悲しい事があるとレフィスはよくこのデッキに立った。
風が吹く。雨がどこかで降っているせい。
ちょうど、あの日もこんな天気。
一陣の風が吹いて途端に大雨。
親友だったティオが死んで、三年と二ヶ月も経った。
小さな頃から一緒にいて、二人で航海士になるのが夢だった。
今日は船の仲間の誕生日を祝った。
シャンペンを開けてコングラチレーション。
嬉しそうな彼の顔を見ていたら、たまらなくなった。
誕生日の少し前、ティオが死んだ。
十六歳。その年でティオは止まったまま。
この船で生まれた日を祝われることもなく、
彼を知る人もなく、ただ自分の心の中にだけ住んでいるティオ。
「おい、レフィス、何してんだ?そんな所で…まだ皆、中でやってるぞ?」
「あぁ、少し気分が悪くなっただけだから。
ほら、今日は天気悪くて…よく揺れるでしょ。気分が良くなったら行くね」
笑って見せた。
相手も少し笑って、すぐ、中に入っていった。
さっきより風が強くなっている。
短く切った髪だったが、それでも、うっとうしかった。
帰ることはありえないティオ…。
でも、生きてかなきゃね。
いつまでもティオの思い出に振られていちゃいけない。
「お前、勝気だからな。嫁の貰い手なかったら、俺が貰ってやるぞ。
糾し、俺にも嫁の来手がなかったら、だがな」
「あんたの事なんか頼まれたってお断りよ」
そう答えたけど、ティオだけが私を
お前…心の中に入り込む事を許された呼び方…
お前と、そう呼んだ。
今、心を閉ざし、あるいはテオの為かもしれない。
自分を「おまえ」と呼ばせる事を誰にも許していない。
『中に入ろうか、ティオ』
外とは違い、中は騒々しかった。
一人で突っ立っているのも妙だった。座れる場所を、と周りを見た。
テーブルの上にシャンペンとグラス。そっと、手に取って見た。
ラベルを見たら、それはテオの好きなシャンペン…。
「それ、好きなのか?」
伏せてあるシャンペングラスを手に取るとレフィスに渡そうとする。
代わりにシャンペンをよこせと手で合図する。
「あ、ありがとう…」
グラスを親指、人差し指、中指、3本の指でつまむと
アランはシャンペンを取り上げるように受取った。
アランが良く冷えた薄い黄金色の液体をグラスに注いだ。
細かい泡がたち、それが軽くもりあがり、消えていくと
小さな飛沫がグラスの中で弾けてゆく。
「イオス、二十歳。おめでとう」
小さく口の中でつぶやく。
「あんた、誕生日いつだっけ?」
「もうすぐ」
「で?」
「私もイオスと同じ」
「二十歳か。じゃあ、祝ってもらえるな」
人生の節目になる年齢。
その年齢の者のお祝いは一人一人に、少し、盛大に祝ってくれる。
「俺も祝ってもらったよ。
次の年からはコック長が夕食の時にビールと1品、
余計に持ってきてくれて
『ハッピィ バスデー』って、あの顔で言うんだ」
「え?うそ」
無口でしかめ面。
でも料理の腕は一流。
こんなにおいしい物を人に食べさせようとする人だから、
外見とは違い、やさしい人だとは思っていた。
「ほんとさ!それに、皆の誕生日、良く覚えてて。
ラルフが船の中でパパになった時も
『せめてもな』って、子供の側にいけない、かみさんの側に行けない。
そんな淋しさを慰めるように『子供とかみさんを祝ってやれ』って
部屋にシャンペン届けてた」
「ふううん」
「だから、あんたのお祝いも、もう今から考えてるんじゃないか」
「…」
「だから、淋しい顔はよせよ」
「え?」
「そうやってあんたの事、思いをかけてくれる人がいるんだ。
何があったか知らないし、立ち入ったこと聞きたくもないけど、
少し気になった。
ゴメンな、気い悪くさせたかもな」
「あ、ううん。そんな事はない。ただ」
「ただ?」
「あ、なんでもない事よ」
レフィスがそう言うと、アランは自分で言った通り、
それ以上聞こうとはしなかった。
「さてと、私はそろそろ失礼するね。明日は早いし」
レフィスはグラスをテーブルに置く。
「おやすみ、と言いたい所だけど、部屋まで送ってやるよ」
「ぁ、いいよ。せっかくだもの…もう、少しイオスを祝ってあげてよ…
私のせいで、人数減らしちゃ悪いわ」
「ふん、そうか。じゃぁ、レフィスもいてやれよ。明日が早くてもさ?」
「御断り…少し酔ったくらいで
気安く名前呼ぶような男と一緒にいたくはないわ…じゃあ」
「ぁ、待てよ。あんた…そのまま、部屋に帰ったら
一人で泣いてしまうんじゃないかって、そんな気がして。
つい側にいてやれたらなって思って…
そしたら、あんたの事、レフィスと呼んじまってた…
あんたの言う通り気安い態度だったよ」
「…ごめん。もう行くよ、私」
「送らせろよ…そしたら
もう一回俺ここに戻って飲みなおすよ…それならいいだろ?」
「う…ん」
人、一人分アランとの間をあけてホールを出た。
部屋はホールから近かった。
すぐそこの階段を降りて、左。
部屋の前までくるとアランが手をふった…
「グッナイ…泣きゃしないよな…?」
少し、瞳をのぞきこむ様にかがんだ。
「泣かないわ…おやすみ…」
アランがレフイスの頬に掠めるように軽くキスをすると
「おやすみ…」
そう小さく言ってキャビンに戻った。
レフイスは頬に残ったアランの唇の跡を拭うように
頬をおさえていたが、頭を振るとそのまま部屋に入った。
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