白銅と二人、黒犬からおりたてば
そこは二人の住まいの外
裏庭におろされた。
「念のいったことだ」
白銅がつぶやく。
「念がいっている?」
「そうだろう。裏口におろしよるのだから」
なにが念入りなのか、やはり、わからない。
「わしは、はらがへった」
「ああ・・」
裏口をあければ、そこはすぐ、くどである。
確かに念入りだとおもうが、やはり、気にかかる。
「うまく、いったのでしょうか」
雷神はいづなを無事にすくいだせたのだろうか?
「大丈夫じゃろう。
で、なければ、悟るに早い黒犬は我らを琵琶の湖にたたきおとしておろう」
「そうですね」
確かに裏庭におろすは、念のいったことだとおもいながら
くどにはいりこむと、
そこに、大きな影がゆらめいた。
「白銅、どうやら、また、新手ですよ」
「襲ってこぬなら、さきになにか食わせてくれ」
まずは、生きている人間が大事。
白銅の言いたいことはそこかもしれない。
判りました。と、答えると澄明、いや、ひのえはくどに灯しをいれた。
竈に火をおこし、鍋に湯を沸かし、ありあわせの采と、
御めしを、いれる。
出来上がれば、味噌をとき、
味噌ぞうすいと相成る。
眼の端で、影がゆらめく。
ぐいと、よってくると
ー人間は、こざかしいー
と、しわぶく。
影が言いたいことを黙って聞く澄明である。
ー良いことを、したつもりであろうー
いづなの事をいうのであろう。
ー陰陽師が、わからぬことではなかろうー
判っている澄明である。
陰陽の紋様、その「理」
白あらば、同じだけ 黒がある。
影がいいたいことは、それだろう。
良い事になった、いづなの「白」の裏で
「黒」が、出て来る。
いや、もっと、深刻かもしれない。
いづなが銀狼であったとき、
その存在は「黒」良くない事だったと言える。
その「黒」が、失せて
「白」に成り代わった。
失せた「黒」と増えた「白」
釣り合いをとるため
余計にどこかで「黒」が増えている。
影には、
「増えた黒」が、どうであるか、見えているのかもしれない。
ーいづなを、銀狼のままに、しておけば
人を苦しめることはなかったものをー
少なくとも、この影は、
人間を護ろうとする存在のように思えた。
ーおまえ?なにもの?ー
澄明の問いに答えることなく
影がゆらぐと
竈の中に吸い込まれていった。
竈のなかは、火。
火の神か?
はたまた
竈の神か?
だが、そんなことよりも、
鍋が、ふきはじめた。
まずは、はらごしらえ。
白銅に、つたえておくに
ちょうどよい。
澄明は
鍋を竈から、おろした。
鍋をかかえ、板敷きの食間にあがれば
白銅も心得たもので、卓に鍋敷きはおいてある。
椀と匙をとりに、くどに戻り
切った菜づけをともに、卓に置く。
やっと、と、椀に雑炊をつぐと
「箸もいりますね」と、気付く。
「そぞろじゃの」と、白銅が笑う。
「菜漬けは、匙で掬うから・・」
気がかりを話してしまえと、言う。
白銅の言葉に甘え、澄明・・いや、ひのえは、
白銅の向かいに、座ると
「食べながら・・」と、前置きしたが
すでに、白銅は食べている。
物事に動じないのか
よほど、腹がへっていたか
判らないが、それが、ひのえに安堵を与える。
「聞いていましたか?」
「気になっていたことを、ずばりとついてきおる。
なにか、知っている、と、いうことだろうの」
「ええ。いづなが、銀狼すなわち犬神の首領格にいたことで
たつこに懸想していたわけですから、
その呪縛がとれてしまったら、次の銀狼は、
犬神本来が憑く相手の所に戻る、こういうことですよね」
「そうだと思う」
犬神は阿波、伊予、土佐あたりの山奥に生息する。
澄明はこの長浜において、犬神の実体を見たことは無かった。
だが、その犬神は多く人に憑き、狐狸の類の憑き物とは違い、
代々、その一族にかかっていく。
犬神に憑かれると多く、精神に錯乱をおこし、狂気を見せる。
だが、反面、犬神の力で、多くの富をえて、安泰に暮らせるという側面もある。
共に成れぬ相手でありながら、思いを寄せてしまう。
それが、憑依の元である。
思う相手の幸せを祈る気持ちは十分にある。
思う相手が、いずれ世帯をもつときも、犬神は一緒に成る相手の先々をみこす。
ここで、もしも、ろくな運命。思いをもっていなかったら、犬神は相手を蹴散らす。
突然の病気や怪我、心変わりなどで、婚儀を白紙に戻してしまう。
逆に、犬神のめがねにかなえば、すんなりと世帯をもつことができるのであるが、
このことは、もちろん、とうの本人は知らぬことで、
自分が犬神に懸想され、人生を差配されているとは、つゆひとつ気がつかないのである。
そして、幸せな結婚生活をおくりはじめても、犬神はじっと、思う相手をみまもっているのであるが・・・。
子供という血筋ができあがると、犬神の感情は一変する。
結婚相手の必要性が血の継承であるなら、子供が出来たときに結婚相手の役目が終わる。
この時から犬神の独占欲と嫉妬がたぎりだす。
必要のなくなった相手が思う人を独占する。
犬神の精神が沸騰し、犬神に憑かれたその相手に余波が生じる。
これが、犬神に憑かれた人間が見せる錯乱の仕組みである。
結局、この犬神の精神が平和を取り戻す「離縁」に成る以外、憑かれた側の助かる道は無い。
「銀狼は、その一族の住まう土地にもどるのでしょうか?
次の銀狼が、雄か雌か、
それによっても、一族の誰に憑くのか?
仮に、一族が男ばかりだったら、
次の銀狼が、雌になる?
憑りつく相手をみさだめてから、銀狼の成りての性がきまる?」
あまりにも、判らないことが多すぎた。
「ひとつだけわかるのは、手下の山犬でさえ、銀狼により
天翔けるのだから、銀狼は、どこにいても、かまわぬのではないか?
それに、憑りつくとなれば、相手の霊魂に対してではなかろうか?
ならば、時間も場所も空間もない」
「思い、ひとつで自在ということですか・・・」
ひのえは、大きなため息をついた。
「ひのえ、考えても判らぬことはほうっておけ。
いまは、食べろ」
その通りである。
「どうしても、探りたければ
白峰を呼ぶという法もあろう」
ひのえは、静かに首を振った。
「あれは、私の傘下にくだってしまったため
私に因があることでなければ、動けないのです」
ふむと考え込むしかなくなった白銅だったが
それでも、
「ひのえ、たべおれ」
と、促す。
もうひとつの伝手。
竈の神か?火の神か?
いさいは、わからぬが、
これを手繰るしかないと、白銅は思った。
澄明は澄明で、考えている。
既に、銀狼が現れ、元の一族の誰かを差配し始めている。
影は、そういう事だと言っている。
だが、もっと、恐ろしい事が後ろにある。
影が、竈の神であるなら
澄明の行いを、閻魔に伝えにいく。
澄明により、銀狼が誰かを差配したという「悪行」
この澄明の悪行を、伝えにいくということは、
銀狼が、誰かを差配すること を 変えられない
だから、「悪行」として、閻魔帳に記される。
銀狼が、一族に憑りつくのは、犬神の習俗でしかない。
それは、「悪行」ではない。
影は、それを言う。
わざわざ、人間に憑りつかさせてしまった澄明こそが「悪行」を行った。
ー銀狼の差配を、変えられないというかー
それが、一番、恐ろしいことだった。
そして、
おそらく、影は 竈の神に間違いない。
で、あるのに、
閻魔、つまり、八代神に、伝えにいったか、行かなかったか
いずれにしろ、澄明本人に伝えに来た。
それは、八代神の采配か?
だとすると、
ー銀狼の差配を、変えられるということかー
どうやって、変えられるのか?
いや、そうではなく、
竈の神をつかわしたのは
ー変えられぬ定めだと、伝えるためかー
そして、
澄明の悪行は、書き記さぬ、と、いう意味か?
書き記しを逃してやるから、銀狼の差配をあきらめよというか?
死んだ後の裁きなど、死んでから受ける。
今は、知った以上、知ったことを
変えて見せねば、
陰陽師の生きざまではない。
澄明の心を読んだか
竈の前に、白く
影がわきたつと低い声が響いた。
ーやはり、八代神のいうたとおりの女子じゃなー
ー竈の神、であるな?ー
ーおうさ。お前の思うたとおり。
犬神の差配は、解けぬ。
解けぬながら、どうにか、その人間を
救うてやってくれぬかー
深々と頭を下げるかのように、白い影が地にうずくまっていった。
誰の、てはずか、
ひのえが、表の気配に、でてみれば
そこに居たのは法祥だった。
白銅の手招きに応じて
ずいっと、中に入ってくる。
どうやら、
伝え事が有ると、見えた。
「息災か」
白銅に問われ、頭を下げると、
いきなり、話し始めた。
都で、その日暮らしのもの達をあつめ
働き手を求める者に、口を利く。
いわゆる口入屋と、いって良いのだが
口入れの利鞘を多くとらない代わりに
働き手の駄賃をはずめ。と、いう。
口伝えに、噂が広がると
口入屋に斡旋をたのむ両方が、押し寄せ
あっと、いうまに、口入屋は
ひと財産作り上げてしまった。
その口入屋を、かいま見た法祥だった。
「あれは・・・犬神のようなものが、憑いています」
犬神のようなものとしか、判らないくらいの
法祥の法力では、どうにもならない、と、判る。
仮に犬神であったとして
口入屋から、犬神をしりぞけたところで
一族に憑く、と、聞いたことが有る。
口入屋から、その兄弟 その血筋に
憑く相手がかわるだけである。
「今は、富ませるだけ、富ませて・・」
己の才覚と思わせておいて、
そこをひっくり返す。
まっさかさまに、貧の貧におちこませる。
窮地に祟り目、弱り目が、並び来る。
知らぬうちに、犬神に寄りかかる事になる。
なんとかならぬか・・・
と、知らぬうちに、神頼みの心根になる。
犬神は、その心の隙に入り込む。
口入屋は、己のあずかり知らぬところで
犬神と口入屋の絆が出来上がってしまう。
「その後は・・」
法祥の言葉を、白銅とひのえが遮った。
「あ・・・」
言霊になる。
それを、とめられたと、法祥もすぐに察した。
「親身に思うほど、言霊は、発動します」
ひのえのいさめは、優しく、厳しい。
親身に思うからこそ、先読みをいってしまう。
言ってしまえば、誠がのっているため、いっそう
それが、発動する。
言葉を発するに、感情のままは、危うい。
法祥は頭を垂れた。
「どうしてやれば、良いか、わかりません」
法祥の思いは
また、白銅とひのえの思いそのままでもあった。
ーすでに、銀狼が、出現しており
それは、雌ということになるのだろうか?ー
黙りこくる白銅とひのえの胸中をはかるすべもなく、
法祥も、また、黙る。
このまま、立ち去った方が良いのか
どうにかならぬかと、陰陽師頼りのふがいなさに
いたたまれぬ思いがわいてくる。
「あ、私は・・つい、あの男をどうにかしてやれぬかと・・」
白銅・ひのえの都合も聞かず、勝手にしゃべり
かつ、
おまえら、どうにかしてやってくれ は
身勝手すぎる。
しょせん、いいわけにすぎないと法祥は、立ち上がろうとした。
「いえ、私たちも、銀狼が憑いた相手を
さがそうと思っていた所ですから、たすかりました」
法祥は、言葉を探した。
法祥は、犬神、銀狼に憑かれている男を見た。
だが、
この二人の陰陽師は、逆に 銀狼が、憑いている相手を探していた。
その裏に、どういう委細があるのか?
何を知っているのだろうか?
だが、それを尋ねるのも、何も出来ない自分では
興味本位でしかなく、
聞いたところで、何も出来ない自分が、さらに、情けなくなる。
「銀狼が、出現することを、伝えに来た者がいたのです」
澄明自身が銀狼の出現を見越したということではなく
なにものかに、知らされた。
そして、法祥が、銀狼の現れた所と相手を告げに来た。
「すると?私は、そのなにものかに、動かされて、ここにきてしまった、ということですか」
おそらく、そうなのだろう。
ならば、なにものか が、だれなのか、聞いてみても良いかもしれない。
「伝え来たのは、竈の神です」
法祥の心の内を気取って(けどって)澄明が竈の神と明かした。
「竈の神と?」
およそどこの土地の、どこの所帯でも竃はある。
その竈をとおして、竈の神はどこにでも行ける。
竈の神が、法祥に伝えさせなくても
自ら、銀狼の様子ごと、澄明たちに伝えることが出来る。
「なぜ、私を・・伝手にするのだろう」
竈の神が、法祥を伝手にするのが、
法祥自ら、判らない。
それは、法祥の心の在りようが変わったせいかもしれない。
「あなたに、因があるからです」
「私に?」
しばらく、瞑目すると、考え付いたのだろう。
「伊予・・・ですか?」
「そうです」
憑りついていたという言い方は申し訳ないが
伊予は、法祥に憑りついていた。
「憑りついていたものとの、えにしを切る。
この通り越しが、因になっていると考えます」
伊予だけでなく、関藤兵馬・八十姫・孝輔までも
成仏させている法祥である。
「銀狼を成仏させることは、不可能だとおもいますが
えにしを切る。この通り越しが「実」(じつう)になっているので
もしかすると、竈の神はあなたに因り、
銀狼と口入屋の男との えにしを切ることができるのではないかと、
かんがえたのではないでしょうか?」
「えにしを切る・・・確かに、引導を渡すとき
釈尊の弟子にする、血脈を結ぶということで、
今生のえにしが切れ、釈尊とのえにしとなりますが
それは、引導を渡すときです」
引導を渡す、この世からあの世へいくための、導きであり
ひいては、死をうけいれよという「死」の宣告でもある。
「つまり、男が死ぬなら、なんとかなる、と、いうことになるの」
黙って話を聞いていた白銅がやっと、口を開いた。
「仮にそれで、えにしがきれても、男の一族のだれかが
銀狼に憑りつかれる・・
生きたまま、一族郎党 えにしを切る それしかないか?」
それは、いったい、どうやって?
いや、それ以前、それしかない、と 決めつけてよいのだろうか。
「白銅、まずは、その男にあってみましょう
そして、私は 銀狼を探してみます」
もしかして、男は子供もおらず、一族の最後のひとりであるかもしれない。
それさえ、わからない状態で考えてみても、しかたが無い事だろう。
「銀狼は、塞いでおろう?」
竈の神にきかされ、法祥にきかされなければ
銀狼に気がつかずいた。
さらに、何も手繰れなかったのは
銀狼が、塞ぎをかけているということである。
「陰陽師の読みなど、反故にできるか」
手強い相手であると思う白銅に
ひのえは、告げた。
「竈の神のうしろに、八代神が、いる
あれは、また、犬神をこの世に生じさせた元親ですから」
銀狼の行状次第では、
その魂をも握りつぶせる八代神である。
それが、握りつぶさない。
「いくら、銀狼が間違っていて悪いことであっても
そこに、ひっかかる人間も、悪い。
八代神はそう考えているのでしょう。
仮に、銀狼とのえにしを切っても
そのようなものに、憑りつかれる「心の隙・窪み」があれば
同じことの繰り返し。
だとしたら、銀狼だけが悪いのでしょうか?
窪みがなければ、流れきた水でさえ
窪みに落ちることは無い。
自然の摂理から考えたら
銀狼だけを「悪者」にできない。
男の窪み・心の隙を 埋めよ。
そういうことではないでしょうか」
二人の男 白銅と法祥は
ふううむと唸り、天井をにらみつけるばかりだった。
はやも、たちあがり、
それぞれのめどうに向かおうとする
二人に法祥は、遅れを取った。
当然、口入屋の男の顔も判らぬ白銅を
あないせねばならぬと、判っている。
「あ、私は・・」
おずおずと言葉を継なぐ法祥に
二人が動きを止めた。
「あ、私には、なぜ、銀狼は、塞ぎをしなかったのかと・・
竈の神は、法力もあり、銀狼は塞ぐことが出来なかったのだろうと
思うのですが・・・
お話を伺ってみれば、銀狼は、あなた方に自分の存在を知られたくない。
だのに、私がここにきて、銀狼と男のことを話すことができる」
法祥が腑に落ちないのは、判らぬでもない。
「それも、さっきの因があるということではないでしょうか?
憑りつく者 憑りつかれる者 正しくは憑りつかれたですが・・
同じ色のものは、見えない。気にならない、と、考えれば・・・」
「それは、例えば 私も一族であり、たまたま
憑りつかれずに済んでいただけで、
憑りつける相手でしかない・・と
銀狼に識別されたというような意味合いですか」
「そうですね。私たちは、次の銀狼がとってかわらないのであれば
銀狼を調伏することは出来るのです。
おそらく、その力だけを、感じ取って
恐れている、と、おもうのです」
「それで、あなた方に塞ぎをかけ
調伏できないのは、むろんですが
その力が無い者のうえに
憑りつかれたものだった存在は
他の憑りつく者によって干からびた蜘蛛の餌食のようなもので
歯牙にもかけない・・なるほど」
まるで、関藤兵馬のごときである。
八十姫は干からびた木乃伊に、もう見向きもしなかった。
「だからこそ、あなたは口入屋の男に近づけるのでは?」
それは・・・また、銀狼を成仏させるということであるのだろうかと、
法祥は、怖気を覚えた。
「犬神といえど、神。神殺しは出来ません」
いつのまにか、心の内に返答されていると、気が付かぬまま
法祥は、ほっと胸をなでおろした。
「だから、打つ手がないのですよ」
と、澄明がうすく笑った。
ーこの人は、どうしようもなく成ったら
神殺しさえ、辞さないー
法祥はきがついた事実に、もっと、恐ろしさを感じた。
命がけでことにあたる。
その覚悟の深さは、法祥には
恐ろしく思えた。
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