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「多聞(たもん)」の心

2022-04-13 06:37:11 | 日記
仏教に「多聞」という言葉があるそうだ。
聞いたことはなかったのだが、その意味はたくさんのことを見聞きして知識を増し、自らの生活に役立てるなんて意味だと感じた。
まったくの間違いではないようだが、それだけでは正しい理解とは言えないらしい。

◆「多聞」が大事なのではなく、その心で自分を磨いていく
 「多聞」とは、ただたくさんの知識を覚えておくことではなく、知識を求めその本質を理解しようとすること。
 その努力こそが自分を磨き、高めてくれる行為となる。
 だから、日々の生活で「多聞」を実践できているかどうかで明らかな差が発生する。
 多くの知識を求め、人との交流に積極的であるかどうか、それらひとつひとつの行動が積み重なって大きな差となるのだ。
 伸び悩んだり、現在の自分に満足できない人は、新しい刺激に触れたり自分を磨くための行動を怠っているからなのだ。

 人から聞いた話や、書籍や雑誌、ニュースで見聞きしたことを書き留めたり切り抜いたりすることもいい。
 そんな簡単な方法でも、「多聞」という自分を磨くことに繋がっていく、
 ぜひ自分を磨く方法を見つけ、自分を高める努力を続けていただきたいものだ。

 →おやおや、おいらが意図せずやっているこの受け売りで構成されているブログも、「多聞」のうちということでいいのかな。
  それで自分が磨けるのならば、ラッキーという感じです。