原発事故の処理は何処へ行った!
昨日の国会で安倍総理が所信表明を行いました。
一応ザーっと見たのですが何処にも福島原発事故に対する所信とか収束に向けての考えや今後の原発に対する取り組みへの言葉がありませんでした。
そして、震災復興の中で述べているのは、『私は、ある少女とその家族の物語を思い出さずにはいられません。東日本大震災で、小学校三年生だった彼女は、ひいおばあさんとお母さんを亡くしました。悲しみに暮れる家族のもとに、被災から二カ月後のある日、一通の手紙が届きます。それは、二年前、少女が小学校に入学した後に、お母さんが少女に内緒で書いた「未来へ宛てた手紙」でした。
手紙には、入学当初の苦労話の後に、こうつづられていました。「げんきに学校にいってくれるだけで、とてもあんしんしていました。
このてがみをみんなでよんでいるところを たのしみにして、これからおかあさんは がんばっていきます」
この手紙を受け取ったのは、私がかつて被災地で出会い、先般、再会を果たした少女です。
その際、彼女は、私の目をじっと見つめ、「小学校を建ててほしい」と言いました。
過去を振り返るのではなく、将来への希望を伝えてくれたことに、私は強く心を打たれました。』
これを読んで私は23~4年ほど前だったろうか、バブル真っ最中の頃「一杯のかけそば」という話がテレビで取り上げられ社会現象が起きたことを思い出した。
貧しい母子三人が大晦日に蕎麦屋に行き、一杯のかけそばを三人で食べるというお涙頂戴の話だったと思ったが、それは実話ではなく、作られた短編小説であった。ということで一気に熱が冷めたものだったが、そのとき民社党(社民党ではなく、あの風見鶏のような労働政党)の代議士が実話としてテレビで話していたのを覚えている。
名前は忘れたが読売新聞の橋本五郎に似たヨイショ屋のチンケな男だった。
安倍総理の昨日の話もそれによく似た話であり、仮に事実だとしても聞いている方としては、尻がムズムズするような話である。(聞いていなくて良かったが)
そういう話では無く、現実の福島原発事故の現状と、これに対し今後どのように取り組むのかという話が必要なのに全く成されていないのはザンネンと言うより、やはり原発は推進するということだと確信した。
福島原発事故をどのように収束させるかが、心配であり国民の大きな関心事であるわけだが、完全にシカトしている。
そして、同じ今日の東京新聞では東電が報道各社に公開・説明した福島原発事故の現状を報道している。
取材中、3号機付近では、一般人の年間被ばく限度(1㍉シーベルト)を一時間で超える毎時1.3㍉シーベルト超を記録した。
さらに、敷地は処理水をためるタンクだらけで、タンク増設が限界に近づいていることもうかがえた。
建屋への地下水の流入を減らし、汚染水量を抑えるための井戸が敷地の山側で掘り進められているものの、効果は未知数だ。
福島第一の高橋毅所長は「現場は落ち着いてきたが、(溶け落ちた)核燃料の取り出しには10年以上かかる」と、廃炉作業は長期にわたるとの認識をあらためて示した。
と報じている。
要するに「除染」を何度行っても現場で放射能を出し続けている以上、住民は故郷へ帰ることも出来ないわけで、その対応に知らん顔をしていて、次の言葉はドッチラケになるわけです。
自らへの誇りと自信を取り戻そうではありませんか。
「強い日本」をつくるのは、他の誰でもありません。私たち自身です。
って、54基もの原発と、使用済み核燃料がある限り、その道筋を明確に示すことが出来なければ経済の数字をいじくっても国民には真からの自信は生まれないのです。
自信とは希望があって初めて生まれるものであり、その希望というのは原発を日本から無くすことなのです。
その脱・原発の道筋をつくることが日本人の希望と自信になるのです。
昨日の国会で安倍総理が所信表明を行いました。
一応ザーっと見たのですが何処にも福島原発事故に対する所信とか収束に向けての考えや今後の原発に対する取り組みへの言葉がありませんでした。
そして、震災復興の中で述べているのは、『私は、ある少女とその家族の物語を思い出さずにはいられません。東日本大震災で、小学校三年生だった彼女は、ひいおばあさんとお母さんを亡くしました。悲しみに暮れる家族のもとに、被災から二カ月後のある日、一通の手紙が届きます。それは、二年前、少女が小学校に入学した後に、お母さんが少女に内緒で書いた「未来へ宛てた手紙」でした。
手紙には、入学当初の苦労話の後に、こうつづられていました。「げんきに学校にいってくれるだけで、とてもあんしんしていました。
このてがみをみんなでよんでいるところを たのしみにして、これからおかあさんは がんばっていきます」
この手紙を受け取ったのは、私がかつて被災地で出会い、先般、再会を果たした少女です。
その際、彼女は、私の目をじっと見つめ、「小学校を建ててほしい」と言いました。
過去を振り返るのではなく、将来への希望を伝えてくれたことに、私は強く心を打たれました。』
これを読んで私は23~4年ほど前だったろうか、バブル真っ最中の頃「一杯のかけそば」という話がテレビで取り上げられ社会現象が起きたことを思い出した。
貧しい母子三人が大晦日に蕎麦屋に行き、一杯のかけそばを三人で食べるというお涙頂戴の話だったと思ったが、それは実話ではなく、作られた短編小説であった。ということで一気に熱が冷めたものだったが、そのとき民社党(社民党ではなく、あの風見鶏のような労働政党)の代議士が実話としてテレビで話していたのを覚えている。
名前は忘れたが読売新聞の橋本五郎に似たヨイショ屋のチンケな男だった。
安倍総理の昨日の話もそれによく似た話であり、仮に事実だとしても聞いている方としては、尻がムズムズするような話である。(聞いていなくて良かったが)
そういう話では無く、現実の福島原発事故の現状と、これに対し今後どのように取り組むのかという話が必要なのに全く成されていないのはザンネンと言うより、やはり原発は推進するということだと確信した。
福島原発事故をどのように収束させるかが、心配であり国民の大きな関心事であるわけだが、完全にシカトしている。
そして、同じ今日の東京新聞では東電が報道各社に公開・説明した福島原発事故の現状を報道している。
取材中、3号機付近では、一般人の年間被ばく限度(1㍉シーベルト)を一時間で超える毎時1.3㍉シーベルト超を記録した。
さらに、敷地は処理水をためるタンクだらけで、タンク増設が限界に近づいていることもうかがえた。
建屋への地下水の流入を減らし、汚染水量を抑えるための井戸が敷地の山側で掘り進められているものの、効果は未知数だ。
福島第一の高橋毅所長は「現場は落ち着いてきたが、(溶け落ちた)核燃料の取り出しには10年以上かかる」と、廃炉作業は長期にわたるとの認識をあらためて示した。
と報じている。
要するに「除染」を何度行っても現場で放射能を出し続けている以上、住民は故郷へ帰ることも出来ないわけで、その対応に知らん顔をしていて、次の言葉はドッチラケになるわけです。
自らへの誇りと自信を取り戻そうではありませんか。
「強い日本」をつくるのは、他の誰でもありません。私たち自身です。
って、54基もの原発と、使用済み核燃料がある限り、その道筋を明確に示すことが出来なければ経済の数字をいじくっても国民には真からの自信は生まれないのです。
自信とは希望があって初めて生まれるものであり、その希望というのは原発を日本から無くすことなのです。
その脱・原発の道筋をつくることが日本人の希望と自信になるのです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます