『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

読書感想204  よみがえる卑弥呼

2016-10-10 19:23:50 | 時事・歴史書

「卑弥呼」の画像検索結果

読書感想204  よみがえる卑弥呼

著者   古田武彦

生没年  1926年(大正15年)~2015年(平成27年)

出身地  福島県

初出版年 1987年

再出版年 1992年

出版社  朝日新聞社  朝日文庫

 

☆☆感想☆☆

著者は「失われた九州王朝」「邪馬台国はなかった」「日本列島の大王たち」で証明しようと試みた古代日本列島の九州王朝の実在性に本書でも迫っている。従来の古代史について次のように著者は述べている。

 

  「日本列島に、朝廷は一つしかなかった。それが大和朝

廷である」――これが、明治以降の古代史学において、ことさら強調された命題であった。研究思想を貫く根本信念とさえいえよう。この一点において戦前も戦後も不変だった。しかしそれは、江戸期の国学者たちのイデオロギー的な読解と、そのための「原文改定」という改変資料にもとづくものだったのである。――(解題)

 

本書では「卑弥呼の比定」という章がある。卑弥呼は誰だったのだろうか。中国の史書に出ていて日本の中に痕跡がないはずがないと考えた著者は、「卑弥呼」を通説の「ヒミコ」ではなく、「ヒミカ」と見なすべき可能性を示唆する。「ヒ」は太陽を意味する美称であり、「ミカ」は神聖なる甕を意味していると分析する。そして「筑後国風土記」に出てくる甕依姫(みかよりひめ)に的を絞る。甕依姫の場合、甕(みか)は固有名詞で卑弥呼と一致し、依姫は「憑(よ)り代」をもって神に仕える権威ある巫女の称号で、呪術をもって神に仕える点が共通する。甕依姫は筑紫君の祖であると記されている。彼女自身も筑紫君として中央権力者だった可能性が高い。名前から言っても甕棺の盛行した弥生時代の筑紫の巫女と考えられるので、卑弥呼と同世代である可能性も高いと結論づける。

本書は著者の仮説を証明しようといろいろな文献を分析し学術的である。素人にはなかなかとっつきにくい体裁になっている。しかしもちろん古代史に新風を吹きこむ労作だ。 

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読書感想203  逆転の大中国史

2016-10-06 20:29:30 | 時事・歴史書

1月のある日、いつも通り湯船に浸かりながらebayでスタバのデミタスカップ新発売状況を調べていたらフフホトバージョンを発見してしまいました。<br />どうやら昨年10月に1号店がオープンした模様。<br />フフホト?内モンゴルだよね。遠いよねー。と思って地図を確認してビックリ。北京からめっちゃ近いじゃん。<br /><br />即座に中国国際航空(以下CA)のHPに飛ぶと、まだ埋まっていなかった6月の3連休(金曜が会社の一斉有休)でお値打ちな航空券が!<br />その時期ならもう乗馬も楽しめそうだし、即買いです(≧∇≦)<br /><br />この一連の流れが入浴中に終わりました(笑)。<br />ネットをしながらの長風呂が趣味なのです。<br />ちなみに、私が旅行記を書く場所ベスト4は・・・<br />4位:近所のEXCELSIOR CAFE <br />3位:仕事の合間の車内 <br />2位:家のベランダ <br />そして1位:お風呂!!<br />

読書感想203  逆転の大中国史

著者      楊海英  オーノス・チョクト(モンゴル名)

生年      1964年

出身地     南モンゴルのオルドス高原

国籍      2000年に日本に帰化。

代表的な著作  「チベットに舞う日本刀 モンゴル騎兵の現代史」

 「墓標なき草原 内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録」

職業      静岡大学教授  専攻 文化人類学

出版年月日   2016年8月10日

出版社     (株)文藝春秋

 

☆☆感想☆☆☆

いわゆる「中国史」「中華文明」の呪縛を解くという目的で書かれた本である。高い文明を築き上げてきた漢民族は、北方から騎馬民族にしばしば蹂躙されるが、一時的にそうした騎馬民族が支配者となっても「漢化」され、騎馬民族としてのアイディンティティを失っていく。偉大な中華文明に吸収されるのだ。こうした偉大な中華文明と野蛮な周辺民族(東夷・西戎・北狄・南蛮)の関係として刷り込まれて来た「中国史」を著者は「中国人の天真爛漫な願望や空想」に過ぎないと言い切る。

さらに「ユーラシア史」の観点からは、遊牧民がユーラシア大陸を縦横に広がり文化的にも人種的にも交じりあったのに対して、「漢文明」の広がりは華北と華中のいわゆる中原に留まり、普遍的な世界文明というよりローカルな地域文明と考えたほうが実態に近いのではないかという。「中国史」の問題点は自分たちが普遍的だと信じ込んでいる世界観に被害者意識が交じりあっていることだと指摘する。

歴史的にはシナ地域で国際的な文化が花開いた王朝は、非漢民族の遊牧民が建国した王朝であり、開放的で民族や宗教に関係なく実力があれば登用するという寛容さがあり繁栄したという。唐しかり、元しかり、清しかり。そして漢民族は、表意文字の「漢字」システムを共有することで成り立っているのであり、「共通の言語」や「共通の地域」「共通の文化」などを持っているわけではないという。そうした漢人は歴史的に入れ替わり、184年の「黄巾の乱」から三国時代(魏、呉、蜀)にかけて、古い漢人は500万人に減り、次の「五胡十国時代」に混血が進み漢語のアルタ語化が進んだという。そういう意味で古い漢人は絶滅したと結論づけている。アルタイ語化によって、北方では語頭の「n」「l」「r」を区別できるようになり、南方の漢語の中には「n」「r」「l」の区別がつかないタイ系の残滓があるという。「南方人」を北方では「ナンファンレン」と発音し、南方では「ランファンレン」と発音するそうだ。著者はそもそも黄河中流域の中原にいたのは夏を建国したタイ系の夏人と考えている。彼らが北方や西方からの遊牧民や狩猟民に追い立てられて南方に逃げていったのだという。

ユーラシアの遊牧民の文化が中華文明と遜色ない、むしろ先進的である証拠としてシベリア南部のミヌシンスク文明を挙げている。ミヌシンスクでは青銅器の製造、牧畜、狩猟、漁労が行われていて、紀元前3000年には青銅器の製造が始まっているという。さらに紀元前2000年から紀元前800年に作られた青銅の短剣は満州平原から黒海沿岸まで出土している。ユーラシア(シベリア)冶金圏説が唱えられている。同時期のシナ・殷では青銅器は儀礼的なもので大きくて重い。文化圏が異なっているという。

草原の文明がこれほど豊かだとは思わなかった。漢字を通じて北狄・西戎といった目でしか、騎馬民族を見てこなかった日本人にはとても新鮮な視点を提供してくれる書物だ。 

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