先日のNatureに腸内細菌についての面白い記事が出ていました。世界中の食文化の違いは、あるものを消化できるかどうかを決めているようだ、という話です。えっ、人間の消化できるモノは人種が違うと異なるの? いえいえ人種ではなく、食文化そのものが消化できるモノを規定していくらしい、というはなしです。ある場所に生活し、その場所の食文化になじんでいれば消化できるようになるという話しです。今回の論文であきらかにされたのは、日本人の腸内細菌はノリに含まれる硫酸化多糖類を消化するCAZyme(カザイムあるいはCAザイム)という酵素をもっているのに、北米人の腸内細菌はもっていない、ということです。
もともとこの酵素は腸内細菌の持ち物ではありません。それは海洋細菌(海中に生存する細菌)から腸内細菌に移ってきたものらしいのです。日本人は滅菌していない海のものを食べます。その中には毒性のない海洋細菌も含まれています。それが腸内に到達し、長い年月の間に海洋細菌から腸内細菌へとCAZymeの遺伝子伝播が起こったようです。そしてめでたくわれわれはノリを消化できるようになったということです。
これは面白いことです。食べるものによって食べられるものが決まってくることを意味するからです。なんだか意味深いことだなぁと妙に納得してしまったのでした。
心の問題もそういうことなのでしょうか。受け取る情報が受け取ることができる情報を決めるようになっていくとか。違和感を感じずに何度も受け取っていられる情報に接しているうちに、さらにその情報を受け取りやすく変化(進化)していく、ということでしょうか。また、初め違和感があったとして、それでも受け取り続けていると受け取りやすい精神構造になっていくとか。。。それは一種の憑依、洗脳ともいえるかもしれませんね。どのような情報、刺激を心に受け止めるべきなのかは慎重でありたいと思います。
もともとこの酵素は腸内細菌の持ち物ではありません。それは海洋細菌(海中に生存する細菌)から腸内細菌に移ってきたものらしいのです。日本人は滅菌していない海のものを食べます。その中には毒性のない海洋細菌も含まれています。それが腸内に到達し、長い年月の間に海洋細菌から腸内細菌へとCAZymeの遺伝子伝播が起こったようです。そしてめでたくわれわれはノリを消化できるようになったということです。
これは面白いことです。食べるものによって食べられるものが決まってくることを意味するからです。なんだか意味深いことだなぁと妙に納得してしまったのでした。
心の問題もそういうことなのでしょうか。受け取る情報が受け取ることができる情報を決めるようになっていくとか。違和感を感じずに何度も受け取っていられる情報に接しているうちに、さらにその情報を受け取りやすく変化(進化)していく、ということでしょうか。また、初め違和感があったとして、それでも受け取り続けていると受け取りやすい精神構造になっていくとか。。。それは一種の憑依、洗脳ともいえるかもしれませんね。どのような情報、刺激を心に受け止めるべきなのかは慎重でありたいと思います。