言わなければならない事は言わないと前には進まない

生活する中において言わなければならない事や、他の記事で共感したことなどを中心に。今その時の思いを表す。

70年前のSEALDs、松谷天光光さん。

2015-12-22 14:00:14 | 言いたいことは何だ
今日の東京新聞 一面トップから
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70年目の1945年12月、衆議院議員選挙法が改正された。
あらたに一票を得たのは女性と若者。


めて女性参政権が認められ、選挙権、被選挙権が5歳ずつ弓lき下げられた。


敗戦間もない時期の新風は翌春、いきなり39人の女性議員を誕生させた。


来夏の参院選は、その時以来の年齢引き下げとなる18歳選挙権が実現する予定だ。


焼け野原になった東京・新宿の駅頭。
早稲田大の雄弁会出身の男が演説を始めても、誰も足を止めない。


ところがモンペ姿のやせた彼女が話しだすと、汚れた軍服や国民服姿の男らが幾重にも取り囲んだ。

「皆さんっ! 今、私たちは三度、三度食べるものがありません」。



叫んでいたのは、半年後に国会議員となる松谷(後に結婚して園田)天光光(てんこうこう)だった。


大学は出たものの二十六歳で無職。
餓死者だらけの上野の地下道の惨状を訴えた。
四五年十月の夕刻のことだった。

「若い女が人前で叫んでるなんて」。



女学生だった歌人の馬場あき子(87)には衝撃だった。


高田馬場駅前で演説する天光光を見かけたが、「立ち止まって聴くのさえ女にはまだ恥ずかしかった」。

演説に千人近い聴衆が集まるようになり「餓死防衛同盟」が生まれた。



農村から食料を調達して配り、備蓄米の放出を首相に直談判した。


四十六年春、戦後初の衆院選に出馬した天光光は大選挙区の東京2区で当選した。


39人という女性衆院議員の数は当時の英米の下院より多かった。

この結果に驚いてか、内務省(当時)は、72・08%という高投票率の分析を各都道府
県に依頼。

東京都の長官は「特二女子及男子青年層ノ政治的教養低カラズ又終戦後ノ民主主義的新政治二対スル関心深カリシ」と、女性や若者らの熱気を理由に挙げた。

天光光は妻子ある衆院議員との恋が批判を浴びて五二年に落選するが、それまで三選を重ねた。



短歌や能で天光光と交流を続けた歌人の馬場は今年、安保法制反対で若者ら
が集まった国会前に、七十年前の駅前と同じ空気を感じた。



「生な現実、生な肉体、生な生活に密着したところから生まれてくる言葉があった」

若者団体「SEALDS(自由と民主主義のための学生緊急行動、シールズ)」のメンバーで大学二年の大沢茉実(まみ・21)=兵庫県=は安保法が成立した九月十九日の未明、初めて国会前でスピーチに立った。



「私は二年前くらいに、ずっと布団の中にいて、こんな社会で、とか思って、ずっとアニメとアイドルとかばっかり見ていて」

奨学金の返済に追われ、中絶した友人がいる。



シングルマザーとして子を産み育てることを許さなかった命軽視の政治が、安保法を強行採決した。


「命をバカにした勉強不足の政治家にはやめていただきたい」と声を震わせた。


ここにはいない「私と似た女の子」の分も声を伝えたかった。


反響は大きかった。

政治の場外から路上へ現れ、沈黙してきた言葉を紡ぐ。



天光光はことし一月、九十六歳で息を引き取ったが、「政治デビュー」の種火は再
び灯っている。



■女性参政権
1925年の普通選挙法制定で、25歳以上の男子は納税額に関係なく投票可能になった。女性には選挙権がなく、市川房枝らが獲得運動を続けた。
45年12月の法改正で、20歳以上の男女による完全普通選挙が実現した。



自然災害は悲しい出来事だが、誰の責任にも出来ない。


しかし、人為的な行動の愚かなものは、理由や言い訳があったとしてもそれは許されない。


「戦争」や「原発」がその最たる愚かなことで、70年前の敗戦と、2011年の福島原発事故の反省から国民は自民党政権には反対と思っているはずだ。


昨日、午前8時45分ころ、千葉駅の傍で、自民党参議院議員の猪口邦子氏が選挙活動の集会の呼びかけを、スピーカー片手にシラシを配っていたが、一人としてチラシを受け取る者はいなかった。


朝の通勤時間の忙しいときに、握手などする暇人などいないのと、戦争を起こすための法律には多くの有権者は静かにだが、怒りの拳を上げたいのだろうという気持ちを肌で感じた。




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