『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

読書感想178  光圀伝

2015-08-14 21:09:22 | 小説(日本)

読書感想178  光圀伝

著者      冲方丁

生年      1977年

出身地     岐阜県

出版年月    2012年8月

出版社     (株)KADOKAWA  角川文庫

 

☆感想☆☆☆

 水戸黄門様こと徳川光圀のことを描いた小説。前作の「天地明察」と同じ時代。それで出てくる人もかぶってくる。代表的な人物が保科正之。4代将軍家綱を補佐した名宰相。保科正之も水戸光圀もともに徳川家康の孫にあたる。それぞれタイプは違うが、二人とも戦国時代の武断政治から文治政治に大きく舵を切った時代の推進者だ。明暦の大火で江戸城の天守閣も消失したときに、戦国時代は終わったとしてそれを再建せずに、江戸の町の復興に資金を集中した保科正之。一方、光圀は詩歌で天下をとろうという野心を持ち、朝廷との絆を深めて、伯父の徳川義直の志を引き継いで日本の歴史書を編纂しようとする。将軍家綱が儒家の林家に命じて編纂させた幕府の意向に合わせた「本朝通鑑」に対して、光圀は徹底して資料に基づく比較検討を主眼にして「人倫を明示せんとする史書」を目指す。新たな革新的な学問を作り出そうとしている。

 そうした文化的な面だけではなく、光圀は武断的な面もある。ずいぶんお手打ちをしている。水戸領内の賊や謀反に近い企てをした家臣など自らの手で討ち果たしている。あえて殺すことで自ら手を汚す覚悟を見せている。荒っぽい戦国の気風が生きている中で育ち、子供時代の父親から受けた教育もすさまじい。10歳になるかならない子供に刑死した人の生首を真夜中に運ばせたりするのだ。ことにあたって死を覚悟するというのが父親の薫陶だ。このへんは現代の私たちには理解を超えた世界だ。

 一方、兄を差し置いて水戸藩の世子になったことを申し訳なく思って、光圀は自分の後継者として兄の息子を据える。これは、単に儒教的な倫理観で行った行為ではなく、兄思いの心情からだというのが伝わってくる。

 葬式を仏式から儒式に変えている。江戸時代の初期には、仏教というのは宗教としては役割を終えていたのだろうか。

 徳川家の殿様の中で人柄の伝わっている数少ない一人だ。

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