私も戦争を知らない が 叔父たちは戦死
骨も本土に帰らない叔父も居る 黙祷
涙で途中から・・・
硫黄島の英霊はA級戦犯の孫を受け入れるのだろうか
http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1979.html
↑より抜粋転記↓画像拝借
硫黄島に眠る英霊たちが、
自分たちの命と引き換えに守ろうとしたものを、
いとも簡単に売り渡してしまうこの国の
最高権力者が
慰霊に訪れるという倒錯した世界。
それが、今の日本。
滑走路の下に
塗り込められたままになっている英霊たち
安倍晋三が来月13日にも硫黄島を訪れる予定とか。
略
この島で、多くの日本兵が玉砕したことは、太平洋戦争最大の悲劇の一つとして日本人なら誰でも知っているでしょう。
昭和19年、米軍の圧倒的な物量の前になすすべがなく、戦況は日本にとってますます厳しくなる一方。
サイパン、グアム、テニアン島などが次々と米軍によって制圧され、これらの島々から飛び立ったB29が、日本本土を焼夷弾によって容赦なく焦土と化していきました。
大本営は硫黄島の戦略的重要性を認識しており、この島を本土防衛の最後の砦と考えました。
軍属以外にも少年兵を含む約21000名の日本兵が硫黄島に配置されたのです。
それは、二度と日本の土を踏むことができない死出の旅でした。
一方、米軍は、B29による日本本土への本格的な空襲のために、なんとしてでも硫黄島を橋頭堡にしたいと考えていました。
米軍が投入した戦力は、空母「サラトガ」、空母「ビスマルク・シー」を含む艦船800隻、航空機4000機、米兵士総数25万人。
出撃前の日本軍の戦闘機。爆弾を抱えて米艦船に突っ込む特攻隊
日本軍の特攻隊が突っ込んだ空母サラトガの艦上
昭和20年2月16日、
硫黄島に対して熾烈な艦砲射撃と空爆が開始されました。
島が見えなくなるほど空爆と砲撃を浴びせた後、
130隻の連合軍の上陸用舟艇が硫黄島に向った
2月19日には、
B29による空爆と硫黄島沖に集結した艦隊による砲撃が全島を襲い、
硫黄島の南海岸には約130隻の上陸用船艇が上陸したのです。
米軍は、たびたび日本軍に対して降伏勧告を行ったものの、
日本軍はすべてこれを拒絶。
彼らは名誉の戦死を選んだのです。
そして、硫黄島玉砕……。
なぜ彼らは降伏しなかったのでしょう。
当時の軍国主義の日本では、降伏兵など国賊扱いされたから?
そんな安値の理由ではありません。
この硫黄島が米軍に制圧されてしまえば、
B29のための滑走路が造られ、
さらに大規模な本土爆撃が行われてしまいます。
硫黄島の日本兵たちは、
本土にいる多くの罪もない女性と子供を
なんとしてでもB29の空襲から守るため、
最後の一人まで戦って、
硫黄島が制圧されるまでの時間を
1分でも1秒でも先に延ばそうとしたのです。
その結果、米軍との熾烈な戦闘で20,129名の日本兵が玉砕。
捕虜になったのは、わずか1,033名だけでした。
米軍のほうも、戦死者6,821名、負傷者21,865名。合計28,686名という人的損害を出したのです。
大本営は、昭和20年3月21日、硫黄島玉砕を正式に発表しました。
(以上、資料は硫黄島玉砕から)
今までに発掘された日本兵の遺骨は約8000体。
硫黄島には、今なお13000人以上の英霊が
土の中に閉じ込められたままでいるのです。
「戦争を知らない子供たちの子供」は、「早く降伏しちゃえば良かったのに、これじゃあ無駄死にじゃん」と言います。
最後まで硫黄島を守った勇敢な日本兵がいなければ、
「戦争を知らない子供たち」はこの世に存在していなかったかもしれないし、「無駄死にじゃん」とノー天気な言葉を吐く「戦争を知らない子供たちの子供」も、当然、この世に生まれてこなかったかもしれないのです。
21世紀、
彼らの上には自衛隊の軍用機が離発着する冷たい滑走路があります。
画像はテルヤ寛徳のブログから転載
この滑走路は、米軍がこの島を制圧した直後の昭和20年3月に米軍の手によって造られました。
この小さな孤島には、2万人以上の日本兵の亡骸が放置されていました。
米軍は、その日本兵の亡骸を収容するでもなく、彼らの顔の上にコンクリートを流して、この滑走路を造ったのです。
終戦後、この島が日本に返還されてから、滑走路の一部のコンクリートを引き剥がしてみたところ、遺骨がいくつか出てきました。
しかし、日本政府は再びコンクリートを元に戻して、何食わぬ顔でこの空港を使っているのです。
この下には、どれくらいの数の遺骨があるか見当もつかないのに、です。
また、地下要塞には火山島ならではの灼熱地獄の中で、最後まで米兵と戦いを繰り広げた日本兵の白骨化した亡骸が今なお回収されないまま残っているのです。
日本兵が命を賭してまで守った日本本土と、徴兵で夫を戦争に取られた若い女性と子供。
田んぼやうっそうとした鎮守の森、青々とした山々、フナやドジョウ、メダカが元気よく泳いでいる川や沼がある彼らの故郷に、戦後68年も経っているのに、帰ることがことができないのです。
これが日本政府の仕打ちです。
時が経てば経つほど、日本兵の遺骨収集作業は、ますます難しくなってしまいます。
彼らの多くが、今なお
日本の本土を守ろうとして島内をさまよっているのです。
略
英霊が守ったものを
一瞬にして売り渡そうとしている安倍首相
安倍晋三は、「親の敵をとる」と7月の参院選にすべてをかけています。
参院選で勝つためなら、人に何と言われようと何でもやるでしょう。
・始まった自民党による言論弾圧と「TPP世論操作詐欺」
・自民党の世論誘導組織「インターネットサポータークラブ」
老齢のため、会員がどんどん亡くなっていますが、戦没者の遺族で構成されている日本遺族会は、やはり今でも自民党の票田になっています。
去年の衆院選が、すべての高裁で
「違憲」とする判決が出たことが少なからず響いたのでしょう。
さらに、広島高裁、広島高裁岡山の両方で「選挙無効」の判決まで出ると、どんな小さな票田でも逃すことができなくなりました。
この安倍の硫黄島の“遺骨収集視察イベント”は、
自民党の利益共同体である読売、産経の各紙の紙面を
にぎわせることでしょう。
満州国でアヘンを中国人に売っていた
安倍晋三の祖父・岸信介は、
戦後 A級戦犯 として裁かれました。
当然、死刑となるべく運命でしたが
「もし米ソ冷戦になればアメリカは自分に対して利用価値を見出すだろう、そうなれば自分の首はつながる」と考えていました。
そして、そのとおりになったのです。
彼は釈放されました。米側に日本の情報を渡しながら。
果たして、この男の孫である安倍晋三を
硫黄島に眠る13000の英霊たちは受け入れるのでしょうか。
硫黄島の戦士たちは
日本の美しい国土と
いわゆる「か弱き女、子供」を守るために
負けると分かっている戦に命を捧げたのです。
彼らは、米軍の「降伏勧告」という甘言に一切乗らなかったのです。
岸信介は、彼らのような英霊を戦争に誘い込み、挙句の果ては、硫黄島の戦士たちの敵である米国に、完全に魂を売り渡すことによって自分の命をつないだのです。
今度は、その孫がTPPに参加することによって、
日本全土と日本の全国民、その子々孫々まで、
彼らが殺された米国の奴隷に
しようとしているのです。
硫黄島の英霊たちから見れば、岸信介の孫の安倍晋三こそが、放射能によって美しい日本を破壊し、子供たちに残酷な被曝を強いたまま、米国に日本を丸ごと売り飛ばそうとしている国賊ではないのか。
安倍晋三が汚し、売り渡そうとしている国民の命こそ、硫黄島の戦士たちが命を賭して守った「日本の美しい国土と、女性と子供」なのです。
ここまで日本を破壊した政党のトップが、参院選に勝つためにノコノコ硫黄島に行ったとき、彼らはどんな扱いをするのでしょう。
参院選後、自民党はその牙を剥くでしょう。
原発再稼動、TPP交渉加速、消費税増税、日本を切り売りする道州制の推進、平和憲法の改正、徴兵制の復活…。
こうしたことから、まさに日本を守るため、栗林中将以下、21000名の日本兵は米国と戦ったのではないのか。
英霊たちは、きっと「私利私欲の選挙のために、死んでからもまだ俺たちを利用しようとするのか」と怒っていることでしょう。
安倍晋三は24日、二度目の福島視察を行いました。
そこで、彼は力強く宣言しました。
「住民をなるだけ早く帰還させて、原発を再稼動させます」。
硫黄島では、ここのところ特に海底噴火や地震が頻発しています。
これは「神の警告」なのでしょうか、
それとも
「日本の国土をここまで汚してしまった人々に対する英霊たちの怒り」
でしょうか。
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