つぶやき、遊び・仕事・日常

一日の出来事のあれこれを雑多に記録していきます

むのたけじ さん

2025-01-26 06:58:45 | 日記

ジャーナリストのむのたけじさんは、101歳で大往生した。

亡くなる3か月前にも、5万人の前で反戦スピーチをしたほど精力的に活動された方らしい。

そんな氏は、よく思いついたことを色紙に書いて周囲にプレゼントしていたそうだ。

今日は、そんな色紙の名文の数々だ。

 

◆生涯のてっぺん

 ・「月であるな 陽になれ 自然自輝」

 ・「始めに戦え 終わりに笑え」

 ・「火種一粒 世を変える」

 ・「死ぬるとき そこが生涯のてっぺん」 

 年老いたからと言って、心も身体もダメになってはいけない。

 死ぬ瞬間が人生で最も幸せでなければならないとの意だろう。

 まさに、むのさんの生き方そのものだ。

 残されたこんな言葉の数々は、多くの人にとって宝物のような存在なのではないか。

 

 次いで、医師の日野原重明先生はこうだ。

 「人間の寿命というのはね あなたが使える時間のこと」。

 さあ我々も、それを使い倒してみましょう。


琵琶湖の野鳥

2025-01-25 06:52:04 | 野鳥

タイトルで、あまり期待はしないでいただきたい。

なぜならば、おいらは二流の機材でいい加減な観察しかしていないからだ。

それでも自分では、こんな風に楽しくやっています。

 

◆今回はわりとレアな鳥たちを観察できました

 〇オオワシのおばちゃんは2時間動かずでした

  

 〇パンダみたいな柄はミコアイサかな

  

  

 〇コハクチョウ

  

  

  

  

 〇クロヅルらしいです

  

  

  

 〇伊吹山です

  

 〇帰路には羽島温泉(岐阜県羽島市)

  

  

 鉄分と塩分泉で、微量のラドンも含んでいます(低量被ばくは痛風にも効果があるとか)。

 かけ流しの温泉と洗面器と椅子しかありません(洗剤等は各自で持参する)が、わずか400円で至福のひとときでした。

 体験176湯目、評価〇(誘われればまた行きたい良い温泉)。

  


事件で成長できた

2025-01-24 06:42:31 | 日記

若い方はご存じないかもしれない。

かって1979年にプロ野球で、「空白の一日」なる事件があった。

高校野球の怪物と呼ばれた江川卓を、巨人がドラフト制度のすきをついて契約したのだった。

その後紆余曲折があって、巨人に在籍していた小林繁投手を阪神にトレードで差し出すことで決着したのだ。

その小林投手は、もう鬼籍に入ってしまったが、こんな言葉を残している。

 

◆あの事件のおかげで成長できた

 誰しも人生を長く続けていれば、事件や事故に遭遇することがある。

 なんで僕や私がこんな目に・・・

 だが、小林投手は違った。

 阪神にトレードされたその年に、小林は22勝を挙げて沢村賞(投手最高の栄誉)に輝いたのだ。

 おまけに、対巨人戦では8連勝だった。

 

 まさに鬼神の働きだったのだが、そこには憎しみもくやしさもなかったと言う。

 彼を捨てたはずの巨人に対しても感謝していたそうだ。

 「あの事件のおかげで僕は成長できたと思います」、たしかにそれがきっかけで彼は一皮むけたのだ。

 さらに事件のきっかけとなった江川投手に対しても、「僕のせいで彼が悪者にされて気の毒だった」と気を遣う。

 運命を呪ってもなにも生まれない。

 それを悟った人間だけが、成長できるものなのかもしれない。

 

 →そういう平常心を身に着けたいものです。


相手の物語

2025-01-23 06:33:09 | 日記

古代ギリシャの哲学者プラトンはこう言う。

「人には親切にしなさい、あなたが会う人はみんな厳しい闘いをしているのだから」。

はて、これはどういう意味なんだろう。

 

◆相手の物語を想像しよう

 自分には自分の考えがある、そこで相手が自分の意に沿わない行動をとると、つい相手を非難したくなるものだ。

 だが少し待ってくれ、人にはそれぞれ事情があり、その直前にとても辛い経験があったのかもしれない。

 彼はその人なりの価値観で、全力で頑張っているのかもしれない。

 あるいは、思いやりに基づく行動だったのかもしれない。

 だから、一方的に期待を押し付けてはいけない、まずは相手のことを理解しようと努めるべきだ。

 表面的な部分ばかりに注目してはいけない。

 本質的なものを見なくてはならないのだ。

 

 →ふむふむ難解ですね。

  それでも、ひとつだけは学びました。

  「相手の物語」=相手の事情を想像したり、理解することが大事なようです。

 

 

 


ないものねだり

2025-01-22 06:50:41 | 日記

人は誰しも自分の持っていないものを欲しがるものではないだろうか。

転じて、自分の体験していないものを欲するものなのかな。

名古屋住みのおいらは、近場にはない温泉を渇望している。

そしてそれらの多くは、東北地方だ。

 

◆175湯を巡ってやっとわかったこと

 おいらは、スタンプラリーよろしく、各地の温泉を巡っている。

 たしかに多くの温泉地を体験した。

 だが果たしてそれらは、最上級のものだったのか。

 たとえて言えば、秋田県の秘湯乳頭温泉だ、たしかにそれを体験したがそれは大釜温泉だ、鶴の湯ではない。

 岩手県の夏油温泉も体験したが、それは元湯夏油ではない。

 いわば準一流か、二流のそれでしかない。

 

 残念なことなのだが、一流の秘湯を体験するためには、やはりそれなりの支払いが伴うということなのだろう。

 だから、初回の訪問で予算をけちるとそれなりの宿と湯となり、結局は一流への再訪となってしまうのだ。

 そしてそれは、人生全般にも通ずるものではないだろうか。

 必要なものはやはり必要なのだから、きちんとそれなりの費用を負担すべきなのでしょう。

 そうすれば、後からあれが欲しかったと後悔することはないのでしょう。

 

 →予算をけちると、結局は高くつくのはよく経験するものです。