読書感想252 ある明治人の記録
著者 柴五郎
出身地 福島県会津若松市
生没年 安政6年(1859年)~昭和20年(1945年)
編者 石光真人
初版出版年 1971年
改版出版年 2017年
出版社 中央公論新社
☆☆感想☆☆☆
本書は副題に「会津人柴五郎の遺書」とあるとおり、会津に生まれた武士の子が会津での幼年時代から、西南戦争の時期までの思い出を綴ったものである。会津藩の上級武士の子として男子5人女子4人の大家族に生まれた著者は、戊辰戦争で祖母、母、姉、妹、兄嫁を自刃で失い、東京に移送された後に、会津藩が斗南藩として下北半島に移されたのに従い、慢性的に飢饉が発生する不毛の地、下北半島で1年半過ごすこととなる。そして廃藩置県で藩からの縛りが解け、東京で下男や学僕をしながら、陸軍幼年学校に入学し、西南戦争を迎える。
「国破れても」会津人の教育熱は衰えない。著者が別荘で農民の子どもたちと遊びほうけているのを見て、預けた大叔父から著者を引き取り、長兄は東京に連れて行くことにする。東京では会津藩士は逆賊として収容されているが、監視の目を盗んで脱走させ沼津の知人に預けようとするも、失敗。斗南藩では藩の学校が開かれ著者も従来の儒学に変わり、新時代の福沢諭吉の「西洋事情」などを習う。さらに開拓のために奥地に入って藩の学校へ通えなくなると、兄の友人宅に預けられ通学できるようになる。斗南藩では青森県庁の給仕として2名選抜することになり、著者も選ばれて大参事野田豁通の世話になることになる。この時の斗南藩の喜びようは欧米派遣留学将校のようだったと述べている。昼間は県庁で給仕、夜は野田邸で書生から勉強を習う生活。その後東京に出たが、親戚にはことごとく同居を拒まれる。斗南藩の大参事だった山川大蔵も東京に出てきて長屋住まいだったが、受け入れてくれる。常に会津人が居候している状態で貧しい。著者に借金を申し込むほどだ。しかし、著者が陸軍幼年学校への入学が決まると、著者の貸した額の半分近くもかけて、新しい制服をあつらえてくれる。
会津の人の実直で暖かい雰囲気が伝わってくる逸話が多い。
本書は2部構成になっている。第1部「柴五郎の遺書」、第2部「柴五郎翁とその時代」。本書の編者の石光真人は著者の恩人である野田豁通の甥にあたる。