言わなければならない事は言わないと前には進まない

生活する中において言わなければならない事や、他の記事で共感したことなどを中心に。今その時の思いを表す。

無教養な日本会議に従った無教養な安倍首相の「令和」選定

2019-04-06 11:40:28 | 言いたいことは何だ
天木直人のブログ
2019-04-05

新元号に「令和」が決まった時に、インターネット上でははやばやと次のような情報が流れた。


 すなわち、安倍首相は、自らの支持母体である日本会議の意向を忖度して、新元号の二文字の出典を国書から取ることにこだわり、最終的には万葉集の大伴旅人の和歌から取ったと誇らしげに宣伝したが、実はこの和歌は中国の文献に元ネタがあり、その影響を受けた物まねだったと。
 それを知った私は、インターネット時代の到来はさすがに大したものだと思ったものだ。


 つまりインターネット上に飛び交う情報は、その多くがくだらないものばかりだが、中には驚くような高いレベルの情報が見られる。


 もはや重要な情報や知識は、皆が一目置く既存の権威や知識人が独占する時代ではなく、1億2千万の国民すべてが、誰も知らないような情報や高度の知識を提供する時代になったのだ、と。


 そして、いまでは、この「令和」が中国文献に由来していることは、全国紙も指摘するまでに広く共有されている。


 そもそも当時の日本の教養人はみな中国を手本にしていたのだ。
 国書にこだわる理由も根拠もないのだ。


 これを要するに、「令和」の選定は、無教養な日本会議に忖度した、無教養な安倍首相による、軽率な選定であったということだ。


 それにもかかわらず、いまでも安倍首相は国書から「令和」を選んだ事は良かったと、自らの選定を誇らしげに繰り返している。


 ここまでま皆が中国歌人の真似だったことを語るようになった以上、安倍首相がそれを側近から聞いて、知らないはずがない。


 それにもかかわらず、いまさら変えるわけにはいかないからといって、「令」や「和」のいい意味ばかりを強調して、自分の選択は良かったと強弁する。


 無教養に加えて、嘘でダブルスタンダードの安倍首相だ。


 まさしく安倍首相そのものだ。


 新元号をめぐる大騒ぎは、安倍首相による、安倍首相のひとり芝居だったということである(了)

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