わかんない
の、なかで
「飛行機から落ちても助かる人はいるし
そこらでこけて、お陀仏という人もいる。
自分がどっちにはいる人間なのかは
判る事でもないし
判りえないで(すでに)助かっているか
判った時には死んでるか
考えてみるだけ、無駄かもしれないwww」
と、かいているが・・・
判りえないで(すでに)助かっている
と、いうのは、常にあるものだと思っている。
考えてみれば、
そも、最初
精子が卵子に着床する、
その時に、
判りえないで(すでに)助かっている
(着床できない方にならなかった)
から、生まれてきている。
今日は、寝坊して会社に遅刻してしまった。
と、成った時
みっともない気分を味わったり
皆勤手当(精勤手当)が、不意に成ったと
残念に思ったり・・・・
と、マイナス気分になってしまうが・・・
ひょっとして、
いつも通り、出勤していたら事故にあってたかもしれない。
なってない事は、判らないだけで
そんな風に、常々、日常茶飯事、で、
普通に生活していながら
「難」をうまくかわして生きているのだと思う。
それは、まるで、
魚の群れが、お互い、ぶつかり合うことなく
「大丈夫」な泳ぎをするかのように。
きっと、ひとりの人間を俯瞰することができたら
「おお~~。今日も上手に大丈夫でいるなあ」
と、見えるのかもしれない。
なので、
判らないことを考えるのは
無駄かもしれない。
が、
「有りがたいものだ」
と、感謝?(ちょっと、言葉が違う)は、している。
護られている、というところでいえば
20歳過ぎまでは
徳の高い先祖が背骨の5番目に居て
護っていたんだ。と、伝えられた。
それも、師のところに初めていって
家に帰ってきたとき
仏壇の前に、5人の人が座っている姿が有って
(もんぺのおばさんとか、子供のすがたとか・・他)
みんなして、南の方向をむいていたので
こっちも、南に向かって、座って頭を下げた。
(なぜ、そうしたのか、判らないが
5人の人の方にむかって、頭をさげてもよさそうなのに・・)
その話を師にしたところ
徳の高い先祖が背骨の5番目に居て護っていたんだ。
と、伝えられた。
その徳の高い先祖というのは、
先祖というのは、4代あとの守護にはいる
と、いうことらしく、
どうやら、自分が5代目にあたったということらしい。
スピ系の話をよんでいると、
その人の受け取りやすい形で見えることがあるという。
判る人からみれば
背骨の第5腰椎に居た。
と、わかるのだろうけど・・・
見えない人間に一瞬、知らせようとした場合
5人の先祖が・・・という形になったのだろう。
で、何を、知らせようとしたか。
これは、内緒というか
一言だけ言うと
先祖が喜んでいる。ということ
何を喜んだか・・それが内緒ということ。
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