7日はよく晴れて風も穏やか、気温も25℃を越えていたようです。
朝、母が弟夫婦と近所をドライブしていたら
「天気が良いので羽黒山に行きたい」といったので
途中姉の家によってくれた。
弟の車と姪の車に分乗して一路羽黒街道へ。
羽黒山は出羽三山(月山、湯殿山、羽黒山)の一つで
山岳修験道の山です。
羽黒山には子供のころから何度も登った懐かしい山です。
子供たちがまだ小学生のころ山頂まで登ったのは今から27年も前、
それ以来です。
もちろんこの日は山頂までドライブしました。
羽黒街道にある大鳥居
駐車場から三神合祭殿までは少しの石段を昇りますが
母の両手を二人でつないでゆっくり歩きました。
母の手をつないで歩くのは初めてです。
昔と比べて二周りも小さくなった母は、腰も曲がらず
久しぶりの羽黒山の景色に大喜び
我々もこうしてみんなで歩いたのは子供時代以来です。
最後の写真の鏡池はコウホネが群生していました。
夏には黄色い花が咲き乱れていたことでしょう。
この池から昔「古鏡」がたくさん出土しました。
それを記念して、鶴岡市の老舗菓子店の木村屋が
菓子を作りました。その名も「古鏡」、粒あんを求肥で固めた重量感のある和菓子です。
この菓子と洋風のマロンが大好きです。
古鏡
マロン
昔、祖母が私の髪を「羽黒山の廂」とよくからかっていました。
髪がとても多かった私を、父親がおかっぱに切ってくれました。
その切り口が三神合祭殿の廂に似ているのだそうです。
もちろん黒髪、頭のてっぺんに手を当てるとフカフカしていました。
ほんとにこんなふうだったなあと、つくづく眺めている私。
今はその面影は・・・・
子供のころ、12月も押し詰まる頃、
羽黒山の山伏たちが町へ降りてきて、一軒一軒法螺貝をふきながら寄進を受けていました。
「羽黒山、松の勧進 ブコ~ン」が来た~と子供たちはそう言って遊んでいました。
羽黒山山伏の像
山頂駐車場へ戻りながら・・・
朝、母が弟夫婦と近所をドライブしていたら
「天気が良いので羽黒山に行きたい」といったので
途中姉の家によってくれた。
弟の車と姪の車に分乗して一路羽黒街道へ。
羽黒山は出羽三山(月山、湯殿山、羽黒山)の一つで
山岳修験道の山です。
羽黒山には子供のころから何度も登った懐かしい山です。
子供たちがまだ小学生のころ山頂まで登ったのは今から27年も前、
それ以来です。
もちろんこの日は山頂までドライブしました。
羽黒街道にある大鳥居
駐車場から三神合祭殿までは少しの石段を昇りますが
母の両手を二人でつないでゆっくり歩きました。
母の手をつないで歩くのは初めてです。
昔と比べて二周りも小さくなった母は、腰も曲がらず
久しぶりの羽黒山の景色に大喜び
我々もこうしてみんなで歩いたのは子供時代以来です。
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最後の写真の鏡池はコウホネが群生していました。
夏には黄色い花が咲き乱れていたことでしょう。
この池から昔「古鏡」がたくさん出土しました。
それを記念して、鶴岡市の老舗菓子店の木村屋が
菓子を作りました。その名も「古鏡」、粒あんを求肥で固めた重量感のある和菓子です。
この菓子と洋風のマロンが大好きです。
古鏡
マロン
昔、祖母が私の髪を「羽黒山の廂」とよくからかっていました。
髪がとても多かった私を、父親がおかっぱに切ってくれました。
その切り口が三神合祭殿の廂に似ているのだそうです。
もちろん黒髪、頭のてっぺんに手を当てるとフカフカしていました。
ほんとにこんなふうだったなあと、つくづく眺めている私。
今はその面影は・・・・
子供のころ、12月も押し詰まる頃、
羽黒山の山伏たちが町へ降りてきて、一軒一軒法螺貝をふきながら寄進を受けていました。
「羽黒山、松の勧進 ブコ~ン」が来た~と子供たちはそう言って遊んでいました。
羽黒山山伏の像
山頂駐車場へ戻りながら・・・
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皆子供だったころは両親と一緒に行動してたけど、それもせいぜい中学生まででしたね。
大人になってからは初めてのことです。
不思議な感じでしたよ。
最近よく、時間ということを考えます。
出羽三山かあ。音がいいですよね。
まとまりのない文章でごめんなさい。でも、いいなあ。
天気がよくてとても楽しかったですよ。
「古鏡」は直径7センチ(昔はもっと大きかった)重さ69グラム、十分食べ応えのある銘菓ですよ(笑)
出羽三山は月山、湯殿山、羽黒山の総称で
それぞれ月山神社、湯殿山神社、出羽神社があり、三神を合祭した神殿という意味で三神合祭殿と呼ばれるそうです。
三山の開祖は蜂子皇子といわれています。
羽黒山と検索すると詳しくわかると思います。
お母様お元気で何よりです。
お母様は腰もしゃんと、それは何よりです。
>粒あんを求肥で固めた
とても美味しそうです。餡のお菓子は大好き、ギュウヒも大好きです。