ポケットの中で映画を温めて

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『まぼろしの市街戦』を観て

2022年10月10日 | 1960年代映画(外国)
『まぼろしの市街戦』(フィリップ・ド・ブロカ監督、1967年)を観た。

1918年10月。第一次世界大戦末期の北フランスの小さな町でのこと。
イギリス軍に追撃されたドイツ軍は、その田舎町から撤退する際に、イギリス軍を全滅させるため村のある場所に大型の時限爆弾を仕掛けていった。
イギリス軍司令官は、町に潜入し爆弾の時限装置の解除する役目を、たまたまフランス語が出来るというだけの理由で、
通信兵である伝書バト係のスコットランド人、プランピック二等兵に命令する。

町に侵入したプランピックは、残留していたドイツ兵と鉢合わせになってしまい、たまたま開門していた精神病院に逃げ込む。
そこでは、老若男女の患者たちが戦争をよそに、楽しげにトランプ遊びをしていた。
彼らに名前を聞かれたプランピックは、適当に“ハートのキング”と自称したことから、患者たちの王様に祭り上げられる。

町の人々が逃亡し、ドイツ兵も撤退してもぬけのからになった町。
取り残されたのは、患者たちとサーカス団の動物だけ。
彼らは町中に繰り出し、思い思いの役を演じる。
司教になる者、軍人になる者、貴族になる者、美容師になる者、娼館のマダムになる者。
ひとときのお祭りのような、リアリティのない奇妙な日常生活に、プランピックは取り込まれていく。
そんななか彼は、美しい少女コクリコを始め、徐々に精神病院の“狂人たち”に親しみを覚え始める・・・
(Wikipediaを一部修正)

この作品は端的に言うと、戦争を茶化し、そして戦争そのものを客観視しながら、明るくユーモラスに富んだ作り方をしている。
それによって、精神病患者といわゆる戦争指令者を対比した場合、どちらが本当にまともなのかを考えるキッカケとなっている。
そのいい例が、ラストでプランピックが次の前線に送られる時、一人コッソリと、この精神病棟の仲間になっていく場面に象徴される。

それとダブらせ、現在のウクライナ・ロシアの現状を考えると、独裁者はなんと馬鹿馬鹿しいことを行っているのかと、痛ましく歯がゆい思いがする。
映画の中ではいい。敵味方がみんな亡くなってしまっても、所詮人間はこのような馬鹿なことをいつの時代もしているのだなと納得していればいいいから。
ただ現実はそうはいかない、身近な人々、特にその内のかけがえのない一人でも亡くなれば、残る者の悲痛は想像するに忍びない。
世の中がきな臭い方向にグングン進んでいく中、もう一度立ち止まって、このような作品から世の中の方向転換となるいいヒントを得たいとしんから願う。

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