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『抵抗 -死刑囚の手記より-』(ロベール・ブレッソン監督、1956年)を再度観た。
1943年独軍占領下のリヨン。
レジスタンス派のフォンテーヌ中尉はドイツ軍にとらえられ拷問された上、モントリュックの監獄に投げ込まれた。
独房で死刑の判決を待つうち、彼は脱出することに全力をつくす。
まずスプーンをといでナイフを作り、何日もかかって扉のハメ板を外す。
ベッドの毛布を裂いて綱を作る。
朝の洗面のとき、収容者同士は秘かに連絡をとるが、脱出はすこぶる困難である。
フォンテーヌの勇気と強い意志は、次第に人々を動かして行く。
ところが、16歳のドイツ軍の服を着た脱走兵が彼の同室に投げ込まれて・・・
(Movie Walkerより)
この作品を劇場で観てから40年ほど経つだろうか。
それ以上かも知れないが、当時観た画面、画面の映像が今だに鮮明に記憶として残っている。
だから今回久し振りに観直しても内容自体はわかっていた。
しかし、それにしてもこの作品は無条件に凄かった。
フォンテーヌは不可能としか思えないこの監獄からの脱獄を希求する。
そのために緻密な計画を立て、黙々と粘り強くそれを推し進めていく。
フォンテーヌの無表情な、それとともに周囲の物音とかに気配る態度と行動が緊張感を強いる。
その静寂で無駄を廃し、細部に拘る淡々とした映像は一瞬の隙も与えず、見ている側は画面から目を離せなくなる。
特に、秘密国家警察本部に連行されて銃殺刑による処刑宣告を受けた後の、
ドイツ軍服を着た少年ジョストが同室になってからの緊張感は否応なしに張りつめてくる。
残り時間がない中での脱獄計画を、ジョストに打ち明けるべきか、それとも殺してしまうべきかの選択の賭けは、他では滅多に味わえない凄さがある。
そして、閉ざされた空間に対するラストの開放感は、えも言われないカタルシスを感じる。
これ程の傑作サスペンスをまた観れた感激は、そうそうあるものじゃないと多いに満足した。
1943年独軍占領下のリヨン。
レジスタンス派のフォンテーヌ中尉はドイツ軍にとらえられ拷問された上、モントリュックの監獄に投げ込まれた。
独房で死刑の判決を待つうち、彼は脱出することに全力をつくす。
まずスプーンをといでナイフを作り、何日もかかって扉のハメ板を外す。
ベッドの毛布を裂いて綱を作る。
朝の洗面のとき、収容者同士は秘かに連絡をとるが、脱出はすこぶる困難である。
フォンテーヌの勇気と強い意志は、次第に人々を動かして行く。
ところが、16歳のドイツ軍の服を着た脱走兵が彼の同室に投げ込まれて・・・
(Movie Walkerより)
この作品を劇場で観てから40年ほど経つだろうか。
それ以上かも知れないが、当時観た画面、画面の映像が今だに鮮明に記憶として残っている。
だから今回久し振りに観直しても内容自体はわかっていた。
しかし、それにしてもこの作品は無条件に凄かった。
フォンテーヌは不可能としか思えないこの監獄からの脱獄を希求する。
そのために緻密な計画を立て、黙々と粘り強くそれを推し進めていく。
フォンテーヌの無表情な、それとともに周囲の物音とかに気配る態度と行動が緊張感を強いる。
その静寂で無駄を廃し、細部に拘る淡々とした映像は一瞬の隙も与えず、見ている側は画面から目を離せなくなる。
特に、秘密国家警察本部に連行されて銃殺刑による処刑宣告を受けた後の、
ドイツ軍服を着た少年ジョストが同室になってからの緊張感は否応なしに張りつめてくる。
残り時間がない中での脱獄計画を、ジョストに打ち明けるべきか、それとも殺してしまうべきかの選択の賭けは、他では滅多に味わえない凄さがある。
そして、閉ざされた空間に対するラストの開放感は、えも言われないカタルシスを感じる。
これ程の傑作サスペンスをまた観れた感激は、そうそうあるものじゃないと多いに満足した。
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