山口くんの木
山口くんが木になった
あれは小学生の頃だった
木にも命があると
彼は言った
山口くんの木は
どんどん空に伸びて
校庭の
イチョウの木よりも高くなった
あれから彼に会っていない
晴れた日も雨の日も
イチョウの葉っぱはいつも
山口くんの手の平の
日なたのようだ
*
サインはふたつだけ
前田くんはピッチャーで
ぼくはキャッチャー
サインは
ストレートとカーブしかなかったけれど
あの小学校も中学校も
いまはもうない
前田くんはいつも
甘いパンの匂いがした
彼の家がパン屋だったから
だがベーカリーマエダも
いまはもうない
最後のサインは
さよならだった
さよならだけではさみしくて
もういちどさよならをして
それでもさみしくて
またねと言った
あれから春はいくども来たけれど
またねは来なかった
いつもの朝がある
さよならともまたねとも言わないで
朝だけが朝としてやってくる
冷蔵庫のパンとマーガリンには賞味期限がある
前田くんが焼いたパンではないけれど
食卓にはパンとサラダとヨーグルト
左の掌をポンポンとたたく
今朝のサインもふたつ
*
運動会の、空へ
ひとり残されて
校庭で逆立ちの練習をしている子
あれはきみだろうか
運動会のテーマは
日本一の山
富士山は3776ミナナロウだったね
でも誰もなれやしない
5段組みのてっぺんで輝いてる子
あれはぜったいに
きみではない
きみは高所恐怖症で運動オンチ
逆立ちもできないし側転もできない
富士山のずっとずっとすそ野の
地べたに伏せている子らのひとり
砂ぼこりを吸って
膝小僧を痛がっている子らのひとり
きみはどこにいるんだ
さがしてもさがしても見つからない
きみの大地は灰色のクレヨン
きみの空も灰色のクレヨン
きみの四季はただ塗りつぶされてしまう
もくもくと入道雲の
きみはもくもくのひとつ
ぽつぽつと雨つぶのひとつ
はらはらと落葉のひとつ
ころころと木の実のひとつ
しんしんと雪のひとつ
そしてようやくの春
散っていく桜の花びらのひとつ
きみはどこにいるんだ
終わる終わる
きみを見つけられないままで
運動会が終わる
きみはわたしを避ける
すぐに目をそらすから好きだ
きみの名前が好きだ
きみの名前をノートに書いて
いっぱいキスをする
わたしの秘密
キスって鉛筆の味がするんだ
わたしは逆立ちだって
バク転だってできるんだ
逆立ちをしたら
きみが見えるだろうか
土の校庭をもちあげて
万国旗の空へ落ちてゆくんだ
いつかの空
青い波紋がひろがって
だんだん視界がぼんやりになって
だれもいない空
てっぺんはどこだ
どこに隠れているんだ
きみは