goo blog サービス終了のお知らせ 

日曜日の日記 ひであき の日記 Hideaki 's diary

気ままな日記
自分の書きたいこと、好きなこと、備忘録として
@dohsukkana
英明のツイートです

反乱

2015年12月02日 21時09分45秒 | 長い道のり
 もう、前のことです。忘れかかっています。
覚えていること(だいたい)を話してみます。
 このときは、心療内科(物忘れ科)と整形外科に通っていたころです。
心療内科の診察を受けます。
「○○さん、お変わりありませんか?」
「はい、ありません。以前、自分自身の名前も忘れたことがありました。でも、もう治りました。
治りましたので、薬は飲みません。」
「薬は、飲まれた方が。・・・」
「いえ、薬を飲むと頭がぼんやりします。吐き気もします。だから飲みません。」
「そうですか。・・・」
ここら辺の詳しいところは忘れてしまいました。
そして、診察室から、兄は退出。
先生と私で、
「お兄さんが、診察を拒まれているので、こちらとしては、できることはありません。薬も飲んだり、飲まなかったりする
のは返って、よくないので、出しません。今後のことは、ソーシャルワーカー、ケアマネージャーさんと相談して行ってください。」
こんな具合で、心療内科の通院は一旦終わりとなります。
 そして、別室で、ソーシャルワーカー、ケアマネージャー、本人、私の4人で話し合いになります。
 別室の前まで行って、何を思ったのか、兄が部屋に入る直前暴れだします。
「俺は、もう、通院しない。治ったんだから」
「分かったから、分かったから、まず、この部屋に入って、お話しましょう!」
「うるさい!、話し合いなんてしないぞぅ。」
正面に、ソーシャルワーカー(女性、妊婦さんです)に向かって行ったかと思ったら、廊下の壁に向かって思いきり、
飛び蹴りです(昔のキックボクシングの飛び蹴りみたいです)。
 みんなで、妊婦(ソーシャルワーカー)さんをかばいます。そして、暴れる兄に止めに入ります。
「わかったから、暴れないで、落ち着いて、落ち着いて、話し合いもしなくていいから」
そして、話し合いは、兄抜きの3人で行います。今後について。
 話し合いが終わって、出てみると、いません。
どうしたんだろう?
 探しまわりますが、見つかりません。もしかしたら、ひとりで帰ったかもしれない、どこにも行くところがありませんから。
帰って、いなかったら、連絡するということころに落ち着いて、帰ります。
 家に着くと、帰っています。聞いてみると、タクシーで帰ってきたのだそうです。
ソーシャルワーカー、ケアマネージャーに連絡します。みんな心配して頂いています。
「お騒がせしましたが、やっぱり家に帰ってきていました。ありがとうございます。」
「なにかあった時は、連絡してください。相談にのりますから」
「はい、わかりました。よろしくお願いします。ありがとうございました。失礼します。」
 こうして、1回目の心療内科の薬を飲むのは終わりになったのでした。

順調にいけばいいな

2015年09月29日 20時24分31秒 | 長い道のり

 こちらからの続きです。

 それから、どれくらい経ったか忘れましたが、「すごく、イタイ」と
いうようになってきました。
 すぐ、お医者さんに行って、診てもらいます。でも、お医者さんに
行くと、痛みが薄らいでいるみたいです。自分では、痛かったこと
を忘れています。
 そこで、私が、「最近、痛みが強い時があります。できれば座薬
も処方して頂いてもよろしいでしょうか」とお願いします。
 ここらへんの細かいことは、忘れましたが、快く座薬も処方して頂
きます。
 でも、事は簡単にすみませんでした。強い痛みが出たときに、座薬
を入れますが、効かないというのです。
 そこで、「入れてから、30分から1時間は効かないかもしれないから、
我慢して」とお願いします。ところが、5分の経たないうちに、私のと
ころに来ます。
 「今日、すごく、いでぇ。薬けろ。呑んでいいべぇ」
 「今、座薬やったよ。効くべから、少し待ってけろ」
 「そうかぁ、すごく、いでぇ」
と言って自分の部屋に戻っていきます。
ところが、また1、2分も経たない内に
 「いでぇ、くすり、けろ。呑んでいいべぇ」
 「今、座薬やったばかりだから、ちょっとまでぇ」
 「全然効かね、もう1回、座薬けろ」
 「ダメだってば。座薬1回やったら、最低、6時間は間隔をおかない
といけないんだから」
 「わかった」
 こんな会話が繰り返されるようになります。
 困ったなぁ、どうしよう。

 こんなことが、1週間に1回くらい起きるようになります。
 毎日ではないので、私も安心していたのがよくなかったのかもしれ
ません。 どうしよう、と思ったことなど、忘れてしまいます。
 のんきな暮らしに戻ってしまいます。

 最初、「必ず治ります」と言われて、順調にいけばいいな、治れば
いいな、と思ったのは、幻のことになっていくのでした。

 話は、前後します。
 兄が、お医者さんの前で、痛かったことを忘れています、と言いま
したが、実は、物忘れなんです。これが症状です。
 ここの整形外科に来る前、神経内科、通称、物忘れ科に通っていま
した。
 知っている人は、すぐわかったと思いますが、物忘れ科とは、認知
症を診療するところです。
 そうです。アルツハイマー型認知症です。
 そこで、足がイタイことを先生に相談したのです。ここで足の痛みも
診て頂けないかと。
 残念ながら、整形外科がないから、ということで、今の整形外科を
教えてもらったのです。
 そして、神経内科と整形外科と2つ通うようになったのです。


長い道のりのはじまり

2015年08月27日 21時11分34秒 | 長い道のり
 どこか、からだで調子わるいところのある人、痛いところのある人に
とっては、覿面(てきめん)効きますよね、この言葉は。
 兄もこの言葉を聞いて、即、「ありがとうございます。よろしくお願い
します。」と満面、笑みを浮かべて喜びました。
 先生(整形外科のお医者さん)は、次のように言ったのです。
「必ず、治ります。」って。「椎間板ヘルニアって言われたことがあるって
言いましたけど、それはたいしたことありません。まぁ、薬を呑んでもらっ
て、痛みが取れたならならば、○○しましょう。今日は、これで結構です。」
 車の中でも、「必ず治るって、安心したな。よかったぁ。」って、喜んで
帰途につきました。
 それから、2、3カ月経ってくると、先生の言葉も、トーンダウン。
もう、「治る」とは、口が裂けても言いません。「痛みも落ち着いているよ
うですから、今の薬を呑みながら、様子を見ましょう。」と。
 兄も、「散歩をしていると、痛みが和らいでくるようです。」と、まだ、治
ることを信じているようすです。
 私は、「なんだぁ、この先生、大丈夫かよ。自分の言った言葉おぼえて
いるんだろうな。最初にあんなに、期待させておいて。」と。
 「まぁ、痛みがそれほど、ひどくないならいいか」、と心のなかで思いま
す。
 でも、それから、1か月も経たないうちに、「俺の病気、何カ月、病院に
かかった?」と兄が、私に尋ねてくるようになりました。
 最初は、お医者さんに通っている期間だけを尋ねてきただけでしたが、
そのうちに、「本当に俺、治るのかなぁ」って、「あと、どれくらい、病院に
かかったら、治るんだべな」。「わからない、俺医者じゃないから。聞いて
みたら」と言うと、「そんなごと、きくごと、できね。」って。「じゃぁ、思い切っ
て別の先生(お医者さん)に行ってみる?」と聞くと、「俺、あの先生、信じ
ているから、いい」ときっぱり、断ってきます。
「なら、このまま通うしかないね」、「わかった」。
 こんな会話をしながら、通うことになります。


この話は、このブログからの続きです。