となって蠢(うごめ)いた 竹崎博允(たけざきひろのぶ)への怒りは、今も怒張(どちょう)天(てん)を衝(つ)くほど深い。

この男は、時代が変わって、少しでもよい時代になったら、絶対に あの2009年、10年、11年の、体制法律家(法律権力を握る者たち)の悪事=犯罪=違法行為を、告発し起訴して裁判に掛けなければいけない。

竹崎の犯罪は、あの時の警察庁長官や、最高検検事総長のような下っ端の罪や、法務省の”赤レンガ組” どものの罪よりも、国家体制上の格が上だからそれだけ重い。

こいつを縛り首にしなければいけない。

この一枚のパーティ会場での写真に竹崎と一緒に写っている 江田五月(えださつき)も許しがたい日本国民の敵だ、ということは、こいつが参議院議長(民主党の議員だった)の頃から、どんどん馬脚を顕(あらわ)していた。

江田五月の父親は、江田三郎(えださぶろう)で、社会党右派を率いた大物政治家だった。

 
社会党の左派の政治家たちと、何十年もいがみ合っていた。

やはり、親子2代でアメリカの手先を忠実にやった男だ。

江田五月は、1960年安保の時には、安保ブンドの下っ端として国会議事堂を取り囲む運動とかに、東大生の時は参加していた男だ。

そのあとすんなりと裁判官になって、そのあとリベラル派の政治家になったと思ったら、やっぱり土壇場で、鳩山由紀夫と小沢一郎を裏切った。

やっぱり江田五月は長年かけてアメリカに育てられた男のひとりだった。

彼の人生の最終段階でそのことが大きく露呈した。 

だから、この写真の通り、竹崎博允と若い裁判官時代の同期生なのだろう、談笑している。

本当にワルいやつらだ。

そして瀬木比呂志(今、60歳)は、この竹崎博允(1944年生、今、70歳)が、最高裁の事務総長(2002年から2006年。同時に、この事務総長のまま最高裁判事の末席にいる )が、このようにすべての裁判官の人事権を一手に握っていたときの上司だ。 

彼ら東大法科エリートは、地方の田舎の裁判所の”ドサ回り”はしない。  

瀬木比呂志は、この竹崎博允(たち)から酷(ひど)い目にあったのだ。

だから、明治大学に58歳で逃げて、その時に、自由にものが言える言論の自由を、生まれて初めて手に入れたのだ。 

裁判官たちは、裁判官室に居ることは、背後の席にいる部長という上司たちに、ずっと背後から監視されている。

裁判の判決の内容まで、チェックされる。 

そして、

 
「裁判官としての(優れた知能と)良心に基づいて裁判」
 
をしようとすると、圧力がかかる。

上(うえ)にヘイコラして言いなりの裁判をする裁判官たちのことを、ヒラメ という。

ヒラメという魚は、砂地にべったり隠れて上の方ばかり見ている。

だから、何百万年の間に、反対側の目玉までが、表面に出てきた。 

瀬木比呂志は、裁判官時代に、民事訴訟法の大変すぐれた実務から生まれた論文集を書いたそうだ。

法曹界では、瀬木のその民訴の論文と実践的な理論は高く評価され尊敬されている。

弁護士たちがそのように言っている。

瀬木比呂志は生来の頭脳明晰な人なのだ。
 
瀬木比呂志は、裁判所の裁判官たちの世界で長年ひどいイジメにあったのだ。

体制、権力者側の言うことを聞かないで、自分の良心で裁判をしようとすると、嫌われて爪弾(つまはじ)きにされる。

瀬木比呂志に悪口をいう人たちがいて、「瀬木は、自分が、最高裁の判事になれなかったものだから、ヒガミ根性で、あんな本を書いたのだ」と 言う。

生来の体制派の人間たちというのは、こういう言い方をする。 

自分はいつでも、勝ち組である。

組織、団体の中で 左遷(させん)され冷や飯を食うことだけはしないように、抜け目なく動く。

いつも力(ちから)のある者のそばに、スリスリと擦り寄って、お追従(ついしょう)を言ってヘイコラして、背骨が曲がったまま、卑屈に振る舞って、生き延びる。 

人間は、大きく分ければ、この体制追従型(たいせいついじゅうがた)か、そうでなければ、自分の頭で考えて自力で生きる型の2種類に分けられる。

副島隆彦の本を読んでくれる人は、ほとんどが後者の方だろう。

だから、瀬木比呂志が、裁判所から離れて私立大学に移って、初めて自由になって、この『絶望の裁判所』を書いて大きな真実を表(おもて)に出すことができた。

以下に『絶望の裁判所』(2014年2月刊、講談社新書 ) の裏表紙の文章を載せる。 

ものすごく重要だ。 

ここには、かつて1970年代に 「青年法律家協会」(略称、青法協=せいほうきょう=)に集まった、優れた優秀な若い裁判官たちを、体制側が、政治弾圧したことの、証拠(証言)が書かれている。

 
歴史の星霜(せいそう)を経て表に出た驚くべき事実だ。 
 
これが日本の裁判所なのだ。 
 
”悪の巣窟(あくのそうくつ)”そのものだ。 
 
 
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『絶望の裁判所』 の 裏表紙 の 文

一人の学者裁判官が目撃した司法荒廃、崩壊の黙示録

最高裁判事と調査官の合同昼食会の席上、ある最高裁判事が、突然大声を上げた。

「実は、俺の家の押入にはブルーパージ(大規模な左派裁判官排除、思想統制工作。最高裁の歴史における恥部の一つ)関係の資料が山とあるんだ。
一つの押入いっぱいさ。どうやって処分しようかなあ?」

すると、「俺も」、「俺もだ」とほかの二人の最高裁判事からも声が上がり、昼食会の会場は静まりかえった。

こうした半ば公の席上で、六人の裁判官出身判事のうち三人もが、恥ずかしげもなく、むしろ自慢気に前記のような発言を行ったことに、他のメンバーはショックを受けていた。 (本書より。内容は一部要約)

副島隆彦です。これは、真に絶句すべき文だ。 

この本の 扉を開いた「はしがき」の冒頭にも、

「この門をくぐる者は、一切の希望を捨てよ」ダンテ『神曲』(副島隆彦注記。本当は、『神聖を装った、ローマカトリック教会という喜劇の組織』という意味だ ) の 「地獄編第三歌 」

とある。 

瀬木比呂志にとっては、自分が33年間務めた最高裁判所というところは、「裁判所という地獄への門」だったのだ、と 分かったのだ。

瀬木比呂志は、若い裁判官の時から、最高裁の調査官(ちょうさかん)という、超エリートたちだけがなれる裁判官になっている。

これは、最高裁判事(15人いる)たちの下働きをする 若手のエリートたちで、実質的に、彼ら若手が、最高裁にまで上がってくる事件の多くの、大量の ”ゴミ扱いの事件”の 判決文とかを書く。 

そして、その年の重要だった判決文を調査して、集めて、 「民集」 と 「刑集」という分厚い本にする。

それは、民事裁判、刑事裁判の判決文とその経緯の判断文とかを集めたもので、これが、「判例(はんれい)」 =先例拘束(せんれいこうそく)というものになる。

瀬木比呂志は、だからずっと最高裁内(および法務省)のエリート・コースを歩んでいるので、地方の”ドサ回り”をしていない。

だから、人事と能力判定がまっとうであれば、自分が当然に最高裁の判事(=裁判官)になる、なれる、と信じて疑わなかっただろう。 

だが、裁判所も、他の公務員たちの役所と同じく、汚れているから、そうはならない。

だから、瀬木比呂志がこの、組織の内部からの暴露本、告発の書を書いたことを指して、

 
「瀬木は自分が出世できなかったことの妬(ねた)み、ヒガミで、こういうとんでもない本を書いたのだ」
 
と腐(くさ)して、攻撃する者たちが、当然出てくる。  

それは現世のおける、大勢順応(たいせいじゅんのう)、体制追随(たいせいついずい)の歪(ゆが)んだ生き方をする者たちと、

 
冷や飯食いを覚悟して、それでも清新な立派な人間としての生き方を貫く者たちとの闘いだから、甘んじて引き受けるしかない。

私、副島隆彦は、当然、この 瀬木比呂志の生き方と、彼が書いた本を全面的に支持し、賞賛し、応援する。

 
これは、裁判所をめぐる日本国民の闘いの場なのだ。 
 
だから、瀬木比呂志の『絶望の裁判所」は、ものすごく重要だ。

皆、買って読むべし。

そして、ザワザワと日本国内に、

 
「裁判所の内側はひどいそうだよ。特に人事面で腐敗しきっているらしい」
 
とうわさ話を広げなければいけない。

前掲した、この本の裏(うら)表紙の一文を読んで、目くじらを立てないようでは、とても知識人、読書人とは言えない。 


「 日本の裁判は本当に中世並み 『ニッポンの裁判』著者・瀬木比呂志氏インタビュー 」
『絶望の裁判所』 は序章にすぎなかった

http:// gendai. ismedia .jp/art icles/- /41659

 

検察巨大犯罪が無罪放免


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