『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

秋の俳句(2011年11月中旬)

2011-11-17 00:48:26 | 日記・エッセイ・コラム

 

歓声に起こされ今朝はスポーツ日<o:p></o:p>

 

一面に黄色の裳裾広げつつ<o:p></o:p>

 

さんま焼きレモンを絞り醤油かけ<o:p></o:p>

 

肩寄せて笑いさざめく宵の月<o:p></o:p>

 

ふんわりと待った甲斐あり栗ごはん<o:p></o:p>

 

オレンジの光を映す川面かな<o:p></o:p>

 

笑い声聞こえるはずのない家に<o:p></o:p>

 

あの声は風のうなりか空耳か<o:p></o:p>

 

イチョウの木黄色いシャツがほころびぬ<o:p></o:p>

 


そぞろ歩き韓国28 南韓山城

2011-11-15 23:49:49 | まち歩き

南韓山城

南韓山城はソウルの東南に位置し、京畿道とソウル特別市の両方にまたがっている。高さは500メートルぐらいなので東京の高尾山の599メートルよりはわずかに低い山地にある。山城を囲む城郭の長さはおよそ9キロメートルで、中は平らな平地になっている。

山城としての歴史は古く統一新羅時代に唐との戦いのために築城され、朝鮮時代の丙子胡乱では清の攻撃に対して47日間抵抗したところだという。その時代に国王の行宮もあり、4千人が住んでいたそうである。今でも山城の中には小学校や畑、人家や商店が見られる。

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南門へ向かう人々

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下から見上げる城壁

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山を囲む城壁

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上から見た東門

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演武館

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山城から下る道

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山城の近くのハイキングコースで体操をする人々

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山城から下ってきた遊園地公園

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遊園地公園の入り口のコメディアンの手形


翻訳 宇宙の橋を渡って9

2011-11-10 18:59:37 | 翻訳

 

1級正教師資格研修を真面目に受ければ教頭校長への昇進が速くなるという話を数えきれないほど聞きながらも僕の心はその時既に別の時空をさまよっていた。今、何か選択しなければならない、今、選択しなければ永遠に1級正教師として生きなければならないという内面の強迫観念が津波のように襲ってきて、結局資格研修を1週間残して、学校に休職届を提出してしまった。なぜそんな無茶をしたのか、誰かがたずねたとしてもそれに対して理性的に説明をする自信がない。そのままそれをするよりほかに仕方がないことが世の中には多少あるのだ。<o:p></o:p>

 

その時僕は29歳でどこへでも人生のさいころを投げざるを得なかったから。<o:p></o:p>

 

 学校を休職して1年間京義線の列車が通る線路沿いの白馬という田舎の村で小説を書いた。そして1年間書いた小説を文芸誌に応募して学校に復職した。その時の気持ちは本当に惨めでひどく追いつめられていた。形式的な手続きで復職はしたけれど、その時既に僕の心は学校を離れていた。子供たちのためにも教師生活をこれ以上続けてはいけないという結論を出した後だったので、今や僕の人生に残された最後の出口はただひたすら小説を書くこと以外になかった。応募した小説が当選しなければ、これ以上生きる価値も名分もないと結論を下していたのだ。<o:p></o:p>

 

 毎年当選者を発表している時期がはるかに過ぎたが、当選通知が来なかった。すべてが終わったな、学校の運動場の周りに植えてあるプラタナスを眺めながら気持ちの整理を始めた。30歳、もうすでにこれ以上生き続ける名分がないと考えた。今回落選したら、自分の才能を恨みながら文学に対するすべての未練を断ち切ってしまおう、もうずいぶん前から決めていた。振り返ってみても残酷に感じるけれども、その時僕は限りなく冷笑的な心情で自殺を夢見ていた。小説を書こうと、3年間のつもりで入って行った高山地帯で過ごした時間がいつのまにか4年8か月が過ぎていた。そして海抜650メートルの高山地帯にはいつのまにかわびしくうすら寒い秋の風景が感じられた。退屈な青春、今やこれ以上地球に留まっていなければならない大義名分は何だというのか。<o:p></o:p>

 

 2時間目の授業が進行中の教室の窓際に立ってそんな考えに捕われていた。その時、がらんとした学校の運動場に朱肉色の1台のオートバイ入ってきた。郵便局か電信電話局の職員が乗ってきた小型のオートバイ、それを見て苦笑せざるを得なかった。そのオートバイが当選通知書を持ってきたお祝いのメッセンジャーだったら、どんなに良いかという熱望と恥辱感。<o:p></o:p>

 

 それは夢でもなく、また幻でもなかった。その日2時間目の授業中に見た朱肉色のオートバイ、それが実際に僕の当選通知書を届けに来たからだった。2時間目の授業が終わった直後に祝電を受け取って、それがまた別の人生に向かわせる激励の切符だと何度も反芻せざるを得なかった。19881026日暗殺された朴正煕元大統領の命日だった。<o:p></o:p>

 

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