相沢祐一の『北信越(北陸・信州・越後)』乗り撮り鉄道記

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2014年7月26・27日「大糸線・飯田線」と「快速ムーンライトながら」の旅・7月27日その15「通しの風景は、田園風景メイン。そのまま終点の直江津駅に到着しました」

2015-10-15 23:12:52 | 大遠征鉄道乗車記2014

前回は、JR長野駅から直江津行きに乗り、しばらく経ったところまででした。




黒姫駅付近です↓
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黒姫駅からは複線になります。


短いですが↓
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妙高高原駅までの複線です。


妙高高原駅です↓
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この頃の手前の2番線はほとんど使われていませんでした。現在は、2番線は「しなの鉄道」専用ホームです。


新井駅を発車したところです↓
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そして、脇野田駅(旧駅)近くです↓
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まだ線路変更前の様子です。


脇野田駅(旧駅)に停車。工事中の上越妙高駅です↓
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ほとんど草が生えていたな・・・まあ、じきに移転しましたが・・・



しばらくして、終点の直江津駅に到着しました↓
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この時は、当たり前だった115系長野色でした。今は、もう見る事はできません。



ようやく直江津駅に到着しました。あとは「北陸本線」(当時)の電車に乗って、糸魚川駅へ戻るだけです。



次回最終回、7月27日その16「今となっては思い出の金沢行きで糸魚川駅へ帰りました」に続きます。それでは・・・







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2014年7月26・27日「大糸線・飯田線」と「快速ムーンライトながら」の旅・7月27日その14「当時の長野駅は改築中、在来線ホームから今は亡き直江津行き電車に乗りました」

2015-10-15 22:47:54 | 大遠征鉄道乗車記2014

前回は、「長野新幹線」(当時)で終点の長野駅へ到着。駅前を散策したところまででした。




当時のJR長野駅は、大改装工事中でした↓
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戻ります。


改札をくぐります↓
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在来線ホームです↓
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この頃、主力電車は115系から211系に変わっていました。(なお、211系も国鉄時代の電車。つまり中古)


さらにオールロングシート↓
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快速長野行きとして停車。撮影後、車庫へ回送されました。



しばらく待ちです↓
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今は亡き直江津行きです。現在は、三セクで妙高高原行きとなっています。


車内の様子です。「北陸新幹線」開業までは、直江津方面へ行く唯一の電車でした↓
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席に座り、発車を待ちます。



長野駅を発車し、北長野駅に到着しました(動画)↓



北長野駅です。撮影後すぐに発車しました↓
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三才駅付近までは、このような風景でした。


豊野駅近くになると、田園風景となります↓
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豊野駅発車後は、田園風景メインです。



現在は、長野県側は「しなの鉄道」、新潟県側は「えちごトキめき鉄道」の2つ三セク鉄道に分かれてしまいました。そのため、境界駅の妙高高原駅で乗り換えとなります。しかし、この頃はそんな事を全く感じていませんでした。今となると通しで直江津駅まで来たのが懐かしいと思います。


この時はいつもと同じ風景を堪能していました。




次回、7月27日その15「通しの風景は、田園風景メイン。そのまま終点の直江津駅に到着しました」に続きます。それでは・・・・







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