このところのいろいろなニュース、日々の仕事の中で直面している事柄によって、思いが積もっている。
最近の傾向、昨日も書いたが evidence based policy making (EBPM) の流行に複雑な思いがある。何らかの危うさ、胡散臭さ。いわゆる「科学的」という枕詞に通じる、舌打ちしたくなるような、「またか」の詐欺行為発見の気持ち、である。
問題は「エビデンス」の正体。
1) 一次データの信頼性確保
先日も厚労省の統計のごまかしが大問題になっていたが、数値は一次データが命である。
「何を測定するのか?」 のみではなく、測定の「条件」が大問題。そこを操作すれば実際の測定データは大きく変わってくる。ま、操作はいくらでも可能、といっても良い。
一次データの統計処理でいろいろ策を弄しなくても簡単に数値を操作できてしまう。データの取得から監視して行くことが重要。そういう監視システムが無いと、どんな数値データも信用無し。
2) 数値化の難しい、あるいはできないエビデンスの扱い
今のEBPMが危うく感じられるのは1)のいい加減さもさることながら、2)がまったくもって手つかずであること。
2)はどうするのか? 文章で表現するしか無いだろう。つまりケーススタディである。それが意識されていない。2)は「科学的」ではないから??? とんでもないことである。
数値にならないところにも社会の真実がある。数値にならないところの方が多いかもしれない。人間の生活なのだから。
文章の力よ再生しろ!
あるいは数学の概念創成力が活かせるかもしれない。岡先生のような方が表れることを祈念する。