1935年版の『アンナ・カレニナ』(クラレンス・ブラウン監督)を観た。
主演はグレタ・ガルボ。
カレーニン夫妻には愛児セルゲイがいるが、アンナと夫の仲は冷めていた。
ある時、モスクワの兄の家を訪れたアンナは、ヴロンスキー伯爵という若い士官と知り合いになる。
二人はお互いに心惹かれる思いを抑えきれなかった。
兄夫婦の家庭不和を取りなしたアンナは、ペテルベルグの我が家に向かう。
その彼女が乗り込んだ汽車に、追いかけてきたヴロンスキーも乗っていた。
それからペテルベルグでの恋の日々が始まった。
クロッケー・ゲームとか、二人はいつも一緒で何かと人の目を引いた。
ある日、障害レースにヴロンスキーが出場し、落馬する。
それを見て動揺するアンナに、夫は公衆の面前で恥をかかせたと怒る。
ヴロンスキーを愛していると打ち明けるアンナに対して、離婚はしない、もう二度と彼と会ってはならぬと、夫は言い渡す・・・
(映画.comより修正)
イタリアはベニスへの逃避行が始まる。
しかし、二人だけの愛の生活であっても、華やかな社交生活の望郷の念と愛児セルゲイの会いたさがアンナに忍ぶ。
そして、再びペテルブルグに戻る頃には、アンナに対するヴロンスキーの愛が冷め始めている。
と、前回観た“ヴィヴィアン・リー”版によく似た筋の流れで話は進んでいく。
ただし当然、こちらの作品が先ということを踏まえたうえで。
作り方としては、要領よくコンパクトにまとまっていて観やすい。
特に、アンナが子セルゲイに対する思いが強く表れているのがよくわかる。
それとラスト近くで、対トルコ戦に参戦するために旅立つヴロンスキーにアンナが、“戦争を言い訳にして私から逃げるつもりね”と放つ言葉。
「行かないで」と言うアンナの切実な思いに、返すヴロンスキーの「うんざりだ」の一言。
絶望に陥ったアンナが列車に身を投げる気持ちがよく出ていて納得する。
相手が縋る切ない思いでいるのに、自分もあれ程その相手を夢中になっていたのに、人はなんで、いずれは恋のほとぼりが冷めるのか、と考えさせられる。
それにしても、アンナがグレタ・ガルボいうのは多少違和感を感じる。
ガルボの印象は、どちらかと言うと知性が勝ち、恋に何もかも捨てて邁進するタイプとはほど遠いのじゃないかと思ったりする。
なんなら、ドリー(アンナの兄の妻)の妹キティを演じたモーリン・オサリヴァンをアンナにしたらいいのにな、と個人的に思う。
なにしろ、彼女は『類猿人ターザン』(1932年)等のヒロインで、ミア・ファローの母だからと、思い入れが続く。
そして、相手のヴロンスキー役のフレドリック・マーチが当時の有名な俳優としても、この作品に関しては、この彼にアンナは本当に芯から我を忘れるかな、と思ってしまう。
と、勝手なことを思いながらも素晴らしいのは、冒頭場面の宴会場面で食卓を舐めるようにいつまでも引いていくカメラワーク。
このような映像的なテクニックが当時に確立していることに驚いたりする。
と、いうことを思ったりする作品だった。
主演はグレタ・ガルボ。
カレーニン夫妻には愛児セルゲイがいるが、アンナと夫の仲は冷めていた。
ある時、モスクワの兄の家を訪れたアンナは、ヴロンスキー伯爵という若い士官と知り合いになる。
二人はお互いに心惹かれる思いを抑えきれなかった。
兄夫婦の家庭不和を取りなしたアンナは、ペテルベルグの我が家に向かう。
その彼女が乗り込んだ汽車に、追いかけてきたヴロンスキーも乗っていた。
それからペテルベルグでの恋の日々が始まった。
クロッケー・ゲームとか、二人はいつも一緒で何かと人の目を引いた。
ある日、障害レースにヴロンスキーが出場し、落馬する。
それを見て動揺するアンナに、夫は公衆の面前で恥をかかせたと怒る。
ヴロンスキーを愛していると打ち明けるアンナに対して、離婚はしない、もう二度と彼と会ってはならぬと、夫は言い渡す・・・
(映画.comより修正)
イタリアはベニスへの逃避行が始まる。
しかし、二人だけの愛の生活であっても、華やかな社交生活の望郷の念と愛児セルゲイの会いたさがアンナに忍ぶ。
そして、再びペテルブルグに戻る頃には、アンナに対するヴロンスキーの愛が冷め始めている。
と、前回観た“ヴィヴィアン・リー”版によく似た筋の流れで話は進んでいく。
ただし当然、こちらの作品が先ということを踏まえたうえで。
作り方としては、要領よくコンパクトにまとまっていて観やすい。
特に、アンナが子セルゲイに対する思いが強く表れているのがよくわかる。
それとラスト近くで、対トルコ戦に参戦するために旅立つヴロンスキーにアンナが、“戦争を言い訳にして私から逃げるつもりね”と放つ言葉。
「行かないで」と言うアンナの切実な思いに、返すヴロンスキーの「うんざりだ」の一言。
絶望に陥ったアンナが列車に身を投げる気持ちがよく出ていて納得する。
相手が縋る切ない思いでいるのに、自分もあれ程その相手を夢中になっていたのに、人はなんで、いずれは恋のほとぼりが冷めるのか、と考えさせられる。
それにしても、アンナがグレタ・ガルボいうのは多少違和感を感じる。
ガルボの印象は、どちらかと言うと知性が勝ち、恋に何もかも捨てて邁進するタイプとはほど遠いのじゃないかと思ったりする。
なんなら、ドリー(アンナの兄の妻)の妹キティを演じたモーリン・オサリヴァンをアンナにしたらいいのにな、と個人的に思う。
なにしろ、彼女は『類猿人ターザン』(1932年)等のヒロインで、ミア・ファローの母だからと、思い入れが続く。
そして、相手のヴロンスキー役のフレドリック・マーチが当時の有名な俳優としても、この作品に関しては、この彼にアンナは本当に芯から我を忘れるかな、と思ってしまう。
と、勝手なことを思いながらも素晴らしいのは、冒頭場面の宴会場面で食卓を舐めるようにいつまでも引いていくカメラワーク。
このような映像的なテクニックが当時に確立していることに驚いたりする。
と、いうことを思ったりする作品だった。
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