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紙のおじいちゃん
おまえに綺麗なきものを着せたったら
紙人形のように可愛いやろなあ
そんなこと言うてはったおじいちゃん
いつのまにか
紙のおじいちゃんになってしまはった
あれは風のつよい日やった
中学生やった私は下校の途中で
なんや空の方からおじいちゃんの声がしてん
ひらひらひらひら
凧のようなもんが街路樹に引っかかっとってん
そんなとこでなにしてはんの
おじいちゃんすっかり紙になってしもうてた
こんなに平べたになりはって
こんなにわやくちゃになりはって
私のリボンよりも軽いやないの
かなしいて悔しいて
紙のおじいちゃん
涙で溶けてしまいそうやった
あんなに背筋がまっすぐやったのに
おじいちゃん
朝は5時には起きだして
公園をぶらぶら
バイクを解体するヤンキーと喧嘩したり
ランドセルの小学生をからこうてみたり
啓蟄や夏越や彼岸花やゆうて
蜻蛉みたいに季語を追いかけてはった
おじいちゃん
それやのに
ただの白い紙になってしもうて
もう五文字の言葉もでてきいへん
七文字の言葉もでてきいへん
言葉をどこへ置いてきはったん
なんもかもぜんぶ
おばあちゃんが持っていかはったんやろか
おばあちゃんもとっくに
紙くずみたいになりやって
おじいちゃんが必死になって探したんやけど
終いにはなんも残らへんかった
生きるんかて死ぬんかて
最後はぺらぺらのもんや言うて
やたら紙をちぎりたおしてはったけど
おじいちゃんの体が
だんだん軽うなってしもうて
あれから
おじいちゃんは紙の眠り
おじいちゃんは紙の目覚め
すっかり紙にくるまれてしもうて
おじいちゃんはぺらぺら
もう紙のいのち
おじいちゃん
風の日はそとに出たらあかんえ
雨の日もそとに出たらあかんえ
あした私は
白無垢の紙人形になって
この家を出てゆくけれど
*
ペーパーホーム
初潮という言葉が
海の言葉みたいなのはなぜかしら
などと考えていた頃に
おまえの家は紙の家だとからかわれ
わたしは学校へ行けなくなった
わたしは紙のにおいが好きだった
ノートのにおいとか
鼻をかむ時のティッシュのにおい
障子や襖のにおい
紙でできた家があったらすてき
そんなことを文集に書いたことがある
けれども紙の家は
雨にも風にもよわい家でした
とても壊れやすい家でした
紙の家の
壁に穴をあけて
弟もとうとう家出した
あんなに威張っていたけれど
穴は小さくてかわいいぬけ殻みたい
その穴のむこうに
なにが見えていたんだろうか
台所の壁にも穴があいている
3年前に母があけた
こんな家なんかもうすぐ壊れてしまう
母の口ぐせだった
いつのまにか父もいなくなった
1年以上も帰ってこないということは
この家を捨てたということだろう
残ったのは祖母とわたしだけ
ふたりとも引きこもりだから出てゆけない
祖母はわたしを愛しているという
わたしは祖母を愛していないとおもう
祖母はほとんど言葉を失って
もうわたしたちに通じあう言葉がない
猫のように眠ってばかり
そうやってすこしずつ死んでゆくのだろう
しずかに逝ける年寄りは
しあわせだと思うことにする
死ぬことも生きることも
わたしは若いから苦しい
弟が残した壁穴が
だんだん大きくなってゆく
青いしみのような空がみえる
小さな空は水たまりに似ている
水たまりは池になり
やがて海になるかもしれない
もうすぐ
紙の家をすてて
わたしも茫洋のそとへダイブするんだ
あかい血があおく染まる
その時わたしは
初めての潮になる
おまえに綺麗なきものを着せたったら
紙人形のように可愛いやろなあ
そんなこと言うてはったおじいちゃん
いつのまにか
紙のおじいちゃんになってしまはった
あれは風のつよい日やった
中学生やった私は下校の途中で
なんや空の方からおじいちゃんの声がしてん
ひらひらひらひら
凧のようなもんが街路樹に引っかかっとってん
そんなとこでなにしてはんの
おじいちゃんすっかり紙になってしもうてた
こんなに平べたになりはって
こんなにわやくちゃになりはって
私のリボンよりも軽いやないの
かなしいて悔しいて
紙のおじいちゃん
涙で溶けてしまいそうやった
あんなに背筋がまっすぐやったのに
おじいちゃん
朝は5時には起きだして
公園をぶらぶら
バイクを解体するヤンキーと喧嘩したり
ランドセルの小学生をからこうてみたり
啓蟄や夏越や彼岸花やゆうて
蜻蛉みたいに季語を追いかけてはった
おじいちゃん
それやのに
ただの白い紙になってしもうて
もう五文字の言葉もでてきいへん
七文字の言葉もでてきいへん
言葉をどこへ置いてきはったん
なんもかもぜんぶ
おばあちゃんが持っていかはったんやろか
おばあちゃんもとっくに
紙くずみたいになりやって
おじいちゃんが必死になって探したんやけど
終いにはなんも残らへんかった
生きるんかて死ぬんかて
最後はぺらぺらのもんや言うて
やたら紙をちぎりたおしてはったけど
おじいちゃんの体が
だんだん軽うなってしもうて
あれから
おじいちゃんは紙の眠り
おじいちゃんは紙の目覚め
すっかり紙にくるまれてしもうて
おじいちゃんはぺらぺら
もう紙のいのち
おじいちゃん
風の日はそとに出たらあかんえ
雨の日もそとに出たらあかんえ
あした私は
白無垢の紙人形になって
この家を出てゆくけれど
*
ペーパーホーム
初潮という言葉が
海の言葉みたいなのはなぜかしら
などと考えていた頃に
おまえの家は紙の家だとからかわれ
わたしは学校へ行けなくなった
わたしは紙のにおいが好きだった
ノートのにおいとか
鼻をかむ時のティッシュのにおい
障子や襖のにおい
紙でできた家があったらすてき
そんなことを文集に書いたことがある
けれども紙の家は
雨にも風にもよわい家でした
とても壊れやすい家でした
紙の家の
壁に穴をあけて
弟もとうとう家出した
あんなに威張っていたけれど
穴は小さくてかわいいぬけ殻みたい
その穴のむこうに
なにが見えていたんだろうか
台所の壁にも穴があいている
3年前に母があけた
こんな家なんかもうすぐ壊れてしまう
母の口ぐせだった
いつのまにか父もいなくなった
1年以上も帰ってこないということは
この家を捨てたということだろう
残ったのは祖母とわたしだけ
ふたりとも引きこもりだから出てゆけない
祖母はわたしを愛しているという
わたしは祖母を愛していないとおもう
祖母はほとんど言葉を失って
もうわたしたちに通じあう言葉がない
猫のように眠ってばかり
そうやってすこしずつ死んでゆくのだろう
しずかに逝ける年寄りは
しあわせだと思うことにする
死ぬことも生きることも
わたしは若いから苦しい
弟が残した壁穴が
だんだん大きくなってゆく
青いしみのような空がみえる
小さな空は水たまりに似ている
水たまりは池になり
やがて海になるかもしれない
もうすぐ
紙の家をすてて
わたしも茫洋のそとへダイブするんだ
あかい血があおく染まる
その時わたしは
初めての潮になる