憂生’s/白蛇

あれやこれやと・・・

蟷螂 ー終ー

2022-11-25 11:15:38 | 蟷螂  白蛇抄第1話

「良い。後首尾でございましたな・・」
遅くに自室に戻ってきた采女を待っていた女が采女の顔色を見た。
采女の心痛は眦の先にまで現れている。
「今度こそ、宿り成されたせいでございますよ」
女は采女の悲しみを宿りのせいだという。
「などか・・・?」
「そうでございましょう?田所さまの時も十内様の時も哀しむどころか・・・」
女の言葉が過去の采女の行状をたどると、采女はわっと声を漏らし手で顔を覆った。
「我らが一族の業のまま、田所さまも十内さまも御祭りもうしあげたときとて、姫い様は苦しむ事は無かった」
二人の男は子を宿す事の無い交接を与え、采女の身体だけをむさぼったということになる。
愚かな欲に穢されただけの采女は、哀しむ思いを沸かす事さえ出来なかった。
ところが、このたびの采女はいかにもかなしい。
「宿ったせいでございます。その証でございますよ」
子を与えてくれた男を祭る事ほど苦しい事はない。
女のいうとおりである。
「私はそれでも・・・いかねばならぬのか?」
采女の言葉に女は頷くしかない。
「いかに、己の業にさからおうとしてもむだでございましょう」
女は俯く采女の前に二振りの鎌を差し延べた。
「手に取らずにおけなくなります」
「い・・いやじゃ・・・。もう、こんなことはしとうない」
宿業の成せる技を哀しと感じなかった過去の交わいは、失敗といえる。
子が宿ったと思える今はかなしとおもえど、宿業のままに動かされるしかない。
「我は業の者。業の成すまま、傀儡になりさがるしかないのか?」
「命の火が灯ったのです。今度こそどんなにあがいても・・・」
頭を伏せた采女の前に鎌がある。
「己の命をすてますか?」
それが良いかもしれない。采女が心のそこで決意しかけていた。
「腹の子もろとも・・・?死ねますか?」
「あ」
ぐっと詰まった思いが、采女の業を開かせて行く。
子が欲しい一心。
「宿ったせいじゃな・・・?」
女に念を押した采女の瞳の奥に子を得た蟷螂の本能が燃え始めていた。

―哀れであるー
子を孕みたいそれだけのために見も知らぬ男に身を委ねる事を選ぶ。
せめても、微かな憐憫を愛というてやりたい。
その憐憫にかける采女がすがる思いを誠といわずにおけない。
必死で恋情に高め一夜の一瞬に己の思いを昇華させる。
―すまぬ・・・―
女の業に押され、男の欲望に押され、胤を落とすだけの政勝にそれでも采女は誠をみせようとする。
ゆめうつつに考えているとは知らず政勝は寝返りを打った。
途端ぞっとする様な怖気を感じ政勝は布団の中で身をちじ込ませた。
眼を見開いてみても辺りはほの暗い。
行灯の灯心がじじっつと音を立てながら、くすぶっている。
油がなくなったせいであるが・・・
これが、ふにおちない。
あれほど行き届いて世話をした女が灯心を短めておいたとはいえ、わざに明かりをともした女が少ない油にしておくだろうか?
政勝は音を立てぬように刀を再び寄せ付けた。
ぞっとした思いがまだあとをひいている。
この怖気が気味悪い。
武士(もののふ)の感というものかもしれない。
身動ぎ一つせず政勝は辺りの気配を窺っていた。
と、
静かに襖があけられた。
手燭も持たないまま、采女の影に違いない。
政勝の眠るあたりを窺うと崩れ落ちそうになる身体を襖に手を添えて支えた。
「政勝様・・・いとしゅうございます・・・」
声が押し詰まり涙がからんでいる。
一度は自室に戻った采女であったが政勝恋しさに戻って来たのであろう。
女の情は憎悪もつなぐ。
正にこの事であるのかと政勝は得心がいかぬでもない。
安珍。清姫の清姫も案珍の薄情さに蛇に身を変えた。
頭で判っていても一度情を交わせば女の業は深い。
政勝への恋情が采女を舞い戻らせ、奥に燃え立った業火は政勝に怖気さえ覚えさせたのである。
―くるがよいー
共に暮らせぬものならばここにいるこの間だけはお前の物になろうぞ。
政勝がそっと手招きをしてみせた。
政勝の影を見詰ていた采女はずいいと政勝のそばににじりよってきた。
「いとしゅうございます・・」
「いとしゅうございます・・・」
熱に浮かされる幼子のように繰り返しながら、抑えきれぬ恋情を訴える。
女子と言う物が身体一つ結ぶだけでかほどに変わるものかと政勝は夜具の縁を持ちあげて、采女に入るようにとうながした。
「采女は誠に政勝様を思うております・・なれど・・・」
頭を下げ額づいてみせる采女の言葉が呪詛のようにこもってゆく。
「この身静まらぬ。どうぞ、采女の思いのままに・・・」
気が触れたかと思うほどの物狂おしさで政勝につめよってくる。
産褥に立ち会うほどの気丈な娘が哀れに取り乱し政勝をしたう。
抱いて抱きおおして、去るしかない。
政勝が采女を夜具の中に引き入れようと手を伸ばしたそのせつな、
政勝の手は紛れもない殺気に采女から手を引き刀をさぐりあてていた。
「いとしゅうご・・ざ・・・」
口中政勝への誓いを立てながら采女の姿は揺らいだ。
「名残りおしや・・・いっそ・・我物に・・」
揺らいだ背の後ろに手を伸ばすと采女の手の先は細る障子からの月光にさえ不気味に光る。
「か?」
それが政勝に鎌だと判るまでに踊りこんでは政勝を切り裂こうとする采女の追撃をなんどかわしただろう。
「な・・・なん?」
なぜ?清姫と同じ業火をせおったのか?
「采女?・・正気をもて・・」
政勝の言葉さえ虚しく采女は鎌を振りかざす。
「采女・・・」
「愛しゅう御座います・・・本意に・・采女は・・・」
叫ぶ姿と裏腹になおも采女は政勝をきりはらおうとする。
「などか・・・?」
「采女は・・業の者です。愛すればこそ::政勝様をこの手に掛けなければ」
「ば・・ばかな・・・」
「いいえ・・・」
短く切った語尾が切りあがり采女が政勝の止める手に刃をかすめた。
何が何だか判らぬ有様だが、采女は死ぬ覚悟で政勝に挑んできている。
でなければどこの女子がやっとうにぬきんでた武士相手に鎌なぞで立ち向かってこよう。
「心をしずめられよ・・・」
いうても無駄だと感じ始めながら政勝はまだ刀のこいくちが切れない。
一度はこの身で抱いた女子である。
「でなくるば、采女。御前を・・きりとうない・・・」
この情に絡んだ男の決断が鈍る事こそが敢えて采女を挑ませるのであろうか?
男の心の隙を狙うあざとい女子だというか?
「愛しゅうございます・・嘘ではありませぬ・・・」
「ならば・・・」
鎌を振る手をとめよ。
「采女の業こそ・・・にくい・・・」
女は己が禍を政勝に与えるがそれは得体の知れない業のせいだと苦しく叫んだ。
「なにゆえ?」
「もう、留められませぬ。貴方が采女を愛おしんで下さったその時から・・・采女の業も・・・」
政勝により采女の女が身悶えした様に同時に采女の中の業も悶え始めたとでもいうか?
「それは?その業というはなんだという・・・」
「嗚呼・・口惜しい。わが身人の身であらば・・・」
采女の呟く。
「なん・・?」
人であらば?というたな。人でないというか?
政勝の問いが口を付こうとする前に采女は眼を細め口中で呪文をあやつりだしていた。
政勝の脳裏に幻惑がおそいだしてくる。
「いかぬ」
采女のいうとおりだ。
こやつはひとではない。
山姥のたぐいか?
鬼なのか?
何か判らぬが人をくらおうとしている。
幻惑は采女のかいなに抱かれ頭からむさぼられる政勝がそれでもそれを女子の愛と認め陶酔の内に命をはてていく姿をみせている。
そうなれというか?
それが畢竟采女お前のまことというか?
「いいえ・・」
けして、そうではないと言いながら采女は幻惑を結ぶ呪詛を強めてゆく。
これで・・・さいごか?
こんなところでくちはててなるものか。
政勝が刀のこいくちを切ろうとしたときはすでにおそかった。
うてもゆんてもしびれたようにうごかない。
「政勝さま・・・」
采女がゆくりと鎌をふりあげた。
「南無八幡大菩薩・・・。我に守護を・・・」
政勝の祈りはききとどけられない。びくとも動かぬ腕である。
ところが・・・・。
喉の奥に引きむしられるような痛みが走ると政勝の口をついた言葉は政勝も知らぬ。
「虚空破邪。臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前」
とたんに采女の動きが止まり
動かなかった政勝の腕がするりと動き出した。
「虚空破邪。臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前」
呪文らしきものが口をつくに任せ刀を構えなおすと政勝は刀をはらった。
「南無三・・・」
呪文の替わりに飛び出してくるのは采女への決別であった。
知念一刀流のつかいてである。
いくら禍々しい者といえどその閃きを喰らったら一たまりもあるまい。
確かに政勝の手には肉を切り払った錘が残っている。
だが、采女の姿はない。
うーーーーんと政勝の頭の中が唸り酷いめまいがおきた。
これが武術で鍛錬されていない者であればもののけの毒気にあてられたのである、
おこりと称する痙攣を起こしその場にくずれおちたことであろう。
「しそんじたか?」
めまいの中、政勝は刀をかまえなおした。
「南無八幡大菩薩・・・」
守護を背に受けるかのようにもう一度唱え直す。
めまいが潮を引くように政勝の脳裏を去り始めると、呪縛がきれたとわかった。
『確かにてごたえはあった』
政勝のたたずむ辺りがしらみはじめていた。
訝しげに辺りを見回すと
そこは・・・竹。竹。竹。
一面の竹林の中に政勝一人がつったっていた。
確かに呪縛は途切れたのだ。
采女が作り見せたのは人の姿だけではない。
この・・・屋敷。いや・・・あの屋敷。どの?
もう既にそこにはないのであるが、とにかく屋敷とて采女の作った幻影だった。
幻影が破れ実体を明らかにするという事は確かに政勝が采女を切り払ったというあかしである。
「いったい・・・なんであったのか」
政勝はやっと刀を鞘に納めた。

采女をなぎ払ったと思う辺りに目をいこらしてみた政勝はうっとうなった。
政勝が歩み寄って見詰たは
腹を割かれた無残な蟷螂の屍骸であった。
『采女・・・・?』
蟷螂の化身であった。
哀れに生殖を終えると雄を喰らう蟷螂の雌の本能そのまま。
逆らう事もできず采女もまた政勝を喰らおうとしたのだろう。
「采女・・・・」
人の姿に化身した采女が最後に涙を見せた姿が浮かぶ。
政勝は辺りの枯れ笹を寄せ集め、無残な蟷螂の屍骸にかけてやった。
一度は情を交わした女の成れの果てだった。
『采女・・・・哀れな・・・・』
いとしゅう御座いますと誓いだてたその心も、子を孕みたいと言う本能の赴くままに動かされ、
そして、政勝を喰らわなければならなかったか?
流した涙は政勝のためか?
己の身の上をはかなんでのことか?
いずれにせよ。この手で愛でた女だった事に変わりはない。
「采女・・・」
最後にもう一度名前をよんでやると、政勝はてをあわせた。
「南無阿身陀仏」
竹の笹ずれが政勝と共に合掌するようであった。
        
                                     

      ―終―



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