YとYの日々

Yuyuの日々の出来事と、時より登場するYoyoの交換日記のようなブログです

“彦根城”~わたし目線で見て歩き

2016-05-25 15:31:49 | 2017年キャンピングトレーラー旅
この城が完成したのは1622年~徳川幕府の開府が1603年なので
三代将軍の徳川家光の頃、すっかり江戸時代に入ってからの城といえるようです。。。

でも完成するのに20年かかったという彦根城
国宝にもなっていますしお城として見応えがありました
もちろん石垣も良いものでしたよ!


建物の幾つかは長浜城や大津城から移築されたものもあり
他から持ってくるということもすごいと思いましたけれど
昔の建築って、そういうことができる作りなんですね~!と
感心したりもします・・・“もったいない”の発想?

石垣の下から見上げると桜の枝と、城の内部につながる
表門から坂道を上り詰めたところにある橋が見えます


この橋ですが別の場所

橋の上の、ある場所から見てみると・・・

こんな感じです

“天秤櫓”という重要文化財にあたる櫓の窓で
昔は敵が来たらここから弓矢で狙ったのですね!

橋も~落とし橋といい、非常時には壊されて城を守るのに使われるのだとか
でもこの彦根城はその必要はなかったようです

一人と一匹を外に残し私だけここに上って見ていたのですけれど

誰もいないガランとした空間、ちょっと外の世界と離れて気分が変わりました


天守閣のある城中心部に行くまでには
まだこんな感じの見張り櫓のような部屋があり
そのたびに私は覗かせてもらいました・・・静かな空間から外を


そうだ、一人と一匹の姿はみえるかな
いたいた!
見えました~何だかうれしい♪



上り坂を上がり、櫓をくぐり着いた城の中庭
記念写真です


これは~みんなで揃い足!

yoyoさん~サム君~ひこにゃんも♪♪♪


楽しそうにしている一人と一匹を残し上った天守閣からは

琵琶湖がきれいに見えました

満開の桜越しに見える琵琶湖です~よいながめ


彦根城が国宝だという

“国宝指定書”というのが天守閣の一番中心あたりにかかげてありました
江戸時代のころは歴代藩主の甲冑が置かれていたりする場所として使われていて
城主達はここに住んでいたわけでは無かったのだとか
今とあまり変わらない使われ方のような気がします・・・

無理もないかも~!
こんなハシゴのような階段を上り下りする毎日なんてきっとないです
しかし、ここまで上ってくる年配の方が多いのに驚きました


あまり長居はできないと・・・下りるときに
たまたま見上げていた太い梁

「その梁はですね~この城で一番太いんですよ
 しっかりしているでしょう~!」

親切な係の方が教えて下さいました
ここの案内の人たち、わりと気軽にいろいろ教えてくれて親切でした

おまたせ~!




一人と一匹の所に戻った私
そろそろお昼ご飯、せっかくなので桜の下でいただこうと


敷地のはしまで行くと公園になっていて

お弁当を広げたりしていました

売られていたお弁当です
せっかくなので地元色の強いものを
“鮎弁当”ともう一つ
なぜかこのあたり鯖の料理が目に付きます
私が好きもありますが
“焼き鯖弁当”けっこう暑い身!
いただきました♪

他にも彦根城、見所いろいろありました
フォトチャンネルにまとめようかと思います。。。

城としての完成年は元和8年(1622)
彦根藩井伊家三十万石の所領を有する城
江戸時代の最初の頃徳川家光の代で長浜城より新しい

 ~関ヶ原の戦いは1600年
 ~江戸幕府開府 1603年
 ~1602年から二十年をかけて築城
 ~慶長12年1607年に天主完成、この天主は
  京極氏の大津城から移築されたといわれている
 ~1615年くらいには長浜城から代わり彦根城が湖北の拠点になった

“戦とともに発達したお城ですが、彦根城は一度も戦を経験することなく
  平和な江戸時代を送りました。
  この時代には藩主が天守を訪れることも余りなく、天守には
  歴代藩主の甲冑(かっちゅう)などが収納されていました。
  江戸時代の天守は、軍用建築というよりも
  城下から見上げる彦根藩の象徴という役割を担っていたようです。”

・天秤櫓は長浜城大手門を移築したもの
・三重の天主部分は京極高次が築いた大津城から移築されたもの

コメント (2)
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